新潟大学大学院医歯学総合研究科 消化器内科学分野-旧内科学第三講座-

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留学だより

エジンバラ留学記 3(2012年7月15日~2012年12月3日)

2012年7月15日

その16;~いざドイツへ ~

7月に入りめっきり暑くなったと書きたいところですが、一向にエジンバラは暑くなりません。まだ最高気温15度をわる時が多くあります。半袖だけではとてもいられません。今年は誰に聞いても異常と言います。冷夏のようです。

7月1日からドイツのハノーバー(Hannover)に行きました。ハノーバーと言えば最近、柏レイソルの酒井宏樹選手が入団することになったハノーバー96のあるハノーバーです。ハノーバー大学医学部(医科大学?)の教室と縁あって共同研究をすることになり、今回挨拶と、私の研究発表、そして共同研究として使わせて頂く薬やマウスの件で話をしに行きました。ドイツといって正直ソーセージとビールしか思い浮かばなかったので、今まで留学先を含めいくつかの研究室を訪問させていただいた中で最も私にとって謎に満ち、訪問前の不安を掻き立てる訪問でした。訪問の予定は7月1日から5日までは空いているとのことだったので、1日から5日までとりあえず訪問することにしました。しかし、そのうち今回は1日のみの訪問であろうからということで、せっかくなので家族も夏休みなので連れていきました。航空券をひとまず押さえ、その後先方がホテルを予約してくれ、行く準備が整いました。その後7月3日が丸々一日使って話合いができるということで3日の日に訪問することとなり、その他の日はハノーバーやベルリン観光に行くことにしました。

7月1日エジンバラ9時15分発の飛行機だったので、家を7時前にでてバスで空港に向かい、飛行機にのりアムステルダム経由でハノーバーに行きました。着いたのは現地時間午後2時(イギリス時間の午後1時)でしたがやはり予想通り小さい子を連れた飛行機は大変でした。ハノーバー空港につき、疲れたので昼ご飯をと思い空港で食堂を探しましたが、食堂の前に飾ってあるメニューを見ると全部ドイツ語、全く何がなんだかわからない状態でした。手っ取り早くマクドナルドにしてしまったところが情けないと思いましたが、この日はとりあえず食べることが大事ということで諦めました。空港から駅の中心部まで電車にのろうとしましたが、電車の駅につながるエレベータにのり降りるともうそこはホームで改札はなくどこで切符買うの?という状態でした。ホームを歩くと券売機を発見しハノーバー中央駅までの切符を買い電車に乗り込みました。電車の中でも切符のチェックはなし、ハノーバー中央駅に付いても切符の提示はなくこれではキセルし放題?というくらい甘いシステムだと思いました。(後で聞いたのですが、時々抜き打ちでチェックがあるらしくその時見つかると罰金が大きいようです。)ハノーバー中央駅につくとさぞや日曜日なので賑わっているかと思いきや、閑散としていてとてもさみしい状態でした。有名デパートは日曜日休みと聞いていましたがデパートに限らず、小さな商店に至るまでかなりの店が休業状態でした。日曜日に店が開かないことには、稼ぎどきに休むなんて!と思ってしまいますがこちらでは当たり前のようです。ホテルに着くと疲れがだいぶたまっていました。どこか食べに行こうかと思いましたが、近くに空いているレストランはあまりないとのことで仕方なくホテルの食堂で食べました。昼間のマクドナルドがこたえ、あっさりしたパスタを食べました。そして、せっかくのドイツなので妻とビールを頼み束の間のゆっくりした時間をすごし一日が過ぎました。

次の日ハノーバー動物園に行きました。タクシーを頼むといきなりベンツ、こちらの国では確かにこれは当たり前のようでした。さすがドイツと思いました。乗り込むといきなり「動物園に行くメインの道が事故で閉鎖されている、高速道路で少し遠回りになるけどいいか?」と言われました。タクシーの運転手の人でも流暢な英語でした。ドイツでは英語が通じない時もお店などでは時々有りましたが、ほとんど英語が通じ、こちらの人は大学出る程度の人はほとんど話せるというのは本当だというのを実感しました。さて、タクシーですが、そんな具合で高速道路を通り遠回りされ10ユーロと計算していたタクシー代が20ユーロになりましたがドイツの高速道路を味わうこともできよしとしました。動物園では大人一人22ユーロ(2200円)とかなり高いですが、その価値がある楽しい動物園でした。チンパンジーの餌やり、船での動物観察、斬新なアザラシショー、10頭以上いるぞうの群れなど見どころが沢山有りました。一日かかって見れる、ヨーロッパでも有数の動物園と聞いていましたがその言葉に偽りなしで子供も大人もとても楽しめる動物園でした。

3日、研究室に訪問しました。前日夜、子供が寝静まったあとスライドを最終チェックしましたが、英語がどこまで通じるだろうか?自分の研究内容は本当に相手に興味をもってもらえるものなのだろうか?不安がいっぱいでした。朝ごはんも食べる量が少なかったことから妻に「緊張しているんでしょう。わかりやすい。」とごもっともな指摘をされましたが緊張しない訳がありません。ホテルは訪問先の研究室の目の前で5分ほどでしたが、ホテルを出たのは40分前でした。時間があまりすぎるので、行く前に医学部の施設を散歩しました。新潟の3-4倍はあろうかいう敷地の広さに2-3倍はあろうかという建物の数、まず、広さ大きさにびっくりしました。肝臓のペーパーでも良くハノーバーは出てきますがさすがだ、この大学は。と思いました。病院もとても綺麗でした。10分前に研究室の建物に行き入口を探しましたが、表示がまさかの全部ドイツ語、おおよそで当てずっぽうで訪問した研究室があっていました。教授は暖かく迎えてくれました。とても笑顔の素敵な中年婦人でした。教授室で5人関連の研究員を読んで話合いが始まりました。まず挨拶のときから感じたことは、「なんて英語がわかりやすいんだろう」ということです。イギリス人の英語は私にとって早くなってくるとそれだけ理解しずらくなりますが、こちらの人はやはり英語は外国語なので日本人にはペースが非常にあっていました。訪問時、英語での問題は余り感じませんでした。まず、先方が自分たちの研究の紹介をしてくれました。その後私の研究の提示を行い非常に興味をもってもらいました。遺伝子をノックアウトしたマウスの必要性、そこの研究室で作っている薬の有用性を説明し、話を前に進めて行くことで話し合いがまとまりました。私の実験に最後のパーツを埋め合わせるには必要なプロセスであったためこの共同研究の前進は非常に意味のあることでした。ランチをご馳走になり、その後コーヒーを飲みながら実験のつめや、実験のコツなどをきき、これはなかなか実際にきかないとわからないことが多いのでとても役立ちました。午後2時過ぎ話し合いは終了し、家族の待つホテルに帰りました。安心したこともあり、この日残り少なくなった時間を楽しもうと、有名な庭園Royal Gardens of Herrenhausenに行きました。広大な敷地に管理が行き届いた庭園、木々のなかの空間にも小さな庭園があったり、高さ30メートルはあろうかという噴水があったり、子供連れで庭園はちょっととおもいがちですが、子供がいても楽しめる庭園でした。庭園観察のあとは街でデパート見学をしたりしました。デパートの作りはイギリスのそれよりも日本に近く、デパ地下の食料品売り場などは日本のことを思い出すような風景が広がっていました。全体的にイギリスよりもなぜか日本を感じる店並び、店の雰囲気がドイツには有りました。

4日目、すっかりもう観光モードでベルリンに行きました。前の日とは打って変わってたっぷり朝食を食べてから行きました。ベルリンまではICEという高速列車に乗って行きました。ネットで予約しておくと半額程度まで安くなるため、あらかじめネットで予約し、切符を自分で印刷し持っていきました。電車は新幹線のような車体で、今回2等ではなく2等と往復で10ユーロしか違わなかったため1等に乗りました。新幹線並みで非常に快適でした。最高速度この日は確認出来た範囲で250キロでした。ベルリン駅は最近出来たモダンな駅で雰囲気が京都駅にそっくりだと思いました。タクシーで観光しようと思いましたが、タクシー乗り場が無法状態であちこちから乗っていて子供連れは半ば拒否されるように通過され、仕方なく歩けない距離ではなかったため歩いての観光がスタートしました。メルケル首相がいる首相府、国会、ブランデンブルグ門などを周りその後、川に観光船があると聞いていたため観光船に乗りました。乗船前、こちらでもベルリンのビールやソーセージを食べました。ビールを飲んで、天気もよかったため、船の後半は強い日差しの中うたた寝してすっかり今年初めての日焼けもしてしまいました。その後ベルリンの壁博物館にいき、現存の壁の一部も見てハノーバーに日帰りで帰りました。

最終日、ハノーバーに移動遊園地が来ているとのことで行きました。移動遊園地にしては規模がかなり大きく、びっくりしました。午後2時から開園だったためそれまで、Hannover96のスタジアムであるAWDアリーナをみてオフィシャルショップで子供の酒井選手のネームいりのユニフォームを買ったり、その近郊にある湖の湖畔のホテルのレストランで食事をしたりして過ごしました。(こちらでもビールを少し)二時過ぎ遊園地で2時間弱遊んだのち帰りました。アムステルダム空港でラーメン屋があるのでみんなで久しぶりにこってりしたラーメン食べようねといって楽しみにしていました。到着の飛行機が15分遅れ、アムステルダムにつきみんながトイレを済ませている間にそれまで営業をしていたラーメン屋がまさかの閉店、マクドナルドをまた食べる羽目になりました。これが心残りでなりません。研究、観光共に非常に充実した日がすごせ、束の間の夏を味わうことが出来た旅でした。印象の薄かったドイツがとても好きになった旅でも有りました。

ホテルについてまず一杯。 水上バスでベルリン観光。
ハノーバーの広大な庭園。 ベルリンの川べりでランチ。
ブランデンブルグ門。
庭園にあった大きな噴水。子供の大きさと比べてとても大きい。 訪問した研究室のある建物。これがごく一部なので大きさに驚き。

2012年8月22日

その17;~オリンピックへ行く~

オリンピックが始まり、そして終わり私の留学生活も後半の折り返しに入りました。オリンピックの開催国で生活できるなんてラッキーなことです。オリンピックの開会式は久しぶりにテレビで見ました。エリザベス女王がダイブ(?)したり、Mr.ビーンが出てきたり、イギリスっぽい、いい開会式だったと思います。私が住むエジンバラはロンドンから電車で4時間半、飛行機で1時間かかり行くのは大変ですが、なんとこれまたラッキーなことに男子のサッカーの予選2試合はエジンバラ近郊のグラスゴー、ニューキャッスルでやることになったので、私の家族も行こうと、サッカーチケット第三次発売日に両会場のチケットを購入し、オリンピックを見に行くことができました。

皆さんも既にご存知のとおり、グラスゴーのスペイン戦では「グラスゴーの奇跡」と言われる(私は、試合内容は全然奇跡ではない、実力だと思いましたが)見事な試合を演じてくれました。続くモロッコ戦でも押されながらも最後に要所できめて見に行った試合は2戦2勝でした。研究室で「サッカーオリンピック見に行くんだ。対戦相手はスペイン!」と話すと誰もが哀れみの表情で見てきましたし、近くのラボのスペイン人からは自信満々に「会場で会おう!」とちょっと日本を小馬鹿にしたような感じで言われたので、この勝利は本当に嬉しい思いでした。子供は、サッカー教室で友達に「俺は明日見に行くけど、日本を応援するよ」と言われたそうですが、偶然会場であったその友達はまさかのスペインのユニフォームに身を包んでいました。最後10分「オー日本!日本、日本、日本」という応援に併せて会場の日本人が一体となっている様子が非常に印象的でした。日本語補習校でない限り、こんなに多くの日本人を見ることはないのでとても、日本人の多さにびっくりしました。ハワイに来たようでした。試合観戦も早く申し込んだ甲斐があり、中央8例目で選手の表情もよく見え、声もよく聞こえる位置でした。スペイン戦後、交通の混雑を避けるためイタリア料理を競技場の近くで食べ、一杯飲んで帰ってきましたがその一杯がなんと美味しかったことか!

その3日後、我が家は再び試合を見にニューキャッスルに向かいました。試合開始は午後5時でしたのでその日はホテルをとっていました。私たちは3ヶ月前に申し込んでいたので約10000円で宿泊できましたが、その日の価格は18000円とホテルもオリンピック価格で便乗値上げされている感じがしました。昼にNoodle屋でラーメンや、麻婆丼を食べ、こちらでは珍しい、日本式のトレーにパンを選んでいくシステムのパン屋も発見し(中国人経営でしたが)久しぶりにあんぱん、クリームパンを食べました。ホテルに帰り、少しくつろいでから球場に行きましたが、そこで思わぬハプニングが有りました。チケットには中央前の方のかなりいい席が指定されていました。私はインターネットでエリアを確認していたのでとてもいい席だと喜んで会場に向かいました。しかし、球場に入りそこにいこうとすると、係員にいきなり止められました。理由も何も言わずいきなり、「ここには座れません。あなたたちはあそこのエリアならどこに座ってもいいからそっちに行ってください」とチケットに指定されたエリアには入れてもらえず、後方の席へ行くように強制されました。同じように、何人も足止めされ、そこの中央のエリアには入れないままでした。何人かはあきらめ納得して別の場所に座っていましたが、私を含め何人かは納得していませんでした。ちょうど一緒にいた日本人の人が抗議に行きましたが、受け付けてもらえず、とにかくそこに座れと命令されるように言われてしまいました。私もその態度には納得できず、せめて詫びの一言もあってしかるべきだろうということで、今度は私が抗議に行きました。拙い英語でしたが、「私たちがここに座るのはどちらのミスですか?これは私たちには一切ミスがなくてあなたたちオリンピックのミスのはずだ。私たちはここの席を確保するためにカテゴリーAの高額のエリアを買っている、そして早くから貴重な時間をさいて買っている。それが遅く申し込んだ、より安価なチケット購入者より後ろに座らされるとは、もしあなたなら納得いくものなのか?そこをきちっと説明しないでその態度ははおかしいと思わないか?」と言いました。その発言をしたあと今まで傲慢だった警備員が顔色がかわりました。そのことについて相談してくるから少し待ってくれと警備員は一度相談に行き、その10分ほどのち「本当に済まなかった。」ともともとチケットに割り振らた場所に入れてくれました。しかしそのエリアは他のエリアよりすいていて、どうやら抗議をした人ははいれ、抗議をしなかった人ははいれないようでした。これもおかしな現象に思いますがとにかく私たちは自分たちの割り振られた席に予定通り座ることができました。北朝鮮戦に韓国の国旗を出してしまったり、今回のように席がいい加減だったり、イギリスの一つの側面も表しているように思います。何となくそういうことが起きてもおかしくない雰囲気が日本よりもあることは最近感じます。

試合が始まるとなんで、そこから人を締め出したかったが何となく分かった気がします。そこのエリアには、たくさんの関係者が座っていました。日本代表監督ザッケローニ監督はじめサッカー協会の関係者、試合後の関塚監督、元日本代表の方たち、そして次の試合前のスペイン代表の選手たち。そこはいわばVIPエリアでした。VIPが沢山座るから、一般の人をできるだけ入れたくなかったというのが本音ではなかったのではと思います。VIPの人に迷惑にならないように試合の合間などに子供はサインをもらいに行くことができました。ザッケローニ監督や試合後の関塚監督や解説などで来ていた元日本代表の選手は快く子供にサインをしてくれました。日本サッカー協会の前会長の小倉さんは子供に、なでしこJapan優勝の時のバッジとJFAのバッジをくれました。日本が勝利したこの試合、勝った喜び以上に皆さんが子供に暖かくサインしたり、バッジをくれたりしたことが嬉しかったです。子供には日本にいたとき野球をやらせようとして私も頑張っていましたが、最近ではサッカーにはまってきてしまい、今回の出来事はそれを更にすすめる出来事だったかもしれません。イギリスに住んでいる以上それはいたし方ないことなのかもしれません。学校での遊びもサッカー中心のようですし、日本にある、野球カードのようなサッカーカードも、学校でもとてもはやっているようです。日本では考えられないことですが学校にもっていって、休み時間にトレードしたりして、各自自分の持っているカードの自慢をしているようです。そんなことを通じイングランドに限らずヨーロッパの選手の名前も子供は大分覚えてきました。日本人の宮市、本田両選手は他の現地の子からしたらいらないカードのようで、友達に日本人だからあげるよとあっさりもらって集めてきていました。

オリンピック二試合はあっという間に終わってしまいました。少しさみしい気がします。オリンピックと同時期にエジンバラではまた世界的に有名なエジンバラフェスティバルが始まりました。今年はミリタリータトゥーというエジンバラ城で開催されるこの音楽イベントのチケットを買い見に行きました。バグパイプの演奏、各国の軍隊の演奏、お城をスクリーンにした演出、連日の家から鑑賞していた花火、1時間半という時間があっという間にすぎて行きました。今年は今のところ最高気温が20度ちょいです。雨続きのエジンバラの短い夏が過ぎようとしています。日本のセミの声、カエルの鳴き声が懐かしい気がします。

こんないい席で見れました。グラスゴースペイン戦。 サイン;中央がザック、右が関塚監督、左は上から福田、長谷川、宮本元日本代表選手。
ついでに国際親善試合スコットランド対オーストラリアも見ました。エジンバラにて。 ニューキャッスルでのモロッコ戦前。
ミリタリータトゥーの始まりこんな感じです。
ミリタリータトゥーの花火。

2012年9月27日

その18;~イギリス生活での色々なトラブル~

9月に入り、イギリス滞在時間があと11ヶ月になりました。日本はまだ30度というニュースを聞きますが、こちらは最高気温11度なんて日も有り、夏の違いに改めてびっくりします。日も次第に短くなってきていて、8時前には暗くなり始めました。8月は我が家にとっては本当に悪運のつきまとった月でした。あまりの不幸に自分でも笑って流すしかありませんでした。そんな不幸を少し書いてみたいと思います。

まず、一つ目は長男が月初めに腹痛を起こしました。時々よく子供にありがちな腹痛を訴えますが、今回は今までにない、いわゆる盲腸の辺りを痛がりました。下痢も吐き気もなく、前の日は弱い心窩部痛があり、その日は右下腹部に圧痛があり、弱いですが反跳痛が有りました。熱は37℃台と高くはなかったものの食欲はなく顔面も蒼白、これは盲腸(虫垂炎)は鑑別診断のうちから外せないと判断し、受診をすることとしました。丁度その日は日曜日でした。本来は近くの開業医(GP)を受信し必要あれば紹介してもらうという医療スタイルがこちらの流れですが、この日はGPが休みであったため、NHS24(national health service)に電話しました。対応は看護師が当たりました。非常に多くの質問に答えさせられました。顔色は良くない、右下腹部を痛がっている、昨日からほとんど食べられていない等々。最後にじゃあ受診してくださいとでも言われるかと思ったら、痛み止め飲んで寝かせておいてくださいとのこと。あまりに応対が事務的で、何も考えていない感じだったので、「一応日本の内科医なんだけど本当にそれで正しいの?」と聞いたところ「Royal Infirmary (私の研究施設と同じ敷地内にある大学病院)に受診してください」と言われ予約をとってくれました。行った時間に行くと、Drは大変不機嫌でした。呼ばれたことにが相当面白くなかった感じです。同業の医者として全くわからないではありませんがその態度はちょっとという感じでした。ろくすっぽお腹を触らず、今日は様子を見るかSick children Hospitalに行くかだ。ここでは何もできない。と言われ、排尿するときも腹痛が響くというようになってきていたので、Sick children hospitalに受診することとしました。そこの救急室は非常にこんでいました。受付で問診、体温などの検査を受けたあと、外科の先生が見てくれました。今度の外科の先生はとても優しい感じでした。挨拶をし自分の身分を名乗り、雑談をして子供を和ませながら診察してくれました。「腹痛はあるが現時点で直ぐお腹を開けようという感じではない。ひどくなったらいつでもここに直接来ていいから今日はうちで様子を見てください。GP行ってもどうせここに来るだけだから、ここに直接きなよ。」と言われました。私もその意見には同感だったのでその日はうちに帰りました。取り敢えず悪くなった際に引き受けてくれるところが出来たので安心できました。翌日、朝起きると案の上腹痛は悪くなっていました。そこで再度受診しました。再び問診を受けている途中震え(熱が上がっている際起きる所見)もきて一気に熱も39℃台に上がりました。この時も下痢等はなかったので、やっぱり虫垂炎なのか?と思いました。救急室では研修医がまず来ました。全く要領が得なかったので「何考えますか?」「血液検査とか画像検査とかしないの?」「昨日から食べれていないので点滴はして欲しい」と告げました。自信なさげに「ボスに相談してきます」とのことでした。待つこと少ししてボスがやってきました。「診察後この症状では入院をしたほうが私はいいと思う。血液の検査と超音波の検査をしましょう。点滴ももちろんしましょう。」と言いました。超音波検査室に行きました。おそらく放射線の先生が研修医を指導しながら当ててくれました。でも超音波を私達が普段当てている感じからすると30点?というくらいのレベルでした。ここでどうも虫垂炎ではなくその周辺の腸(回盲部)の強い炎症が疑われました。私はそういう結論が出るのかと思ったところ。リンパ節も少しはれていて、その先生は「CTとMRIで悩みますがリンパ腫も鑑別にいれて緊急MRIを取りましょう。」という流れになりました。超音波でそう見えたのかな??と思いながらも画像をとってくれるのでそのままとってもらうことにしました。MRIまでを待つあいだいきなり知らない女医さんが入ってきて、「私は外科医の○○だけれど」もといきなり言い始めて、いろいろ説明しだしました。「診断もうされたんですか?」と聞いたところ、「そうだ虫垂炎でこれから腹腔鏡で手術を行います」と言われました。「まだMRIもとっていないのにMRIをとったあと診断付けるんでしょ?」というとけげんな顔で出て行きました。その後例のボス先生が来て「となりにも似た症状の子がいて間違えだった。」と言われました。午後MRIを取りました。45分子供はDVDを見ながらの撮影でした。私も機械の部屋に入り子供の観察をしました。終わり、診断が下ると、腸炎で良さそうだとのこと、下痢も出だし、間違えなさそうな感じでした。急性のものである可能性が高いけど、今まで腹痛歴もあるし少し今後様子を見ていきましょうということで話がまとまりました。腸炎という診断でしたが食べれていないといっていたので入院になるかな?と思っていたところ、点滴を急速静注され(子供でしたが生理食塩水500mlを1時間でされ、)無理やりビスケットと水をだされ食べさせられ、解熱剤を渡され返されました。尿中ケトン体は3+でした。子供は数日かかって少しずつ良くなりました。MRIまでとってもらって無料でしたが、無料の弊害がイギリスの医療にあることが実感させられます。無料にする代わり、受付で日本よりしっかりガードして受診する人の敷居を高くしていることは間違えないと思います。また、このケースだけでなく何件か内科医なので知り合いに相談を受けた話を総合すると、こちらは検査、投薬もなかなかしません。日本が確かに過剰なのかもしれないと思う節もありますが、こちらの検査しない感覚も少し異常な気がします。古典的な診察手技もとても大切ですがもう少し画像などに頼れば早期発見できるものも見逃しているのではと思えてなりません。食生活もおおいに関係しているとは思いますが、男性の平均寿命が日本より5歳以上悪いと聞きます。このあたりにも原因があるような気がします。

その他にうちに起きた悪いこととして、家のパソコンが壊れました。Windowsが全く立ち上がらなくなり、いろいろ日本の発売元に聞いてもぱっとせず、こちらのパソコンショップで診断したところWindowsそのものを再びインストールする必要に迫られました。日本語版が欲しかったので日本から取り寄せ、何とか復帰しました。その後、車がパンクしました。日本であればオートバックスやガソリンスタンドなどで交換出来ますが、こちらのシステムがよくわかりません。インターネットで調べて、タイヤ込みで100£ほどで出張で交換に来てくれ翌日直りました。そうこうしているうちに日本でいう車検こちらで言うMOTというものに車を出したら、なぜかランプが通らず、250£ほどの出費になりました。そして、通販では、物品が来ない、来ないという連絡もなく問い合わせると欠品ですとの無責任な対応にあい、さらには他の通販のものは物品不足で来る始末。ほとほと疲れて、さあ気を取り直して頑張るぞと思ったら、今度はテレビが真っ黒で音だけになってしまいました。災難は続くものです。日本だったらきっとお祓いに行くと思いますがここはイギリスです。運が回ってくるのを待つしかありません。9月に入って風向きが変わったように思います。捨てる神あればひろう神ありです。テレビはたまたま日本に帰国される方から安く32型の巨大テレビをゆずっていただけました。一挙に大きくなったテレビにびっくりしながら、家族共々無事に過ごせるのは幸せなことだとつくづく感じています。

スコットランドプレミアリーグもみにいって来ました。 我が家には不釣合いな新しい大型テレビ。
久々のエジンバラ観光。カールトンヒルから見える有名な景色。 カールトンヒルからホリルードパークを見渡す。
エジンバラにありがちな立ち込めた雲。その間から虹が。
妻の父母が来てくれました。孫へのお土産。

2012年10月24日

その19;~フランスへの旅~

10月に入りエジンバラはめっきり寒くなりました。最近では最高気温10度を切ることもしばしばあり、冬の到来を感じさせます。スッキリ晴れる日もほとんどなくまさに新潟の冬がいち早くやってきた感じです。これから日の長かった夏とは裏腹に日の短い短い冬がやってきます。10月8日恒例のMonday meetingが有り私が当番でした。1時間弱いくつかの肝臓グループメンバーの前で発表しました。だいぶ最終局面になってきたので日本語でも発表大変な量でしたが、英語となると本当に一週間前から非常に頭痛の種でした。何とか一応成功と言える状態で終わることが出来、気持ちがスッキリした後、丁度子供の学期ごとの一週間の中間休み(日本にはないシステムです。)に重なっていたので我が家はフランスに家族旅行へ行くことにしました。

10月12日エジンバラを出発しパリに向かいました。かねてからこの日に出発することに決めていました。どうせ行くならその日丁度行われる、日本代表対フランス代表の親善試合をフランスで見たかったからです。朝大雨だったのでバスで行く予定が急きょタクシーを呼んで行くことにしました。パリには飛行機で直通2時間弱、日本だったら新潟から北海道もしくは九州に行く感覚で行けてしまいます。値段も一人ホテル5泊して5万円しない位でいけとてもお手軽感がありました。付いてその日パリは金曜日、空港から電車は少し治安が悪いこともあると聞いていたのでバスでパリ市内へ行きました。早く付いて夜のサッカーの前に観光をしようなんて思っていましたが、バスはかなりの渋滞で終点オペラ前に着くと早速フランスで噂のスリもしくは詐欺が疑われる集団に出くわしました。後から聞きましたが、丁度バスの降りたところはよくその集団がいるそうで、大きなカバンをもった日本人家族は格好のターゲットだったに違いありません。その怪しい人とはこんな人でした。いきなりあなたは英語が話せるか?と近づいて来ました。少しと答えるといきなり署名を!といてきました。3行ほどの英語をわずか3秒ほどで英語になっていない英語で説明しいきなり「署名して!」とペンを渡そうとします。その説明には子供の何かを救うことがパッと見書いてありましたが、見ず知らずの外国人にいきなりこんな事を聞くのはおかしいのでむこうが「署名して!」というのとほぼ同時に強く「No!」と言いました。その人は「お願い」とかなり強い調子で言いましたが完全無視して立ち去ることにしました。どうやらこの対応は正解だったようです。あとで聞いた話では、署名しているすきに仲間がすりをしたり、もしくは署名をしてしまうとこれは寄付の署名だと言って金を払うように言われることがあるそうです。身をもってパリの犯罪の一部に触れることで、引き締まった状態で旅行がスタートしました。何も奪われずスタート出来ました。

最初の日ホテルに着くともう昼の3時すぎ、サッカーのツアーの(開始が9時。終了が11時で治安を心配してバスツアーに)集合は夕方6時だったのでその前に腹ごしらえに、日本食堂がたくさんあるサンタンヌ通りにいき久しぶりにエジンバラの知人が紹介してくれたラーメン屋に行きラーメンを食べました。店に入った瞬間立ち込めるラーメン屋の匂い。家族でこの匂い懐かしいね!と言って感激しました。エジンバラではなかなか味わえない感覚です。注文した味噌ラーメンがきて、久しぶりだと思って麺を早速吸い込むと、あのラーメン屋のこってり感に体が慣れていなかったのか、いきなりむせてしまいました。しばらくむせてしまいましたが、久しぶりのラーメンは本当に美味しかったです。ラーメン、餃子、そこにライスも注文し腹ごしらえは終え、またそこのラーメン屋の近くには日本式のパン屋さんがあったのでメロンパン、クリームパンなどを買いサッカーへ行きました。サッカーの競技場について驚いたことは、なんと日本人の多いことか。さすがパリといった感じです。このサッカーのために日本からきた人もいるなんてびっくりといった感じです。(私もエジンバラから来て似たようなものなのかもしれませんが。)試合は終始押されっぱなしでしたが見事に最後にカウンターから得点し勝利。これで日本代表選はオリンピックから続いて3連勝。我が家はなかなかついています。ついていると言えば、ハーフタイムの時、グランドから観客にサービスでフランス代表のユニフォームを着たくまの人形をバズーカー砲で客席に打ち上げていましたが、それを妻が見事キャッチ。次男はくまのぬいぐるみを満足そうにずっと抱いていました。その日はバスが宿まで送ってくれ、宿に着いたのはもう12時過ぎ、初日は疲れましたが充実でした。

次の日、大雨でした。エッフェル塔に行く予定をやめて、ルーブル美術館に行きました。雨で客足がルーブルに集まったようで大変な混み方でした。しかし二歳児の次男がいたためにほとんど並ばず通してくれました。ラッキーです。美術とはうちの家族は程遠いところに位置する家族ですが、モナリザやミロのビーナスなど教科書に乗るものだけは見ておこうと言うことでガイドブックにのっている短縮鑑賞コースを更に短縮して見ていきました。モナリザの前に行くと「とっても有名な絵だから、これ絶対に覚えておくんだぞ」と長男に言ってから見せました。(このセリフはその後絵や彫刻に数回使いました。)モナリザの鉛筆も買い、学校でモナリザを見たと行ってきたようで、これで彼の記憶に残ったかなと親として勝手に満足してしまいます。短縮の短縮コースでしたが、午後からの出だしでしたのでその日はルーブルで終ってしまいました。次の日今回の旅行の私の目玉、モンサンミッシェルに行きました。パリから350キロほど有りバスツアーで行きました。本当はTGVにのって行きたかったのですが、発表前で非常に忙しくゆっくり調べていこうという気分になれずついついツアーを選んでしまいました。モンサンミッシェルは有名な世界遺産ですが、つい数年前まで知りませんでした。子供と漫画のケロロ軍曹の映画を見に行き、そこでこんな美しいところがフランスにあるんだとしり、それ以降留学が決まってからは絶対に行こうと決めていました。片道3時間以上かかりましたが、それだけかけても行く価値のある景色が広がっていました。パリはその日大雨だったそうですが、モンサンミッシェルは快晴。清水寺もしくは江ノ島?といった参道が修道院に向かう道に有りました。参道で食べられる名物のオムレツも食し、修道院を見学し帰って来ました。ツアーで疲れ果て、次の日は午後近くからエッフェル塔に行きました。予想通りの混雑でした。やっと登れましたが、こんでいたため、一番頂上までは登れず真ん中ぐらいの第二展望まで行きました。(高所恐怖症の私には好都合でした。)すいていて行くことができるようになっていたらきっと妻と長男は一番上まで行こう行こうと言っていたでしょうから。いい景色が広がっていたことと思います。私はずっとまんなか付近に次男といたのでほとんど景色を見ていませんというか見れませんでした。築100年以上の塔。考えただけでぞっとします。最終日パリ(ユーロ)ディズニーランドに行きました。平日でしかも朝雨模様だったので非常にすいていました。ほとんどの乗り物が20分以内で乗れました。ショーも非常に面白いものを二つ見れました。混んでいる日本の東京ディズニーランドの二回分くらい遊べたのではないかと思いました。約10時間滞在しましたがあっという間にすぎてしまいました。子供たちは非常に喜んでパリの旅行は終わりました。パリに行ったのにほとんどフランス料理は食べず我が家は日本食堂街に連日出没していました。今年の年末の年越しそば用に‘どんべい’も買ってきました。

帰りのタクシーは、朝4時半に頼んで置きました。4時半前にチェックアウトを済ませて確実に4時半前に待っていたタクシーに乗ったところメーターはまさかの14ユーロからのスタート。??朝早く呼んだサービスで高くなっているのか、それとも来てすぐ勝手にメーターを入れ始めたのか、謎です。フランス語で聞くことも出来ず。最後にして何かとても悔しい気持ちになりましたがチップを払わず帰ってきました。エジンバラに帰ってきてまだ実験は完全には終わっていませんが書けるところから論文を書き始めました。メリハリを付けて頑張ろうと思います。

久しぶりの味噌ラーメン。 フランスに勝利!
ルーブル美術館;モナリザと対面。 モンサンミッシェル;名物のオムレツも食べました。
セーヌ川の水上バスからエッフェル塔。
パリディズニーランド、すいてました。

2012年12月3日

その20;~二人きりの旅~

11月後半に入り、ようやく日本の気温もエジンバラに急速に追いついてきて、新潟と変わらないくらいの気温のときは嬉しくなります。しかし冬時間になり一層夜が早く来るようになり、4時を過ぎると暗くなってきます。日によっては3時台から暗い日もあります。あとひと月、日はどんどん短くなるのかと思うと少し暗い気分になりますがあと8ヶ月と少し、止まっている時間はありません。

今月特に印象に残っている事は長男との旅行です。その前に、長男は現在、(日本では小学3年ですが)現地校のP4に属していますが、1年と4ヵ月本当に英語が本当によく上達したと思います。私が聞き取りにくい言葉もよく聞き取ってくれますし、学校の友達とも先生との面談にて聞く限りでは問題ないということです。しかし、よく留学前に色々な人に「子供が心配だ」というと「子供は英語の吸収が早いから大丈夫だよ。全然心配しなくて。」と励ましを頂きましたが、この1年4ヶ月それほど生易しいことではないというのが正直な感想です。この1年4ヶ月子供と土曜日以外ほぼ毎日続けてきたことは一緒に英語の本を読むことです。Oxford reading treeという教材から始まって、次は簡単な薄い本になり今は、私でも予習なしでは教えられない150ページ以上もあるかなりの長編を読むようになっています。私には現地の人のような流暢な英語を教えることは不可能なので、一日5-6ページ、一緒に読んで全部一緒に訳して、新しく出てきた単語や表現を書かせるという作業です。もちろん子供でもすぐ単語は忘れてしまいますが、多くの量を読み、何回も単語が出てくることで少しずつ難しい単語も覚えて行きます。今やっているのは少なくとも高校生レベル以上だろうなと感じます。これでも現地校の子のEnglishのreadingのmiddle classにようやく入れた感じです。現地校に入ったら必ず英語ができるようになる。これはどうやら間違いの気がします。そうでない子も多いみたいです。私達が英語を習得するのが難しいと感じるように、子供もそう思うのだというのが最近の実感です。だから誰かがやっぱりサポートしなければ上達はなかなかこのぐらいの年の子はしづらいというのが本当だと実感しています。本当は内心私との英語の勉強は嫌だと思っているのでしょうが、毎日頑張ってくれていてありがとうというのが私の本心です。

こちらにきて長男が本当に打ち込んでいるものはサッカーです。金曜日サッカー練習に行き、学校でも友達とサッカーをやり、サッカーカードを交換し、お店に行けばサッカーカードを購入したがり、日曜は早起きしてサッカーの試合のダイジェストを見て、最近ではアルビレックス新潟のスクールに入りたいと言い出す始末。サッカーの事は、野球ばかりしてきた私には教えることができませんが、好きなサッカー、そしてこちらでは本当に世界トップと言えるチーム選手が見ることができるのでそれに連れて行ってあげたいというのが、親の希望でした。そして、サッカー選手はここまで来るのに、大変な努力をしてきていることを学んでくれたらという気持ちをいつも伝えられたらいいなと思っています。そんなこんなで、11月はじめ、二試合のbig gameを見に行く二人旅をすることになりました。1試合目はマンチェスターにマンチェスターU VS アーセナル、二試合目はグラスゴーにセルティック VS バルセロナです。どちらも二人で行きました。私自身も観たいという気持ちももちろん強かったのですが。長男との二人旅。新潟に帰るとなかなかこんなこともできにくいだろうから、ましてや海外での二人旅はおそらく最後になるかもしれないからと思うととても貴重な時間に思えました。

マンチェスターは土曜日12時45分開始でしたので、当日の日帰りの旅でした。朝まだ6時台真っ暗な中、駅へと向かいました。電車にのり、前日に食べたカレーの残りを詰めてもらった朝ごはんを二人でつついて食べました。乗り換えを一回しマンチェスターに10時過ぎに付き、オールド・トラフォードへ向かいました。一年前来た道でしたので要領は得ていました。着くとすぐメガストアーに行きました。今回目的の一つの香川選手は怪我で出られませんでしたが香川選手のユニフォームを息子に購入しました。背番号や名前、そしてワッペンをいれると合計60£(7500円以上)かかりましたが、ほかにお土産は買わなかったので行った記念にはしょうがないと思いました。毎回自分のも買いたいなと思うのですが、いつも子供のを買うと自分の分を買うのを合計のお金を考えると躊躇してしまいます。買い終え、プリントしてもらうと、もう試合開始40分前、いそいでホットドックを屋台で買い球場へ入りました。香川選手がいなくてもマンUはスター選手ぞろい、去年は息子はあまり選手の名前を知りませんでしたが今年はすべての選手を把握しており、その名前の覚える速さには感服してしまします。マンUがアーセナルをやぶり強さを発揮したのを見届け、帰りました。往復7時間の電車の旅でした。

そのおよそ4日後今後はグラスゴーに泊まりがけで、セルティック VS バルセロナのチャンピオンズリーグの試合を見に行きました。大方の予想はバルセロナが力を発揮して楽勝するだろうと見られていました。私も息子もそのように予想してバルセロナを内心応援する予定で行きました。当日学校が終わるとすぐにバスに飛び乗り、グラスゴーに行き、ホテルにチェックインの後、球場に向かいました。当日は雨、最寄りの駅から1キロほど歩かなければなりませんでした。二人で寒い中歩いていくのもいい体験です。今回もお弁当を用意してもらっていたので、球場に着く前にある屋台では何も買わないと思っていましたが、寒さと匂いに負け、屋台でまた買って球場入りしました。セルティックの球場に入り雰囲気が今までのどのチームとも違うことがわかりました。サポーターの熱気が中途半端でありませんでした。丁度125周年にあたっていた事も有り試合前から125を型どった人文字がスタンドに出来、みんなで「You never walk alone」 を歌い、息子と二人その熱気のすごさに圧倒されていました。試合が始まると声を出して応援をするというのはどこのスタジムでもありますが、足元が揺れるほどみんなで飛んだり、みんなで肩を組んで踊ったり、と大変観客は興奮していました。日本のどこかにこんな風景があったなと思ったのですが、それはまさに甲子園球場の興奮と近いものが有りました。となりに座っている人も大変な興奮具合でした。日本人とわかると中村俊輔選手が昔いた事で日本人には好意を持っているのか、色々話かけてきました。スコットランド訛りが強くまたうるさくあまり聞き取れませんでしたが、非常に興奮していることだけはよくわかりました。試合もその観客に押されてかまさかの2対1でセルティックの勝利、となりにいたおじさんはセルティックに点が入るたびに上機嫌になって抱きついてきたり、子供に1点に付き1ポンドのお小遣いをくれました。また、別のお客さんも息子が応援時みんな持っているセルティックのマフラーを持っていないとのことで、これをつけなさいといってマフラーをくれたり、非常にサポーターによくしてもらいました。帰りも1キロの道を駅まで歩いて帰りましたが、サポーターはみんな歌いながら上機嫌に帰って行きあきませんでした。二人してバルセロナの選手の凄さよりもセルティックの偉業に興奮していました。ホテルに帰り、二人で一つのカップラーメンを食べ泊まり、朝一番で朝食をたべ次の日学校に3分ほど遅刻でしたが、何とかうまく滑り込み遅刻にならずに帰ってきました。私にとってこの二試合は非常に面白いものでしたが、息子の記憶のなかにも残るものであったら嬉しく思います。

12月目前、実験は確実に終わりが見えてきました。平行で論文も書き始め、エジンバラ留学の終盤戦へと入って行きます。最後の実験も始まり、研究でも何かが残せるそう実感できるようになってきました。一層気持ちを引き締め仕上げないといけないという気持ちになってきました。今年のクリスマス、正月は少し休みますが最後の追い込みで去年より忙しくなりそうです。

セルティックの応援;125の人文字。 体を温めてくれた屋台の揚げたてのfish & chips。
次男はトーマスのケーキに釘付け。 中華のdeliveryをとったりしています。
サッカーじゃありませんが、ハンドボールの大会でメダルをもらいました。
全校集会での発表;なかなか堂々喋っていました。
同門会の皆様へ