設立の経緯

継続的な研究教育交流・人的ネットワークの形成

Ⅰ.設立の経緯

概要

 新潟大学は、半鎖国状態であった2000年からミャンマーの主要な政府系研究所とインフルエンザの共同研究を行い、研究・人材育成の両面で現地のカウンターパートと強い連携体制を作り、感染症研究の基盤を構築してきました。 そしてこれまでの調査から、ミャンマーでは日本より半年早く新しい抗原性のインフルエンザがヒトで流行することが判明しており、日本のワクチン株の選定のために重要な地点であることが確認されています。

 これらの実績をもとに本プログラムでは、本学がNHL内に海外研究拠点を形成し、ミャンマー国内の医療機関との連携により、インフルエンザを始め、まだ実態が明らかとなっていない結核、小児重症肺炎の疫学調査を実施します。そして、感染症伝播地図を作成しながら日本への輸入リスクをいち早く捕捉し、日本のワクチン株選択や新規ワクチン開発、抗菌薬開発に資する情報の提供を国立感染症研究所などに行います。

1.はじめに

 ミャンマーは東南アジアに位置する熱帯気候の国であり、欧米から経済制裁をうけ20年近く半鎖国状況でした。周囲の東南アジア諸国に比べると教育や研究レベルは立ち後れ、インフルエンザをはじめとする感染症の流行状況は全く不明でした。新潟大学では、現地の医療機関と連携しながら、ミャンマーにおいてヒトの季節性インフルエンザの調査を2005年から10年余にわたって行ってきました。

2.プロジェクト目標

 新潟大学のインフルエンザ・プロジェクト目標は、ミャンマーにおけるインフルエンザ・サーベイランスの強化であり、重点課題は以下の3つでした。
 ①インフルエンザ研究センターの確立
 ②研究者の養成
 ③分子生物学的検出方法の導入
プロジェクトの開始前には、政府によるインフルエンザ・サーベイランス・システムはなく、インフルエンザの培養技術もありませんでした。このため、我々は、最終目標を国家的なインフルエンザ・サーベイランスの揺籃とし、都市部からインフルエンザ疫学調査を開始しました。まずは、ミャンマーの研究レベルを引き上げるため、現地に日本人研究者を派遣し、新潟大学へミャンマー人研究者の受け入をしながら、育成を図りました。インフルエンザウイルス分離培養や、当時ミャンマーではほとんど行えなかった、PCR(Polymerase Chain Reaction)や遺伝子解析(シークエンス)などの分子生物学的検出法を指導しました。
 同時に我々は、インフルエンザ研究の拠点を、ミャンマーの最大都市ヤンゴンの国立衛生研究所(National Health Laboratory)に定めました。この研究所は、世界保健機関(WHO)のポリオウイルスサーベイランスのナショナルラボであったため、ポリオウイルスの分離培養が可能でした。加えて、当時のウイルス部長のキン・イー・ウー医師は、研究熱心で真摯な人柄であったため、インフルエンザウイルスを扱えるポテンシャルがあると判断したのです。

3.プロジェクト15年のあゆみ

 我々のプロジェクトは、文科省の国費留学生(ヤデナ・チョー医師)をカウンターパートとした、医療協力の形で2000年に始まりました1)。ターニングポイントは、2004年に、ヤデナ医師が、本学病理学第二教室の内藤眞教授(当時)の発案で、迅速診断キットを使ったインフルエンザのスクリーニングをヤンゴン市内の医療機関で始めたことです2)。2005年には、当時難しかったミャンマー保健省との交流協定(MOU)を結び、プロジェクトの足場を固めました。さらに、日本大使館の草の根支援による機器の導入や我々の技術移転が奏功し、2008年には国立衛生研究所がWHOのナショナル・インフルエンザ・センターに認定されました。
 2008年には、首都のネピドー市(ヤンゴンの北300キロ)において、同じく文科省の留学生であったイー・イー・ミン医師を中心として、インフルエンザの検体採取が始まりました。ミン医師の所属するネピドー市の中央医科学研究所への技術指導も始まり、2011年には、新潟大学と新潟県保健環境科学研究所のチームによる、リアルタイムPCRと遺伝子シークエンスの研修が行われました。これらの成果から、2012年に新潟大学は、J-GRIDのアソシエートメンバーに認定されました。その後も新潟大学は、ミャンマーとの関係を深め、2013年にヤンゴン第二医科大学と交流協定を結びました。ついで、ミン医師がピンウールインにある北部医科学研究所の局長へと昇進異動したため、2013年からこの研究所も我々のプロジェクト拠点に加わりました。ピンウールインは、古都マンダレーの近くにあり、中国からの陸路の要衝であり、ヒト・インフルエンザやトリ・インフルエンザの主要な感染経路と考えられる、重要な調査地点です。

4.ミャンマーのインフルエンザ疫学

 これまで、約10年間にわたる我々の調査により、7,000件近くの臨床検体が採取され、約2,000件のインフルエンザウイルスが分離されました。我々の研究により、ミャンマーでは、6-11月の雨期にインフルエンザが流行し、特に7、8月にピークとなることが判明しました2、3)。近隣の多くの東南アジア諸国でもミャンマーと同様の季節性を示しています。
 また、10年にわたる我々のインフルエンザ調査でいくつか特徴が見いだされました。ミャンマーでは新しい株の流入が全体的に遅れる傾向にありますが、逆にA/H3N2に関しては、日本より早く新しい抗原性の株が検出されることが多いのです1)。2009年に世界的なパンデミックを起こしたA/H1N1pdm09は、ミャンマーにける本格的な地域流行は1年遅れて、2010年にみられました。これは、半鎖国状態のため、人の行き来が制限されて、結果的にA/H1N1pdm09の流入が遅れたと考えられます4)。それにも関わらず、日本より半年早く新しい遺伝子抗原性をもつA/H3N2が検出されるのは、ミャンマーには中国からインフルエンザが流入すると考えられるためです。A/H3N2は、進化スピードが速く、WHOによるワクチン株の選定は毎年困難を伴います。新しい抗原性のA/H3N2株をいち早く検出するためにも、ミャンマーのインフルエンザ・サーベイランスは重要です。
 さらに我々は、ミャンマーで薬剤耐性インフルエンザ株についても調査し、他ではみられない特殊な耐性株を検出しました。2007-2008年に、抗インフルエンザ剤のザナミビルに対して耐性のA/H3N2を検出したのです5)。ザナミビルに対する臨床株の耐性はほとんど検出されことがなかったため、我々の報告は注目を集めました。

5.ミャンマーにおける人材育成

 新潟大学では、さまざまな人材交流と育成を通じて、現地のレベルアップを図ってきました。これまで我々は、ミャンマーの若手研究者を合計12名受け入れ、技術指導を行いました。研修を受けたミャンマー人は国に戻ったあと、研究所の主力スタッフとして活躍しています。さらに、ミャンマーと日本との情報共有を図るために定期的に医学セミナーを開催しました。
 我々のプロジェクトの大きな推進力となったのは、優秀なミャンマー人カウンターパートです。我々のミャンマーへの渡航は年1-2回と限られたチャンスしかありませんでした。このため、スクリーニングや検体採取、現地でのインフルエンザウイルスの検出は全てカウンターパートが自立的に行いました。我々のカウンターパートは、全て過去の日本への留学生や研修生です。ミャンマーのように半鎖国状態で、通常のアプローチが難しい国では、人脈と人材を作ることが重要であり、プロジェクト成功の鍵はそこにあったと考えられます。
 こうした我々のミャンマーへの功績が認められ、プロジェクトを推進してきた新潟大学名誉教授の内藤眞氏が新潟県長岡市の米百俵賞(第18回)を平成26年に受賞しました。この賞は、途上国の人材育成や交流に顕著な功績が認められた個人や団体に贈られる賞です。10年後、20年後の継続を考えたときに、人材育成がいかに重要であるか我々のプロジェクトが物語っていると言えます。

6.プロジェクトの発展性

 いま、我々のプロジェクトは、転換期を迎えています。それは、ミャンマーの経済制裁が解かれ、世界各国の研究者がこぞってミャンマーに入ってきているためです。オーストラリアへの留学者も目だって増えてきました。我々はこれまで「細く、長く」を是としていましたが、プロジェクトを変化させる時期が来ています。ミャンマーにおける日本のプレゼンスを高めるためにもプロジェクトの強化と発展が必要です。
 ミャンマーには、中国やインドからの長距離トラック・ルートが存在します。今後は、東南アジアとの物流・人の移動もますます活発になると予想されます。ミャンマーの感染症をモニターすることは、日本のリスクを予知することに他なりません。このため、ミャンマーは日本にとって、ますます重要な感染症研究のパートナーになることは必至です。

文献

1) Saito R et al: Influenza project in Myanmar. Journal of Disaster Research 9(5):842-847, 2014

2) Hasegawa G et al: Influenza virus infections in Yangon, Myanmar. Journal of clinical virology : the official publication of the Pan American Society for Clinical Virology 37(3):233-234, 2006

3) Dapat C et al: Epidemiology of human influenza A and B viruses in Myanmar from 2005 to 2007. Intervirology 52(6):310-320, 2009

4) Dapat C et al: Delayed emergence of oseltamivir-resistant seasonal influenza A (H1N1) and pandemic influenza A(H1N1)pdm09 viruses in Myanmar. Influenza Other Respir Viruses 7(5):766-771, 2013

5) Dapat C et al: Rare influenza A (H3N2) variants with reduced sensitivity to antiviral drugs. Emerg Infect Dis 16(3):493-496, 2010

Ⅱ.ミャンマー感染症研究事始

「ミャンマー感染症研究事始」新潟大学名誉教授 内藤 眞

 太平洋戦争後ミャンマー(旧ビルマ)は軍政の抑圧的政策が先進国の経済制裁を招き、発展するアジアの中で取り残され、最貧国の一つとなった。結核、マラリアが蔓延し、多くの国民は十分な治療を受けることができない。
 私は1992年に新潟大学医学部病理学教室に赴任し、マクロファージの研究に没頭していた。そんな中、私の研究室にミャンマーからヤデナ・キャウ医師が留学してきた。彼女は聡明でやさしい内科医だった。4年間の研究生活を過ごして1999年に帰国した。翌年、私はヤンゴンで彼女に再会した。暗い病棟には患者があふれていた。薬もなく、医療機器もきわめて貧弱で、検査室には半世紀前の単眼顕微鏡で結核菌を探す検査技師がいた。そんな病院で苦闘する彼女のため私は「ミャンマーの医療を支援する会」を設立し、医薬品、医療器具、顕微鏡、教科書などを運んだ。ヤンゴン大学には私の前任地熊本大学病理に留学したミン先生もいたので、病理診断に必要な免疫染色の実習を行い、抗体を提供して技術を定着させることができた。

 現地で感染症に苦しむ多くの患者を見て、感染症研究を思い立った。2003年から科学研究費や振興調整費を得て本学の鈴木宏教授、齋藤玲子先生(公衆衛生)の協力のもと、ヤデナ医師、ミン先生はじめ現地研究者と感染症の共同研究を立ち上げた。2005年に保健省と協定を結び、半鎖国状態のミャンマーで学術活動ができる例外的存在になった。その結果、世界に知られていなかったミャンマーのインフルエンザの実態を明らかにすることができた。研究成果は論文発表するとともにヤンゴンと新潟で発表会を開催した。また、10人のミャンマー人研究者を新潟に招聘して指導した。現地での技術指導もヤンゴン、ネピドー、ピンウールインで繰り返し行った。

 2008年3月に研究パートナーであるヤンゴンの国立衛生研究所が日本とWHOの設備支援を受け、WHOのナショナル・インフルエンザ・センターに認定された。ところが5月に南ミャンマーをサイクロンが襲い、大きな被害が出た。私は募金活動を行い、ヤデナ医師や現地在住日本人と連携して救援活動を行った。支援金は被災地の食糧と被災病院の修理にあてた。このような困難を乗り越え、交流を深めていった。敬虔な仏教徒のミャンマー人は貧しくてもやさしく、心豊かな人たちであった。ミャンマーは私に熱帯病とアジアにおける日本の役割を教えてくれた。しかし、軍政下にあるミャンマーの厳しい社会情勢はいつまでも変わらないのではないかと思われた。
 意外にも2010年11月の総選挙以降、ミャンマーの民主化への歩みが始まった。アジア最後の秘境ともいうべきミャンマーに諸外国の経済関係者が押し寄せ、ホテルは満室となり、宿泊料や不動産は3~4倍に高騰し、バブル状態を呈している。ミャンマーの研究機関には共同研究を求める海外の大学、研究所が殺到している。それはともかく、ミャンマーが世界の注目を集め、開かれた国になることは喜ばしいことである。

 2012年に私たちは「感染症研究国際展開戦略プログラム(J-GRID)」の准会員に加えられた。2013年春、私は新潟大学を退職し、研究プロジェクトは齋藤玲子教授に引き継がれた。ヤデナ医師はヤンゴン大学教授に、ミン先生は保健省局長になり、その他の関係者もミャンマーの医学医療の指導的立場に立っている。15年の活動を顧みると、私の役割は両国医療関係者の協力基盤作りだったと言えよう。これまで築いた協力体制のもとで新規プロジェクトによる共同研究が益々発展していくことを願っている。