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私たちの研究

 

 

【目的・目標】

21世紀の生化学は、ゲノム計画で解明された遺伝子のコードする、タンパク質の相互作用のネットワークを解明して、それが細胞から個体までの構造や機能を する仕組みを証明することを、目標においています。私たちの研究室では、この目標を神経細胞にあてはめ、脳科学の3大目標である 「脳はどのようにできるか?(脳の発生)」 「脳はどのように働くか?(脳の可塑性)」 「脳はどうすれば再生できるか?(脳の再生)」 に主眼を置いて、研究を進めています。

【研究内容】

1. 成長円錐の分子機構

 脳の働きはシナプスという構造単位を基盤として行われているため、シナプスの形成は脳の発生・機能・再生の全てにおいて、最も重要な現象です。この現象は、成長円錐という運動性に富んだ構造体が、神経の突起先端に形成され、これが標的となる神経細胞に到達して停止し、シナプス終末に変化することで達成されると考えられており、その観点から、成長円錐は脳の神経回路を形成・再編・修復する上で、決定的に重要な構造と考えられます。この構造の分子メカニズムは、ごく基本的なことはわかっていますが、シナプスなどに比べると、多くの事が全く分かっていないか、ごく曖昧な結論しか得られていないのが実情です。

  私の研究室では、成長円錐の分子基盤を明らかにすることが必要だと考え、世界に先駆けて成長円錐のプロテオミクス(その部位にあるタンパク質を網羅的・定量的に同定する研究手法)を行い、成長円錐の分子マーカーとなる分子群nGAPを見出しました(PNAS 2009)。この研究は、新聞報道などにも取り上げられ、反響を呼びました。これに基づく以下の研究を行っています。

 (1)  マーカー分子群の役割を決める研究:種々のnGAPsのノックアウトマウスを作成し、その役割の研究に着手しています。

 (2)  神経細胞の極性に関する研究:プロテオミクスで見出した、成長円数の膜タンパク質で機能未知の分子に着目し、その下流の分子群を介して神経細胞の極性(軸索・樹状突起の分化)形成が調節されることを見出し、精力的に研究を進めています。

 (3)  リン酸化プロテオミクスの研究:成長円錐のリン酸化タンパク質を、プロテオミクスの手法を用いて網羅的に解析し、数千種類のリン酸化部位を見出しました。これらの役割を決定することを、リン酸化抗体を用いて順次行っています。既に、成長円錐や神経軸索再生の分子マーカーになるリン酸化部位を見出しています。

2. コンドロイチン硫酸の合成酵素に関するノックアウトマウスの解析

  コンドロイチン硫酸(CS)は、細胞間基質と呼ばれる構造に幅広く分布するグリコサミノグリカンと呼ばれる物質で、N-アセチルガラクトサミン、D-グルクロン酸という2種類の糖が長く繰り返してつながった骨格に硫酸基が結合したものです。コアタンパク質というタンパク質に結合して、プロテオグリカンを構成しています。この物質は全身に存在しますが、神経系では成長円錐機能を強く阻害する物質として知られ、その役割が注目されています。軸索再生の際にも、その物質の影響で、神経の再生が困難であることが知られており、脳・脊髄の損傷や疾患で、機能的な修復が困難となっている原因ではないかと考えられています。

  神経再生の研究には従来、細菌から精製されたコンドロイチナーゼABCというCS分解酵素が使われていましたが、最近の日本の研究グループが明らかにしたCS合成酵素群に着目し、研究を進めています。現在、2種類のノックアウトマウスを作成し、そのうちの1種類が、脊髄損傷後の神経再生が極めて起こりやすくなっていることを見出しました。現在、これらについて、以下の研究を進めています。

 (1)  脊髄損傷の修復・再生の研究:ただ単に損傷後の回復が向上しているだけでなく、それらの結果が良い理由を、生化学的に解析を進めています。

 (2)  神経発生に関する研究:CSは、神経の発生の諸段階に関係するため、それらに関する進めています。

 (3)  神経可塑性に関する研究:CSはシナプスの可塑性にも大きな関連性をもつ物質として知られているので、われわれの研究と生理学のグループで共同研究を行って、研究を進めています。

3. シナプス伝達に関する研究

神経の可塑性という脳の基本的な性質は、シナプス伝達の調節によって実行されます。シナプス前部にはSNARE機構という分子メカニズムによって、シナプス伝達の基本性質である開口放出(exocytosis)という現象が起こります。このSNARE機構の最も基本的なフレームワークは証明されていますが、調節機構の大半は未知です。これらのうち、われわれの研究室は、syntaxinというSNARE機構の中核分子に着目し、いくつかの相互作用を証明しています。現在は、CaMKIIという、これも神経可塑性の中核分子が活性化(自己リン酸化)した際にsyntaxinと結合する性質を明らかにし、この相互作用を弱めた遺伝子改変マウスを使って研究を進めています。当初は予想していなかった、シナプス構造や機能の変化、また行動の変化が観察され、たった1個のアミノ酸の変化が、脳の機能を大きく変化させることを明らかにしつつあります。

1.成長円錐のプロテオミクスに基づく研究

  細胞の中で主役はタンパク質ですが、成長円錐にはどのようなタンパク質が存在するのか、これまではあまりわかっておらず、それが成長円錐の研究を困難にしてきました。私たちの研究室は、プロテオミクス(proteomics)という手段でこれを一挙に解決しました。プロテオミクスは、ある系に存在するタンパク質を網羅的に(数百種類から2,000種類以上まで)同定する手法で、どのタンパク質がどの程度の量、存在するか、といった情報までわかります。私たちの研究室は成長円錐についてプロテオミクスを適用し、一挙に1,000種類近くの分子情報を把握しました。これは成長円錐に関して、世界で初めての研究で、さらにわれわれはこれを推し進め、少なくともその内の一割以上が、成長円錐に強く濃縮されて局在し、また17種類のタンパク質がその中で、成長円錐の機能を支える分子であることを証明しました(PNAS 106: 17211-6 [‘09])。これは「新しい研究成果」の項目で詳細に取り上げていますが、国内外で大きな注目を浴びています。 ここで神経成長に関連することを新たにわれわれが見出した分子群は、神経成長関連タンパク質(neuronal growth-associated proteins; nGAPs)として順次、ノックアウトマウスなどを作ってその意義をさらに明確にしつつあります。 さらにリン酸化プロテオミクス(タンパク質のリン酸化部位を網羅的に同定する手法)を解析し、特定のタンパク質の特定部位のリン酸化が、成長円錐への局在や機能にどのように関係しているかを、細胞レベルだけでなく、可塑性や再生との関連性で調べています。  

             (図2)同定した成長円錐蛋白質の数
                    (図2)同定した成長円錐蛋白質の数

 

2. 成長円錐内の分子のリアルタイム挙動解析

 上記のプロテオミクスで発見されたタンパク質は、成長円錐機能の中で重要な役割を担う可能性の高い分子が多数存在しているため、その中で特に重要性の高いものについて、神経細胞内で動きを可視化する研究を行っています。ここでアクチン繊維と関連の深い、20種類程度の分子群を可視化したところ、驚いたことにいくつかの異なる動き方に分類可能であることがわかりました。このような内容から、成長円錐の新しい機能基盤が見出せることを期待しており、引き続き、いろいろな分子の可視化と成長円錐機能の追究を行なっています。

3. 成長円錐の機能を担う新しいシグナル分子とシグナル伝達機構

 上記のプロテオミクスから、多数の重要な分子が見出され、特に機能未知であるにもかかわらず、成長円錐に多数存在する分子があります。この中で私たちの研究室では、成長円錐の形質膜に存在する膜タンパク質で、機能が良くわかっていない分子群では一番多量に存在するものの1つである、糖タンパク質M6a (glycoprotein m6a)に着目し、その結合タンパク質を上記のプロテオミクスの方法で同定しました。M6aは過剰発現で多数の突起を作り出す性質がありますが、この性質とそのコントロールに関する情報伝達系が、私たちの研究で徐々にわかってきました。これが神経の成長の中で、きわめて重要な役割を果たしていることを示す証拠が多数得られており、その役割を追究していきます。

4.軸索再生モデルマウスの分子レベルの検討

 神経組織が損傷を受けた場合、神経細胞の再生はきわめて困難なことはヒトの神経疾患が難治性(治りにくいこと)であることの原因とされています。最近、神経細胞の再生に関する基礎的研究が進んできました。成熟した中枢神経系(大人の脳・脊髄)では神経細胞死の原因の中に、軸索という神経細胞の長い突起が損傷を受けると、その再生は困難で細胞死が起こることが知られていましたが、その理由が、損傷を受けると周囲の細胞から軸索の再伸長を妨げる因子(軸索再生阻害因子)が多数作られて阻害がおきるためであるらしいことがわかりました。しかし、周囲の細胞は神経組織が損傷のダメージを最小限にとどめるのにも役割を果たしているため、その役割を残すことも重要です。私たちの研究グループは、ある遺伝子改変マウスを作成して、特定の軸索再生阻害因子の働きのみを抑える系としての有用性を解析中です。この研究を通して、軸索再生のモデル系を確立していきたいと考えています。

(参考) 五十嵐 道弘:成長円錐の機能を支える分子基盤.
シリーズ・バイオサイエンスの新世紀 第11巻 「脳の発生・分化・可塑性」
(共立出版)pp.121-32 (2002).

U. シナプスの伝達の調節に関する研究:「脳はどのように働くか?」 

 脳の機能は、すべてシナプスという基礎単位を介して生じています。この部分は、神経と神経が機能的につながりあっている部分で、脳の可塑性(刺激に応答して脳の働きが変化する性質;学習・記憶などの基盤)もシナプスの性質の変化が原因だと考えられています。シナプスにはいろいろな部分に分かれていますが、私たちの研究室ではシナプスのうち、シナプス前終末で起こる開口放出の調節現象を、生化学的に研究しています。  シナプス前終末にはシナプス小胞という神経伝達物質を濃縮している構造があり、刺激に応答(細胞外からのCa2+流入)して、小胞と形質膜が融合する現象が開口放出 (exocytosis)で、これによって小胞の中身の伝達物質が放出され、シナプス後膜側の受容体と結合すると伝達が起こります。 開口放出の実行機構はSNARE機構と呼ばれ、小胞のVAMPと形質膜上のSNAP-25, syntaxin-1が複合体(SNARE複合体)を作ると形質膜と小胞の結合が起こって、膜融合が進みます。しかし、この大筋の機構はわかっているものの、その細かい調節部分では謎が多く、脳の働きを理解するためにはまだまだ多数のプロセスが解明される必要があります。私たちは、このシナプス伝達の中で、特に開口放出の調節に関係するわずかなCa2+濃度上昇(submicromolar Ca2+)に着目しました。このようなCa2+濃度を必要とするタンパク質同士の結合として、syntaxin-1 とCaMKII(Ca2+/カルモジュリン依存性キナーゼII;脳の可塑性にもっとも重要なプロテインキナーゼ)、syntaxin-1とmyosin-V(小胞などを輸送するのに必要な分子モーター)発見し、その意味を明らかにしました(J Neurosci 22: 3342; Mol Biol Cell 16: 4519)。  この研究を進めて、現在はsyntaxin-1とCaMKIIとの結合が低下する遺伝子改変マウスを作成することに成功しています。面白いことに、このマウスはたったアミノ酸が正常のsyntaxin-1と1個違うだけなのに、刺激に対するシナプスでの神経伝達やタンパク質の動き(学術用語では「小胞リサイクリング」といいます)、さらには行動まで、正常のマウスとは大きく異なっています。このように、脳の働き方がたった1個のアミノ酸で異なっている意味を、鋭意解析中です。

(図1)シナプス小胞の動態
(図3)シナプス小胞の動態

 

V. 神経軸索の再生に関する研究:「脳はどうすれば再生できるか?」

 神経の再生は古くからの神経科学の難題であり、大人の中枢神経系(脳・脊髄)の再生は今でも最も挑戦的なテーマであります。20年程前からさまざまな手がかりが得られ、神経の再生は「理論上は不可能ではない」ことがわかってきました。とはいっても、臨床的に治療に直結するまでには、まだまだ相当の高いハードルを乗り越えなくてはなりません。  神経の再生は、1) 神経細胞が再生すること 2) 再生した神経細胞が突起を正しく伸ばして、シナプスを正しく作ること、の2段階が必要です。前者は幹細胞の研究からいくつかの有望な結果が出ていますが、通常の臓器の再生とは違って、神経系ではただ細胞ができただけでは機能の再生は不可能で、後者の段階が必須です。しかも軸索という神経細胞の出力部分は、損傷してその変性が進むと、神経細胞自体が死んでしまいます。  神経細胞の突起形成能力は、神経の成熟と共に低下すると考えられ(内因)、その原因はまだわかっていません。しかし、それ以外に再生が難しいのは、脳が成熟するとともに再生を阻害する因子(外因)が多数、神経細胞の周囲に出来上がるからだとの考えが有力になっています。

 

1. コンドロイチン硫酸の制御に関する研究 この外因となる軸索再生阻害物質として最大量のものは、損傷後に反応性グリアという細胞が産生すると考えられているコンドロイチン硫酸(Chondroitin sulfate)という物質です。これはタンパク質に長い糖鎖が結合したプロテオグリカンという形を作って存在しており、コンドロイチン硫酸自体は2種類の糖の繰返し構造を持っています。2002年にコンドロイチン硫酸の分解を行なうと、損傷時の再生が促進されることが示されて以来、この物質の研究が進んでいます。私たちの研究室では、コンドロイチン硫酸の合成を抑えるような遺伝子改変マウス(ノックアウトマウス)を作って、その役割を解析中です。またこのノックアウトマウスは、骨格の発達や、脳の発生に異常が見られることが私たちの解析によってわかってきました。このような系を使って、これまであまり研究が進んでいなかった生理的なこの物質の意義を調べることにしています。

 

2. nGAPsと神経再生  神経が成熟すると、成長能力が低下するという性質は、内因性に起こっていると考えられますが、その理由は全くわかりません。私たちは、成長円錐の機能に関する研究から、nGAPsという成長円錐の機能を支えるタンパク質群を見つけました。神経の成長が起こりにくくなっていることと、成熟神経でこれらの分子が発現しにくいことが関連があれば、これらを発現させることで神経の再生が促進される可能性もあるので、このような性質を利用して研究を進めつつあります。

 

   

(図4)見出したnGAPの分類

 

 

最新の研究成果

成長円錐における新しいマーカー分子群の同定

(Proc Natl Acad Sci USA 106(40): 17211-17216 [‘09])

成長円錐にはこれまであまり数多くのタンパク質が同定されておらず、その機能を解析する上で、大きな支障になっていました。また成長円錐を特徴付けるタンパク質(マーカー分子または分子マーカー)もGAP-43という、これも機能が十分にはわかっていないタンパク質のみでした。私たちの研究室では、成長円錐について分子レベルの研究を進展させるためには、成長円錐のタンパク質構成をはっきりさせ、さらにマーカー分子を見出すことが必要不可欠だと考えて、以下の研究を行いました。  成長円錐の分子構成を明らかにするため、プロテオミクスと言う方法でおおよそ1,000種類のタンパク質を同定しました。これを元に、培養神経細胞の成長円錐を他の部位より濃く染め出す分子を100種類近く見つけ、さらにその中からRNAiと言う方法で成長円錐の最も重要な機能である神経の成長を抑える分子を17種類見出しました。「成長円錐に濃縮されていて、成長円錐の機能に必要不可欠な分子」であるこれらのタンパク質を、神経成長関連タンパク質(neuronal growth-associated proteins; nGAPs)として、成長円錐の分子マーカーとして確立して行きます。  この研究は、医学・生物学関係の最重要ジャーナルの1つである”PNAS”(米国科学アカデミー紀要)に一般投稿(Track II)として採用され、掲載号の表紙(2009年10月6日号)として大きく取り上げられました。

 

Motohiro Nozumi, Tetsuya Togano, Kazuko Takahashi-Niki, Jia Lu, Atsuko Honda, Masato Taoka, Takashi Shinkawa, Hisashi Koga, Kosei Takeuchi, Toshiaki Isobe, and Michihiro Igarashi.

Identification of functional marker proteins in the mammalian growth cone.

PNAS 2009 106 (40) 17211-17216; doi:10.1073/pnas.0904092106

 

用語の説明

成長円錐の構成(模式図)

種々の小胞(V:large core secile, CV:coated vesicle MVB: multivesicular body)や小胞体(ER) , 2次リソソーム(SL), ミトコンドリア(M)などの細胞内小器官がC領域を構成する。微小管(MT)が中央部に, アクチン機能がフィロポディア(F)やラメリポディア(L)に分布する。ニューロフィラメント(MF)は成長円錐には入り込まない。

成長円錐の構成(模式図)

開口放出に関連する蛋白質間相互作用

多数の蛋白質がこのプロセスに関与するらしいのですが、正確なメカニズムはまだ完全にはわかっていません。
(図は Misura et al. の論文より)

開口放出に関連する蛋白質間相互作用

CaMKIIの構造

CaMKIIは脳の可塑性に重要な蛋白質ですが、多機能性について現在研究が進んでいます。
(図は山肩葉子先生の総説より)

CaMKIIの構造