お知らせ

2011年08月21日

無事着きました。皆さんお変わりありませんか。ご迷惑をかけすみません。特に肝臓班に。

こちらの生活は暴動などどこ吹く風で平和です。ネットが使えなかったので暴動のおきていた事すら数日後バスにあったフリーペパーで知りました。荷物が届くまでの数日間は大変でした。4日目に携帯をゲットし、10日後に航空便が届き、12日に船便が届き、18日に家にネットが開通し、子供は小学校に溶け込み始め、嫁も日本人学校補習校を通じて近所に知り合いを作りようやく研究が開始出来る体制が出来てきました。

家も確実に進化してきており快適です。日本食、調味料も一通りそろいますし、ご飯も日本~仕入れたイギリス電圧対応の炊飯器が活躍して食事でもストレスを感じなくなりました。ショッピングセンターもすぐそばで小学校も目のまえで生活も非常に便利です。何とかいい準備が出来たと思います。ボスの夏休みが明ける来週、私の仕事もはじまります。なかなか大変でしたが休みが長かった分かえっていい準備が出来ました。

エジンバラは10時前まで明るく、猛暑もありません。朝は10度を割る事もあり寒いくらいです。それでは。

2011年09月10日

その1;~留学までの道のり~

留学記は自分にとっても経験を書き残すチャンスですし、また後輩のみなさんの留学の少しでも助けになればと思いこれから書いていきます。
 
まず、初めに私が留学をしようと思ったのは、約2年半ほど前だったでしょうか。京大の国内留学から帰ってきて新潟で実験を開始しましたが、臨床と研究を両立させるのに正直時間的にも制約がありましたし、自分の実験の中に多くの肝障害モデル動物、解析に必要な器具等を多くもっていない希薄さを感じていました。そして、身近に肝再生の実験をしている人が多くなく、少し自分の実験に閉塞感を感じていました。しかし、いろいろな研究室や論文をネットで探しはじめました。この時点ではいいところがあったら行こうとは思っていましたが、金銭的負担、家族の生活もろもろ考えると新潟にずっといるのも悪くないと思う気持ちもありました。

そんなある日、検索に引っかかってきたのが今行っているイギリスのエジンバラにある研究室です。肝臓組織幹細胞に注目した研究テーマでまさに自分の研究分野に一致していました。多くの実験系を持っていることも過去の論文からわかりました。行くならここにしようと決めました。教授、医局長に相談したところ、快くOKの返事をいただきました。行くのは現在やっている仕事が落ち着く2年後くらいと決めました。CVを書き、今までのpaperをまとめ、e-mailと郵送で送る準備をしました。まずは全くの門前払いを食うかもしれないので、メールで
「私はこんなもので、こんな仕事をして来たのだけれども、そちらでポスドクとして研究を行うことができるか。可能性があるならばCV等郵送で送ります」
との旨のメールを送りました。メールをだして安心してトイレに行き戻ってくるともう返事が返ってきていました。
「君はうちの研究室にフィットしたことをしている。給料は出せないと思うが、それで問題なければ支障はない。CV等を送ってくれ。」
とのものでした。給料のところはやはりそうかという気がしましたが道が開けたので、実現のために今度は何をするのか考えました。私は3人家族(一年後に4人家族に)だったのでお金が必要になることは明白でした。

我が家に二年間の倹約令が敢行されました。二年間で帰省以外の大きな家族旅行は避けました。大好きな温泉も『湯ったり苑』で我慢しました。続いて、いくつかの病院に当直などでお世話になりました。最後に競争的資金として、2年間の返済義務のない留学生のための奨学金を幸運にも二年間いただけることになりました。子供もできればもう一人ほしいと思っていました。異国の地で生むのは抵抗があったので二年間のうちにほしいと思っていました。6年間できなかった二人目がこのとき出発の一年前に生まれました。多くの方の協力と幸運にも恵まれ、何とか厳しいといわれるイギリスのVISA取得にも無事パスし、留学に出発する日を迎えることができました。出発までの日々も織り交ぜ、今後書いていきます。

平成23年8月1日、親の住む富山を経由したのち父親も手伝いでついてきてくれて、羽田空港からロンドンに向け出発しました。ロンドン、ヒースロー空港は大きな空港でした。いくつかの関門を無事通過し、その後、親のおかげで空港のラウンジでのどかな休息と食事をとることができました。出発30分前エレベーターに乗り搭乗口に行く途中、ガタンという大きな音とともにエレベーターに閉じ込められました。SOSのボタンを押しまくりました。2分ほどしてようやく開いて無事搭乗口に行きました。閉じ込められている間は、飛行機に遅れることが頭によぎったいやな時間でした。それ以降、イギリスのエレベーターはどうも信用していません。

1時間後ロンドンから無事エジンバラに夕方到着し、空港で不動産屋に電話し、タクシーで不動産屋に行きカギを受け取り、新しい我が家へ向かうのでした。 (平成23年9月9日)

2011年09月19日

その2;~エジンバラ到着~

夕方4時過ぎ、羽田から約18時間とうとう、エジンバラに到着しました。子供たちは飛行機の中で非常にいい子で旅自体はとても楽に感じました。長男は映画『Rango』を二回見てげらげら笑っていました。しかし、旅はまだここで終わりではありませんでした。30%オフという看板につられ、空港カウンターで、持参した大型海外旅行バッグが3個入るタクシーを頼み不動産屋にまず向かいました。タクシーの運転手は当然のごとく私服で、腕にはtatooがある腕っぷしのいいお兄さんで、おそらく自分の好きなハードロックをお構いなしにかけ、鼻歌交じりに運転していました。見渡したところメーターのようなものもなく(後でわかったのですが自分の後方にあったのでわからなかった。)『ぼったくられる?』一抹の不安を抱えながら私は助手席に乗り込み、まず不動産屋に行きました。エジンバラには今年の4月、留学の4か月前に一度訪問し、2回目でした。家はその時決めたものでした。

サンコンさんに似ている黒人の不動産従業員がよく来たと迎えてくれました。カギを受け取りそのまま再び待たせておいたタクシーに乗り込み、とうとう家に到着しました。
『20.5ポンド(2600円くらい)。』
思っていたより安かった!乗った感覚では新潟大学病院から五十嵐のキャンパスぐらいまで乗った感じでした。30%オフの看板に偽りがないことを確認でき、得した気分になりました。しかし、長男が旅の疲れから深い眠りにはいっていました。起こすと前の座席をけるような感じで駄々をこね、ようやく降りることができました。父が気前よく『タクシー代は私が出そう』といってチップを含めて25ポンド払うとドライバーは上機嫌に重い荷物を家の建物の前まで運んでくれました。

家は築10年くらいでしょうか、4階建ての日本でいうマンションの3階でした。エジンバラには築うん十年はおろか百年単位のものもあると聞くので我が家は相当の新築物件といってもいいのでしょう。マンションの周りは芝生がきれいに管理されており、イギリスの家にきたと実感しました。
しかし、中は覚悟していたものの汚かった。Full furnishedと書いてあったのだが。。。確かにある、洗濯機、冷蔵庫、テーブル、ソファー、ベット、掃除機そしてのちに壊れていることがわかった電子レンジ。どれもそれなりにねんきが入っていました。不動産屋が『家具は古いので全部新調しますからね』という言葉は守られていなかったようです。一つだけ新しい家具がありましたがそれは小さい炬燵をさらに小さくしたくらいの大きさの非常に軽いコーヒーテーブルだけでした。(のちにこのテーブルはIKEAで7.5ポンド(1000円しない)で売られているのを発見しました。)
洗濯機の洗剤の投入口はカビがすごいことになっていました。『カーペットや床がねんきが入っているので、赤ん坊がいるから取り替えることはできるか?』と不動産屋に新潟にいるとき聞きましたが、『掃除のプロがspecialな対応をするから大丈夫!ご安心を!』との返事をもらっていたもののこれがプロ?という状態だった。掃除しに来た人も靴を履いて掃除したのでは意味がない。。。という気がしました。
到着した日は一泊ホテルに泊まることにしていたので、大型の荷物から必要物品だけ持ち出し、明日の大掃除を覚悟して我が家からホテルへ向かいました。家を出るころ、もう夜6時を過ぎていたでしょうか?しかし外はまだ日本の昼3時くらいの明るさでした。真夏の猛暑の日本から来てそのまま半袖だったのでこの時の20度前後の気温は少し肌寒い感じでした。二階建てバス(エジンバラのバスはほとんど二階建て)に乗り込み、市の中心部にあるホリデイインホテルに行きました。到着するなり、長男は疲れから風呂も入らずベットに寝てしまうのでした。私もシャワーを浴び布団につくなり、瞬く間に睡眠に入ったのでした。

                          家の前の通り、エジンバラのバスはほとんど二階建て                                                      バスの二階の最前列からの眺めは非常にいいです

2011年09月28日

その3;~荷物が来るまで~

8月2日、ホテルでエジンバラでの初めての朝を迎えました。エジンバラの空は、昨日の快晴とはうって変わってどんよりした曇り空で、小雨が降っており、イギリス、エジンバラの気候の洗礼を受けている気がしました。朝食を済ませ、チェックアウトし肌寒い空のもと、家に再びバスで向かいました。

家に帰るなり、電気、ガス、水道などが使えるか確かめました。しかし、ガスがいくらやってもつきません。しかし、家には携帯もなければ電話もない状態でした。まず歩いて5分ほどのところにあるショッピングセンターへいきました。決して大きいとは言えないショッピングセンターですが、日常品を買うには十分な施設です。ちょうど新潟でいえば映画館のない『デッキー401』位の大きさの施設で、中にはいくつかのショップと『Sainsbury’s』というこちらではメジャーなスーパーが入っています。日本の100円ショップに相当する1ポンドショップも中に入っています。Sainsbury’sはちょうどジャスコにあるくらいの大きさの食料品部門に加え、電化製品、洋服、鍋、布団、等の日常品も買える非常に便利なスーパーです。

まず、公衆電話で、不動産屋の携帯に電話してガスをどう使うのか聞こうとしました。50ペンスを何枚か用意して電話を掛けると、「私はAstunori Tsuchiya」だけれどもと話す。私が誰だか認識できず「おたくは。。。。」と向こうが話始めたところで50ペンス分の電話が終了してしまいました。もう一回、「どこどこに住んでいる土屋だけども」と伝えるとようやくわかってもらえ「家はどうだ。。。」となどと話始めたところで再び時間が来てしまった。この時点ですでに小銭がなくなってしまい、途方に暮れていると、公衆電話であったが、電話のベルが鳴る音がして、向こうからかかってきて救われました。ならば最初からお願いすればよかったと思いながらも会話をつづけ家のガスの状態を見てほしい旨告げた。家のチェックもしなくちゃならないから今日午後行くよと来てくれる約束を取り付けようやく電話は終了しました。

Sainsbury’sで鍋、布団、食料品、風呂関連、掃除道具などを一通り買い、ショッピングセンターのフードコートで昼食を済ませ、家に帰りさっそく掃除をはじめました。予想はしていたものの雑巾は瞬く間に黒ずみ、床は雑巾がけを何回かした後さらに除菌シートでふき取りをしました。絨毯は掃除機をかけファブリーズをすることを繰り返しました。午後になり、不動産屋が家を見に来ました。ガスのつけ方はいわゆる元栓が日本の位置とはかなり違うためにつかなかっただけで、たちどころに解決しました。一通り絨毯がおかしいところ、鏡が壊れかけているところ、扉がへこんでいるところなどをチェックしたのち「今後、インターネットや研究をするためにデスク、椅子を用意します。また、ベットも客人が来たときのものがないでしょうから用意します。」とのコメントをもらいました。しかしこれらはいまだに家に到着していません。。。(何度か問い合わせようやく最近机は購入したとの連絡が来ました。)

携帯電話は日本にいるときにすでに頼んでいました。8月3-4日にくる予定で頼みました。(ハナセルという会社で通話は受ける場合は無料、かけるときも良心的な値段でかけられ、話した分だけ請求されるというものです。ネットは有料ですが使わなければ金がかからず、Wi-Fiスペースに行けば無料でインターネットが使えるという電話会社の携帯を頼みました。基本料金は月額4.95ポンド(600円くらい)で使わなければ、基本料金の通話代が繰り越されるというものです。かなり格安だったので不安もありましたが、最初のひと月、かなり事務手続きなどで使ったのですが夫婦二人で4000円行かないくらいで、かなり安く感じました。これからこれ以上かかることはないと思います。)

ついてから掃除をひたすらしたものの、何か足りない感じがしました。家にはもちろん日本から6月1日に船便で送った荷物や、7月31日に富山から送った航空便がついていなかったこともあります。しかし、最も足りないと感じたのは情報です。普段は、テレビもありネットもあり、メールもし、新聞も読み、携帯で電話し、メールし、そんな知らず知らずのうちにあふれんばかりの情報の中に身を置いていたのが、急に何もない環境に置かれると非常に物足りなく感じました。8月4日いよいよ携帯が来ました。携帯が来たことがなんとうれしかったことか。こんなに簡単にどこでも電話がかけられる喜びを実感しました。さっそく引っ越し業者に連絡したところ、航空便は10日に船便は12日につくことが決まりました。船便はロンドンにいち早くついていたのですが、私が入国するまでは荷物は通過できないことになっているようです。荷物のつくまでの間は我が家のトランク二つ、と親の持て来たトランク合わせて三つとこちらで買ったものでの生活でした。6日親が帰ると、物不足の家の中は一段とさびしくなりました。家族4人での生活が始まることを実感しました。

携帯が来たことで、申し込みの電話欄が書けるようになったので、次は銀行口座を開設することにしました。イギリスでは銀行口座はなかなか開けない、スコットランドの地元の銀行では特にそうということをよく聞いていたので、準備を完璧にしたつもりで出かけました。銀行は近くのショッピングセンターにあるLloyds TSBという大手の銀行にすることにしました。パスポート、住所の証明できる家の契約書、ボスからの身元証明書、日本の銀行の資金証明、奨学金の証明書などを持っていきました。夫婦でjoint accountを作ろうと乗り込んだのですが、ここで思わぬことがおきました。私の口座は問題なく開設できたのですが、妻の口座が妻の住所が証明できるものがないとのことで断られました。日本からもってきていたVISA申請の際の戸籍の英訳を見せ夫婦だということを証明しようとしましたが、駄目でした。結局その日は、自分の口座とDebit VISAカードを申請して終了しました。外国のインターネットバンキングを開設するのは不安があったのでその日は申し込みませんでしたが、その後いろいろな振込みにインターネットバンキングがあると非常に便利であることがわかりネットバンキングを申し込み活用しています。(振込みに20ポンドから30ポンドかかります。ネットだと銀行に行かなくてよいうえに自行他行問わず振込み手数料が無料になります。)

7歳の息子は、日本を出発する前、プロ野球やネットでのゲームに強い興味をもちはじめていました。毎日インターネットを使って結果を見たりしていたので、こちらに来ていきなりインターネットが使えない環境に「インターネットやりたい」を連発していました。家には前の住人が使っていたと思われるVirgin mediaのインターネットのコネクターがありました。インターネットを家で開始するならここが一番早いに決まっていると思い、申し込むためにインターネットをしなければということもあり、二人で駅までインターネットできるところを探しに行きました。そこで思い浮かんだのが以前エジンバラを訪れた際に泊まったホテルでした。そこは1ポンドで30分インターネットができるところがありました。最初15分くらいでVirgin mediaの申し込みフォームに申し込みをし、その後電話がかかってくる状態にしました。その後15分で巨人の結果や、子供のゲームをさせ、かえって来ました。もっとゆっくりインターネットができるところはないか?家族で考えました。そこで浮かんだのがスターバックスです。それから家族はたびたびパソコンをリュックに詰め込んで、スターバックスに出かけました。何となく毎回同じところはいつものが来たと思われると嫌だったので、駅周辺のスターバックスを巡りました。コーヒーフラペチーノ、マンゴフラペチーノがいつも家族の頼む定番でした。これで赤ちゃん連れの家族がインターネットをしている様子は、何となく『一杯のかけそば』ならぬ『二杯のフラペチーノ』だと思いました。ある日スターバックスでメールを見ると大学の小林先生からメールが来ており私もかつて所属し4月まで名だけ監督をしていた野球部が東医体準優勝したことを聞きました。自分がこんな環境だったときだったので、非常にうれしいニュースで、自分も頑張ろうという思いを強くしました。

10日に航空便、12日に船便が来たとき、自分たちが送ったものにも関わらず、大きなプレゼントをもらったかのような喜びを感じました。家は一挙に豊かになりました。インターネットも18日に開通することが決まりました。インターネット会社との電話のやり取りは苦労しました。ようやく契約まで辿りついたと思ったら、送られてきた確認用紙が『Tsuchiya』ではなく『Tsukiya』になっていてまた、電話をかけて訂正しなければならず最後まで苦労しました。生活の立ち上げは本当に大変だなと実感した2週間でしたが、これほど家族と濃密に接したことのない2週間でした。荷物がついたらさっそく近所の公園に家族で出かけ息子と野球をやりに行きました。帰りに公園でお弁当をみんなで広げて食べたりもしました。公園には広大な芝生がありところどころある大木の付近には、リスも見ることができます。8月15日夏休み明けのLabのボスに電話をすることになっていました。子供の小学校も17日から始まることになっていました。いよいよ物もそろってきて、いろいろなことが動き出そうとしていました。

                                                                  footballの国でbaseball

2011年10月09日

その4;~長男、小学校に行く~

8月15日を迎えました。17日が学校の始める日でしたがこの日は、小学校の校長先生に会い、学校生活で必要な物品を買う日でした。午後2時前、家族そろって学校に行きました。学校はマンションに続く小道からバス通りに出てわたるとすぐ、歩いて2-3分のところにありました。正面玄関から入り、受付に校長先生(Headteacher)との約束の件を告げると少し待つように言われました。
日本では小学校2年生に相当する長男は、普段あまり緊張する様子を見ることはありませんが、このときはやはり緊張したのか、多弁になり、しきりに壁の絵、写真、英語の掲示板を見ては質問してきました。10分ほど待ち、ロシアのプーチン大統領をやさしくしたような感じの、校長先生が笑顔で来てくれ、以前訪れた時会って以来4か月ぶりの再開を果たしました。

4か月前、エジンバラに最初に訪問したとき、この小学校の校長先生に会っていました。小学校にどうやって子供を入れるのだろうか?このことはあまり留学ガイドなどには書いていません。日本人学校はエジンバラにはなく現地校に入れるしかありませんでした。学校は公立、私立に大きく分かれ、公立もキリスト教系と宗教の関係のない学校とに分かれます。公立の、宗教の関係ない学校に入れようと思いましたが、実際どの学校がよいのか全く分からない状況でした。困ったので、まずGoogle MAPを見渡し、どこが一体住みやすい場所かを考えました。次に、これから行こうとする教室のラボに以前いた小学生の子供がいた留学生をボスに紹介してもらい状況を聞き、このとき日本同様学区があることを知り、その人の子が行っていた小学校は多くに留学生の子供がいて英語もきちんとサポートしてくれると教えてもらい、まず小学校の候補を絞りました。その後、その小学校のホームページからHeadteacher宛に小学校に子供を入れたい旨メールを送り、4か月前会うことになったのでした。

4か月前、校長先生は約束の日に校長室で温かく私を迎えてくれました。エジンバラまでの旅の話など少しした後私が、いくつか質問を用意してきたものを聞いていたところ、『では実際に、見ていただきながら説明したほうが早いでしょうから、スクールツアーに案内しますよ』、と私を学校案内に連れて行ってくれました。各教室を窓から覗き込むだけかと思っていましたが、先生と私は各教室に入り『日本から来ましたTsuchiyaさんです!』、と紹介してくれました。ある教室では、ちょうど自然災害について学ぶという授業で日本の大震災の勉強をした後だったようで、私が日本人であるということを知ると目を丸くしてびっくりした表情で見ている女の子がいました。さらにある教室では、『日本のことを誰か話してください』、と校長先生が質問を振りある子が、『春には桜が咲いて東京からは富士山が見えます』、と答えると校長先生は私に、『Tsuchiyaさんあっていますか?』、と聞いてきました。私はよく聞き取れず不覚にも東京に富士山があると解釈してしまい、『yes!桜は春とてもきれいですよ。でも富士山は東京にはありません。東京から少し離れたところにあります。』、と答えてしまい、校長先生に、『彼女は東京から富士山が見えるといっていたんですけどあっていますか?』、と直され冷や汗をかいたりしました。こんな調子でP1-P7まで(P1は日本でいえばx年生の意味)紹介していってくれました。授業の雰囲気はわかりましたが、小学生相手に緊張する時間でもありました。一通りスクールツアーが終わった後再び校長室に帰ってきて子供の生年月日を聞かれ、子供はP3に相当する年齢だということ知らされました。しかし、『来た時点で空きがあれば入れるということになっています。ですから、来たときにスペースがなければ入ることができません。』、と言われました。しかし前の日家はこの小学校の近くに借りようと不動産屋と仮契約のための費用を払っていたので、この家に8月に来た時点で、この小学校に入れないという事態になっては大変なので、その旨正直に告げ、『もしこの小学校に入れないようだとわれらは途方に暮れてしまいます。』、と泣きつき、その後、校長先生は事務のほうに相談に行ってくれ、『わかりました。現時点では空きがあるのであなたの息子は入学ということにしましょう。』、と校長先生が決断してくれたのでした。

校長先生は私の家族を息子の教室へ案内してくれました。クラスはP3/P2 (P3とP2の混合クラス)で生徒数は20人強で地元の生徒に加え台湾、中国、韓国、中東系はじめ各国から集まった子が多く在籍しているクラスだと教えてもらいました。たまたま、担任の先生もクラスに来ており、月曜日から水曜は女の優しそうな先生、木曜日、金曜日はいかにも体育の先生といった(実際体育の先生でした)しっかりした体つきの男の先生が担当してくれることとなりました。また、毎週月曜日にはEAL (English as an Additional Language)の授業、つまり、うちの子のように英語が母国語でない子のために特別に英語教育を行っていただけることになりました。こちらの小学校は、緑か黄色の学校のネーム入りトレーナー、黄色か白のポロシャツ、黒系のズボンなど一応制服があり、一通りそろえました。さらに学校の温かい防水ジャンパー、体育用のカバン、靴を含めて全部で4-5000円くらいと小学校用品は非常に安くそろいました。また、小学校の授業料は無料で、給食は弁当を持ってきてもいいし、一回当たり200円程度払って給食を食べてもよいシステムになっていました。そして、決定的に日本と違うのは、休み時間お菓子を持ってきて食べてもよいことになっている点です。ともかく、その日のうちにすべてそろえ、いよいよ入学の日を迎えました。

入学の日、私と長男は8時50分開始のところ8時30分位に学校につくように行きました。日本の学校のように各自教室に入って待つというスタイルかと思っていました。二人は正面玄関から入り、校舎の中の学校の受付の前に立ってまっていました。途中担任の先生に会いそこで待っているように言われましたが、その後待てども待てども生徒らしい人が見えません。『もしかしたら日にちを間違えたのか?』、と思うくらいの静けさでした。8時50分、古いタイプの目覚まし時計のベルのようなジリジリジリというベルが鳴りましたが一向に生徒は見当たりません。先生が一緒についてくるようにと後をついていくともう生徒はすでに裏口から教室方面へ向かっているところでした。こちらの学校では各学年ごとに教室近くの入り口前に集合してみんなで入るというシステムでした。また、P3以下は自分で学校へ来ることが許されず必ず親が送り、迎えに来るというシステムになっていました。

学校帰り、親のほうがドキドキしながら迎えに行った気がします。子供は飄々とした表情で出てきました。感想は『まあまあ』と親ながら、きもの座った子供の態度にびっくりしました。このようにして小学校は始まったのでした。親の研究デビューより一足先にデビューを果たしましたが親ながらあの度胸には大したもんだと感心しました。こんなところは妻に似た気がします。子供の小学校関係で家が一色になっているさなか、私もボスに電話を掛けました。『本格的に始めるのは9月からでいいよ。その前に来週月曜日一回私のofficeに来てください。』。私のこちらでの研究生活の一歩が始まろうとしていました。その前に、その週の土曜日、子供のスコットランド日本人学校補習校のデビューも控えているのでした。

                                                                     小学校へ通う

2011年10月24日

その5;~日本人学校補習校、そしていよいよ研究室へ~

8月20日土曜日、毎週土曜日にある日本人学校補習校に入学することになっていたため、エジンバラから25キロほど離れたリビングストンに行きました。日本語は自分たちでサポート出来るのではないかとも考えましたが、現地校だけではストレスも貯まることがあるだろうから同世代の日本人の子供と話す機会も作りたいという目的、そして何よりも妻の知り合いを作りたいという目的で行くことにしました。

日本人学校補習校は、リビングストンの現地の学校を間借りする形で行われていました。最初はまだ車が購入できていなかったので、電車で行きました。9時10分から学校開始でしたので8時6分エジンバラ発のリビングストンnorth行の電車に乗ろうと考えましたが、駅に着くと乗ろうとした電車はいっこうに掲示板に現れず、時刻表をよく見ると、小さく土曜日運休となっていました。仕方なく次の電車で行くことにしましたが、線路に止まっている電車はギリギリの時間までなってもいっこうにドアが開かず、おかしいなと感じているとよく見ると電車がとても長いことに気がつきました。もしかすると、と思い駅員に聞くとやはり前の方の車両だけ出発するとのことで、前の方までいそいで走り電車にようやく乗ることができました。
リビングストンの駅に着くと、調べていたはずのバスはいっこうに来ず、一体どうなっているんだと思いながらも初回から遅刻では格好が悪いので一台だけちょうど来たタクシーに飛び乗りギリギリで付くことができました。

ここの補習校は、全体で35人位、幼稚園から中学生まで各学年数人ずついて(一部少ないところは学年を融合させ)各学年に先生がいて授業を国語の授業を3時間行なってくれます。しかし運営は父母が中心となって行なっている学校でした。つまりそれなりに親の負担を覚悟しなくてはいけないということは有りましたが、このような環境ではいたし方ないなと感じました。授業開始前にはみんなでラジオ体操第一をやり、図書も思っていた以上に豊富でびっくりしました。長男は久しぶりに日本語の話せる授業を楽しんでいるようでした。特に休み時間に遊ぶことを楽しんでいるようでした。宿題は毎日30分程度は勉強しないと終わらない量出て大変ですが、日本に帰ったあとのことを考えたらやっておいたほうが良いかと思いました。そして何より、妻に知り合いがこれをきっかけにブレークスルーを起こしたかのように増えたのでした。日本人学校補習校はこうして始まり、それから毎週土曜日リビングストンに通う生活が始まるのでした。

そしていよいよ、8月22日、研究室へ通う日々が始まりました。研究室はエジンバラ大医学部と同一敷地内にあるThe Queen’s Medical Research Instituteという施設内にありました。ここの施設もかなり綺麗なのですが、10月半ばから(後に11月からに延期)研究室が同一敷地内にある新しくできる再生研究所に移動することが決まっていたので、ここは2ヶ月ほどの滞在場所となります。研究室は第三内科の全部の部屋を全てつなげひとつの実験室にしてしまったような作りになっておりかなり広い広さの研究室であり、そこをいくつかのグループが共同で使っていました。研究室にはいいところ悪いところがあるのでしょうが、新潟には新潟の良いところがあるように思えますが、ここのいいところは、肝障害マウスモデルがそろっていること、実験に必要な抗体、細胞、などがそろっていることそして、肝臓のグループの実験仲間が非常に多いことが挙げられます。肝臓の再生グループでは実験をしている人が10人、さらに線維化関連の研究をしているグループも合わせると20人を超えかなりの人数が肝臓に関連していることになります。肝臓の両グループ合同で月曜日には研究者が一人選ばれ一時間程度の研究発表を行います。金曜日には再生グループだけで各自実験経過の発表並びに今後の展望を述べます。毎週データのチェックがあるのである意味気が抜けない環境で正直厳しいなという印象を持ちました。

ボスにあったその日、ボスの部屋で持参したパソコンで実験計画の発表を行いました。計画はかねてからメールやスカイプそして実際に以前訪問したときに話し合っていて研究内容は既に決まっていました。良い実験計画が向こうにあればそれに乗ろうという気持ちも有りましたが、『自分でまず書いてみるので見てみてもらっていいか』と聞いたところOKを貰え、以前実験案として3つ提出していました。二つは新しくないということともうすでにこちらでやられているという理由で却下となりました。自分でもやりたいと思っていたひとつに反応を示していただき、「これをもっと大きくしていこう」ということでその実験に決まったのでした。イギリスは私の取ろうとした研究者枠VISA (Sponsored researchers) は二年が上限だったので二年でしっかり仕事を終わらせるにはしっかりした準備が必要であろうと考えました。日本出発前基礎データぐらい出しておこうと新潟で少し実験を行なっていたのでその発表を行い非常に興味をもってもらいました。『それで行こう』と受け入れてくれたことでやっと希望の場所で希望のことができる喜びが湧いてきました。自分では再生に関わる大事な仕組みと関連しているのではと漠然と思っていたのが質問を受けるうちに今まで曖昧だった疑問点、解決しなければならない点を明瞭に示してもらえたので、非常に満足の行く日でした。しかし、『じゃあ、明日研究室員のみんなに君の今までの論文の成果等を含めた研究発表をしてくれ』と言われ、明日ですか。。。と内心もう少し時間欲しいと思いながらもOKしたのでした。

次の日研究室員を前に今までの研究発表を行いました。研究員は皆私より5つ以上は下だろうと思える若い人たちばかりでした。非常に熱心に話を聞いてくれ、鋭い質問が飛んできてかなりきたえられていて優秀だなというのが正直な感想でした。その後ボスは、今後組織は誰々と相談し、培養は誰々とやり、と各メンバーに指示を出してくれ、今後動きやすい状態にしてくれました。開始は9月からのはずがズルズルと前倒しになって行くのでした。とにもかくにも次男を除けば家族で一番遅いスタートになりましたが、ようやく私も本業がスタートしたのでした。

8月、エジンバラは世界的に有名なお祭りの期間で世界中から観光客が訪れ、中心部は観光客であふれかえります。それに合せエジンバラ城では毎年8月の夜に、お城の入口に競技場のような観客席が出来、音楽隊の演奏を見聴きする『Military Tatoo』が行われます。毎日その時に花火が上がるようで家からはほぼ毎日花火が見ることができました。今年はチケットが取れなかった事、赤ん坊がいた事で諦めましたが、来年はお城で見たいなと思いながらも花火は引越し疲れを癒してくれる一瞬でした。こうして、家族みんなで駆け抜けて来た8月が終了するのでした。

                                         8月は毎日花火です。家から。                                                                                     2ヵ月お世話になる施設

2011年11月9日

その6;~かかりつけ医 (GP) 登録、車購入~

9月に入り本格的に実験へ入っていきました。子供も小学校に特に嫌がることなく通い続けてくれ、妻も友だちと外出してお茶したり、エジンバラ大学の男性研究員の妻のための一回1ポンドで託児付き英会話教室に通ったりと順調な生活のスタートに思えました。

毎日朝7時半位におき、下の子にご飯を食べさせながら自分も食べ、8時45分に上の子を小学校に送って、いそいでバスに乗って研究室に向かいます。バスには大抵フリーの新聞が置いてあるので、サーとどんなニュースがあるのか、サッカーの試合の結果はどうだったかチェックします。そうこうしているうちに研究室につき、研究を始めます。帰りは日本の時ではあまり考えられなかった夕方5‐6時の間に帰宅します。帰って毎日食事をしたあと、子供たちを風呂にいれ、子供と英語の宿題をやります。9時に子供たちを寝かせたあと、ようやく夫婦の時間になります。最近の二人のはやりは、ビールを買ってきて毎日500ml缶を半分にし、いろいろなビールを楽しむことです。特にビールに詳しいわけではないのでとりあえず片っ端から買っていきます。せっかくイギリスにきたんだからイギリスのをと思っていましたが、デンマークやドイツついにはバドワイザー、近所にあったアサヒスーパードライまで手を出す始末です。酒に弱い私はもともとビールを語るような資格はありませんが、はじめはアサヒスーパードライが一番だ。あの泡がいい!あのドライ感がいい!と思っていましたが最近はあまり泡立たないこちらのビールの味にもなれ、楽しむことができるようになってきました。こうして一日がパターン化されて回り始めました。

9月に入りもっとも変わったことと言ったら、車が来たことでしょうか。買った車は日産のノートです。ここスコットランドでも日本車はよく見かけます。TOYOTA, NISSAN, HONDA, SUZUKIはどこを走っていても多く見かけます。車を探し始めるにも、はじめあてがなかったため、日系のロンドンにある中古車外車のホームページを見ておよその相場を知りました。こちらは中古車の価格はほとんど日本と変わらないものの、ほとんどがマニュアル車でオートマはほとんど出回って居ないことも知りました。大学一年のとき部活にかまけて教習所に通う時間がなくなりなんとかオートマ限定でギリギリとった免許の付けがここになってくるとは思いませんでした。家の近くのTOYOTAにいって見て中古車リストを探して見たところ、オートマ車は気持ちいくら位に「Nothing!」と言われました。結局車は、ロンドンの日系の中古車販売店から買うことにしました。日本人学校の知り合いもここから買っている人が多いようでしたし、オートマ車が沢山の中から選べますし、車のことぐらい日本語でいろいろ細かく質問したかった事、スコットランドの自宅まで配達してくれる事からここに決めました。希望を伝えると車種をいろいろ紹介してくれますし、保険なども日本語対応のモノを紹介してくれすし非常に楽に交渉が進みました。結局3年たって約15000キロと走行距離も短い日産ノートを買いました。値段も値引き交渉に応じてくれ、相場から見ても納得のいく価格で購入することができました。車が来てからは生活が本当に便利になりました。エジンバラ郊外にあるIKEA(こちらの発音ではイケアではなくアイケア)などがあるショッピングセンターやトイザらスなどがあるショッピングセンター、そしてリビングストンの日本人学校の近くにあるショッピングセンターなど多くの場所に行けるようになり生活の楽しみが増えました。

8月から9月にかけもう一つ行なったことがGPへの登録です。GPとは general practitionerの略で一般開業医のことを指します。ここイギリスの医療制度(NHS;national health service)は日本のそれとは違いみな開業医に登録します。病気はまずこの開業医に相談し必要あれば大病院へ紹介するという構図に大まかになっています。こうした経路で医療を受けていれば基本的に医療は無料で受けられます。子供の必要な予防接種なども無料で受けることが出来ます。私たちのような留学生やその家族も6ヵ月以上長期滞在する人はこの恩恵にこうむることが出来ます。ですから日本のように直接大病院に受診するということが緊急時を除けば基本的にはありません。しかし、この無料で医療を受けるための経路はそれなりに制限もあり、非常に遅いことでも有名だそうで、遅れることが心配な人はprivateの病院を受診しそれなりに医療費が取られるとのことです。私たちもとりあえずGP登録を行いました。日本のように「○○医院」などの看板がないためなかなかさがすあてもありませんし、評判も全くわかりません。そのため小学校の受付でおすすめのGPがないかを聞きました。そこで近くにInch park surgeryというGPがあり近くておすすめだと言われました。そこでそこにとりあえず行ってみることにしました。そのGPは大きな平屋建てで大きさは日本の開業医2件分位ある大きなものでした。医者もパートタイムの医者を含め4‐5人で大きなものでした。受付でその日は登録用紙をもらって帰りました。登録用紙を後日だしに行くと、「登録用紙はOKです。後日、看護師と面談があります。その日時を知らせるため一回だけあなたの携帯電話番号にかけます。そのとき出れなかったり、来週の火曜日までにかかってこない時は自分で問い合わせてください。」と言われました。あまり優しくない言い方でした。

面談の日、家族で訪問しました。それぞれ尿を持っていきました。尿を試験紙で調べたあと(しかも素手で)面談が始まりました。病気の既往などを聞く簡単なものでした。一通り聞き終わったあと身長と体重を図りました。身長は日本ではかった時と同じだったものの体重が70キロから65キロになっていました。いくらなんでも減りすぎ?と思いました。家族も軒並み3‐5キロ体重が減っていたので間違えだとわかりました。体重計はボクシングの選手が計量で使うような機械でした。「大丈夫かGP?」というのが正直な感想でした。登録は無事終わったかのように思えました。しかし後日送られてきた登録用紙の長男の名前が間違えていました。さらに次男の予防接種歴は書いて提出したにもかかわらず全く無視されていて再度提出しに行きました。そして後日小学校で知り合いに自分の子供がこの間GPにかかったんだけどという話を聞いたところこうでした。「うちの子がいま高い熱出したので見てもらえないか」と問い合わせたところ「高い熱を子供が出すのはよくあることだから緊急性はなく明日受診希望の電話をしてくれ」とのことでした。翌日「今日は見て欲しい」と電話したところ「今日はいっぱいだから明日みてもらえるか電話してくれ」とのことでさすがにいっこうに見てくれないので文句を言ったところ「それでは今日連れてきてください。見ます。」との事だったとのこと。その方も台湾で医者で日本と同じように忙しい中、働いて来た人で二人してここの国の医療大丈夫?と話をしていました。少なくとも私が訪問した数日は私たちが日本で感じる雰囲気よりもかなり暇そうに見えました。何はともあれGP登録は無事済みました。受診は交渉が大事という印象を受けました。

生活全てのものがほぼそろった月でした。実験も材料が豊富にそろっていたので順調にスタートが切れました。そろそろどこかに観光に出かけてみたいと思う頃でした。この頃から観光計画をいろいろ立て始めました。した。

                                       飲んだビール                                                                      英語の勉強。絵が沢山あって面白い

                                      広大なスーパー                                                                             日産ノートの前で

2011年11月27日

その7;~動物園そしてはじめての小旅行へ~

9月末から10月にかけて、生活も少しずつ落ち着いてきて、エジンバラ、イギリス国内を観光することを計画し始めました。こちらでは日本の時とは違い土日、夜間は一人で実験することをあまり推奨されていないと指導されますし、特にまだなれないうちはトラブルを起こすこともあるので禁止に近い状態です。また、実際ほとんどの人は夜間や土日研究室に行くことがありませんので私もそれに習って行動しています。

9月24日初めて家族で見に行ったところはエジンバラ動物園でした。日本語補習校の帰りに一回、家に帰る方向にバイパスで車を走らせていたものの、今日は天気がいいからどこか行こうよということで突然行くことが決まりました。エジンバラ動物園はエジンバラの中心部から西に5キロほどのところにあります。初めて市の中心部に近い車の多いところに出る機会だったので少し緊張しました。無事動物園までついたところ動物園の駐車場で4-5ポンド取られ入場料に大人一人15ポンド子供も10ポンドほど取られ正直大きな出費だなと感じました。動物園ってこんなに高かった?と思い旭山動物園、前よく行っていた京都市動物園の値段を調べたところ600円位とここの動物園は約3倍と明らかに高いことがわかりました。値段が高かったこともありとても大きな期待感をもって入っていきました。まずマップを見渡すと動物園に当たり前のようにいるキリンやぞうはいませんでした。やはりこの環境では生活が難しいということなのでしょうか。動物園はなだらかな山を利用して作られているので少しずつ動物を見ながら山を登っていく形になります。地球の歩き方スコットランドのガイドにもエジンバラ動物園は載っていてその目玉として午後2:15分から始まるペンギンの園内散歩があります。ちょうど2時前に動物園に入ったのでまずはペンギンを見ることにしました。ペンギンのエリアには多くのペンギンがいました。ざっと見ても50羽を超えるペンギンを見ることができました。これだけのペンギンが行進したら圧巻だね!と家族で話していました。時間が近づくと多くの人が集まってきました。また、盛り上げるためのアナウンスも始まり期待はmaxになりました。定刻にまず6羽がおりから出てきて飼育員の先導に付いて歩いて行きました。しかしいっこうに後に続くペンギンが来ません。まさかと思い周りを見渡すともう人垣は崩れ三々五々に行きたいところへ向かっていました。6羽でまさかの終了でした。ペンギンのあと一通り全部を回りました。敷地は山を一つ使った広大な動物園で、山頂からのエジンバラを見渡す景色には一見の価値があると思いましたが、かかったお金の割にはちょっとさみしいというのが正直な感想でした。コアラも二匹いましたが、狭い温室のなかでちょっと狭苦しい感じでした。売店にパンダのグッズがいっぱい売っていましたが、パンダは翌月来るらしく来た時期としては悪かったようです。長男の印象に残った動物はまさかの「アリクイ」でした。値段対満足度という点では不満の残る動物園でした。

10月15日、日本語補習校が中間休みで休みであったため、家族でどこか出かけようということになりました。(イギリスには小学校に日本にはない中間休みがあります。各学期の中間に約1週間の休みがあります。親も休んでしまい旅行をその時期にする人も多いようです。)車が来たので、スコットランド北部へ向かってドライブでもしてこようか?と考えていましたが天気予報で北に行くほど天気が悪いことがわかったので急遽南つまりイングランド方面へ行くことに前日夜に決めました。行き先は、地球の歩き方、インターネットを使い調べ、電車で2時間ほど南に下ったダラムという場所に日帰りで行くことに決めました。ダラムにはダラム城とダラム大聖堂があり世界遺産にも指定されています。”どうせ行くなら世界遺産”と大して歴史を知らないので決めました。ハリーポッターの撮影で使われたこともあるというのが子供にも納得してもらえるのではないかと思いました。

当日は電車で行くこととし朝、エジンバラのWaverley駅に行き切符を買うため窓口で並びました。家族割引を使い皆で往復1万円弱と安かったものの、指定席を指定したかったのに家族分は満席で指定がもらえませんでした。日本のように自由席があるだろうとタカをくくって行ったところ、特別に自由席と指定されているエリアはなく、全て基本的には指定席で各座席の上には「どこどこからどこどこまでは予約が入っています。その他のエリアは座っていいです。」という小さな電光掲示板が流れていました。それに気づかず空いていた席に座ったことろ乗客に「ここ私たちの席だけど」と言われ立ち退く様に。子連れで立つことになるのか?と思っていたところ子供を座らせることのできる席を途中までやっとのことで二つ確保できることが出来、もう一つは親切な人が「君は子供がいるからここに座りなさい」席を譲ってくれなんとか席を確保することができました。イギリスの電車の旅は指定確保が基本だなと思う往路でした。

ダラムに11時前につきました。ダラム駅に着くなりまず帰りの指定席をおさえました。朝は簡単にしか食べていなかったので、ダラム大聖堂まで歩く途中でお店が沢山あることはわかっていたのでどこかで昼食をかねて食べることとしました。5分ほど駅から歩くと川がありそこから川向こうのダラム城、大聖堂を見ることができました。さすが世界遺産だけあってその景色は荘厳でした。想像以上に好印象を受けました。川岸のパブでモーニングがやっていたので食べたあと、ダラム城、大聖堂まで歩いて行きました。途中の広場では露天が多く出店されており賑やかでした。ダラム城はダラム大学として現在は使用されており、その日は見学不可能でしたが、ダラム大聖堂は見ることができました。高さ67mのタワーを持つ大聖堂は1100年前後に建設されたとはとても思えないほど大きく、内部は広々としていました。ステンドグラスも美しく、ハリーポッターの撮影で使われた中庭も非常に整備されていました。67メートルのタワーにも入場料一人5ポンドで登ることができました。しかし余りにも急なので次男は背負っては不可能とのことで私と長男、妻と二つのグループに分かれて登ることにしました。階段が何段も続くその道は最初は1.5mほどの広さがあったものの次第に人一人が通れるだけの狭さになり急になっていきました。頂上まで上がると見晴らしは非常によかったのですが高所恐怖症の私にとっては足がすくむのに十分すぎる程でした。隙間のある壁で覆われているもののよりかかることを考えると1100年に建てられたことが頭によぎりなかなか壁際までいけませんでした。300段近く登って降りて来たでしょうか?降りたときには汗だくでした。ダラム大聖堂を見たあとはダラムの街の商店を見て回り、続いて広場にあった露天を見て回りました。ケーキや鉄板で豪快に焼いたハンバーガー、ホットドッグなどをのんびり食べてきました。

5時30分過ぎ、帰りは指定席をとっていたのでゆっくり帰ることができました。家族4人で使えるテーブル付きの座席で、非常に快適でした。車窓からは羊が沢山見えました。日帰り旅行でしたが、イギリスに来て家族4人で出かけたはじめての旅行であり、想像以上に大聖堂、街の雰囲気が良かったこともあり、大変満足して帰ってきました。10月も終わりに近づき新しく出来た再生研究所に移転する日が近づいていました。一体どんな施設なのだろうという期待が反面ある一方引越しのさいには多かれ少なかれ実験は滞ることが多いので不安も大きく持っていました。

                                      ペンギンの小行進                                                                              コアラと

                              世界遺産;ダラム城(左)とダラム大聖堂                                                                                    Breakfast ダラムで

                                                                                            ダラム大聖堂・中庭67mからの眺め

2011年12月16日

その8;~エジンバラ城そして研究所移転~

10月30日、いい天気でした。この日は夏時間から冬時間に変わった日でした。10月30日の未明のうちに時計が一時間戻ります。つまり10月30日は25時間生活できることが出来るのです。エジンバラに来てからというもの、最も有名なエジンバラ城には入ったことがありませんでした。一時間長くなった10月30日そのエジンバラ城に行きました。エジンバラ城は、崖の上にそびえ立っていて難攻不落なことがよくわかる城です。いくつもの建物が長い年月をかけて作られた様子がわかります。日本の城とはだいぶイメージが違います。日本の城だと天守閣があって中心の建物がわかりやすいですが、エジンバラ城はマップがないとどの建物がどんな貴重な建物なのかわかりませんでした。とにかくこの城は古い、年季が入っているという印象です。その古い建造物のなかの物品で最も印象に残ったのはスコットランド王室に残る宝冠です。相当古いはずなのに、昨日作られたかのような清潔さ、宝石はまばゆいばかりに光り輝いていました。これだけでも一見の価値があると思いました。城の見学が一通り終わると、みんなで城内にあるcaféに入って紅茶とスコーンを食べました。休日でしたが日曜の夕方近くだったのでのんびり城からの世界遺産の景色を見ながら過ごすことができました。

その翌日、10月31日それまでいたQueen Medical Research Institute(QMRI)という建物から Scottish Centre for Regenerative Medicine(SCRM)に移ることになりました。SCRMは再生研究のために新たに建てられた建物です。QMRIとSCRMの間には大学病院があるため、ちょうどこれらの建物は病院を挟んで反対側の建物になりますが基本的に同一敷地内の引越しです。私は、まだ実験をはじめてまもないということもあって、大きな荷物はほとんどありませんでした。また、機材などの搬出、搬入の調整はもともといたグループメンバーがしてくれたので私は自分の荷物をもって行けばいいだけでした。もちろん引越し業者が引越しの荷物は運んでくれ、私の私物も任せることが出来たのですがどこかに紛れ込んでしまうと探すのが面倒なので自分の荷物は大きなIKEAのバックに小さいダンボールを二個詰め込んで引越しをしました。建物は上から見ると正方形の形をした写真にあるような建物です。4つの面はそれぞれGreen, Yellow, Red, Blueのエリアに分けられていて、それぞれ窓側(外側)にofficeがあり中心部に実験室があり、最中心に培養の部屋があるという作りになっています。Officeは普通いくつかの部屋に別れているのが普通ですがここは全く壁がなくいくつかのグループが同じ広い部屋のofficeを共有する作りになっています。どこかの会社のようです。また実験室(これまた広いスペースにたくさんの実験台が置かれていて各自の実験スペースが与えられています。)とofficeはガラスで仕切られていて、officeから実験室が丸見えでその人が何をやっているか一目瞭然です。培養の部屋はcell lineを扱うエリアとprimary cellを扱うエリアが完全に別れている作りになっている環境が整えられています。物品なども倉庫から必要な分を取り出すことができ、またゴミも自分たちで回収などすることなくかかりの人が定期的に変えてくれます。FCSなども必要量が分注され保管されていて、自分たちで注文、分注する手間が省けます。 実験室の掃除もしなくていい、つまり雑用をあまりしなくていい、実験に集中できる環境なのです。とは言うもののこれは全てがそろい、順調に動き出してからのことで、引越しして2週間はまともな実験ができませんでした。その2週間は非常に長く感じました。今までのデーターをまとめ、今後の実験計画、物品注文を整理し、関連論文を読んで。デスクにばかり座っていて本当に疲れました。イギリスの建物の雑さも感じられました。エレベーターは何回も故障しています。トイレも全館で使用できなくなる日が出ました。無料で飲めるコーヒー豆から引いてくれるコーヒー機がなりものいりで当初登場しましたが、行った半分位は故障中でした。新しい機械が最近入りましたが、今度は一杯50ペンス取ることになっていてお金を払ってまでという感じです。一ヵ月以上たった現在、まだ、物品不足は見られますが、一通りのことはこなせるようになり順調に稼働するようになりました。

ここで、イギリスの食生活に付いて触れておきたいと思います。だいぶ生活にも慣れましたが、やはりそれは日本食を毎日食べられるというのが大きいかと思います。パンやじゃがいも中心のこちらの食事はどうしても毎回ではストレスがたまってしまいます。車やバスで行ける範囲に4件の中華ショップがあり、そこで日本食材を購入することができます。調味料も醤油、味噌、みりん、味ぽん、ソース、お好み焼きソース等々値段は日本で買う二倍弱しますがそろえることができます。また、味の素の冷凍食品餃子、唐揚げ、冷凍で輸入されてくる納豆等も味わうことができます。そこらでも揃えることができないわかめや日本のせんべい、羊羮などはたまに親が送ってくれます。(羊羮なんて日本ではほとんど食べませんがこちらに来るとなぜか食べたくなります。)またこちらのベビーフードは油っぽくあまり美味しそうでないため、日本のベビーフードなどもダイエーネットショッピングなどを利用して日本から購入したりしています。利用したことはありませんがロンドンからも日本食材をネットで購入することも可能です。肝心の米ですが、はじめはカルフォルニア産の米『錦』を食べていましたがやはり日本のそれよりは美味しくなかったため、チャレンジでヨーロッパ産コシヒカリ『ゆめにしき』を一度購入してみました。そうしたところ、この米は大当りでコシヒカリの看板に偽りなく、まさに日本の米そのもので非常に美味しかったためその後、我が家の定期購入米となっています。近くの中華ショップで10kgあたり24ポンド(3000円弱)で買えるため割高感もありません。日本のスーパーにある大根や里芋は最近日本語補習校の帰りによった大きなスーパーで購入することが出来、大根を使用しての『おでん』やさといもの入った味噌汁も食べられました。カップラーメンも一応あります。こちらのカップラーメンは一言で『麺とスープがからまない』というのが感想です。日本の美味しいみそラーメン、喜多方ラーメンが食べたい今日このごろです

                    カップラーメンもありますが味は日本のものがはるかにいいです。                                                 今食べている欧州産コシヒカリ。味は美味しい。

                    エジンバラ城のcafeでスコーンを。                                      新しく出来た再生研究所(SCRM)。

2012年1月8日

その9;~マンチェスター旅行~

11月5日、家族にとって待ちに待ったマンチェスターへの一泊旅行の日がきました。マンチェスターに行きたかった理由のひとつにマンチェスターユナイテッド(マンU)の試合、特にルーニーが見たかったからです。日本のプロ野球なら巨人、サッカーならバルセロナ、レアルマドリード、マンチェスターユナイテッド。子供にも見せておきたかったものの一つでした。旅行の計画の段階でまずはチケットを取ることから始めました。ロンドンの某日系の旅行代理店では一席199ポンド(2万4000円位)でチケットを発売していますが、これはいくらなんでも高すぎます。おまけに1才の赤ん坊の分まで取ると言います。これに交通費、宿泊費が加わるとかなりの額になります。こんなリッチな旅行はできないと自分でチケットを予約する道を選びました。マンUのネットを調べると、さすがビッククラブだけにチケットはメンバーになっていないとを取ることができませんでした。しかも家族全員分を取ろうと思ったら、全員メンバーになって居なければなりませんでした。1才の子供にも席代はやはり取られました。全員がメンバーになり(家族全員で100ポンド)とチケット代で合計200ポンド弱で済みました。日本のアルビレックスの試合等に比べればやや高い感じはしましたが、ビッククラブだけに仕方のない出費かと思いました。旅行代理店に比べれば一人分ですんだので我が家にとっては大きかったです。次に行く日が決まったのでホテルと鉄道の手配を行うこととしました。ホテルは鉄道の駅に近い、3‐4つ星のホテルが朝食込で130ポンドでおさえることができました。こちらは、日本のように一人いくらではなく部屋あたりで料金がかかるので家族で行く場合だいぶお得感があります。鉄道は時間によって値段が異なります。値段は朝のあまり利用のない時間を選ぶとかなり安くなります。さらに家族旅行ではfamily cardというものがあり、これを利用するには年間28ポンドかかりますが、料金がさらにぐっと安くなります。今回マンチェスターまでは電車で3時間の距離でしたが、この距離でも大人二人子供一人分の料金で(赤ん坊は無料)65ポンドでした。普通日本では一人分に相当するぐらいの値段でした。おまけに電車は往復で机のついたfamily box seatをとってもらうことができました。当日電車に乗り込むと、以前電車で座席予約してなくて大変な思いをしたことが思い出され、今回は自分たちの席があるかやや不安を覚えながらも、自分たちの席が見つかった時にはとても感動しました。デスク付きのfamily boxはとても快適でした。上の子は日本語補習校のバザーで買ったポータブルDVDをみて楽しんでいました。私たち夫婦もこの時のためにとっておいた日本のお菓子を食べながら楽しく車窓の景色を楽しむことができました。しかし1歳児を連れての旅行はやはり大変です。電車で興奮したのか動き回りたくて仕方がなくマンチェスターに付くときには夫婦はだいぶ疲れていました。

マンチェスターに着くとまずホテルに行き荷物をあずけました。その後昼食を食べに行ったのですが、その前にしたことがATMでお金を下ろすことです。スコットランドではイングランド紙幣とは別にスコットランドでいくつかの紙幣が発行されています。イングランド紙幣のエリザベス女王のものとは別にいくつかの紙幣があるのです。スコットランド紙幣は、イングランドに行くと同じ国なので本来は問題なく使えるのですが『なんだこれ?』と言う感じで見られることが多く、一部は拒否されることもあると聞きます。実際以前ダラムに行った際、スコットランド紙幣を使ったとき『しょうがないからOKにしてあげる。』的な顔をされたことが有りました。同じ国のはずなのに、日本ではなかなか考えにくいことです。そんなわけで、確実に受け入れてもらえるお金をまず下ろしました。昼食を食べたあと、防寒対策を万全にし、サッカーの聖地オールドトラフォードにトラム(路面電車)を利用して向かいました。トラムの最寄駅を降りると、球場までは10分ほど歩きます。露店や馬に乗った警官、アルコールを扱っている店ではもう一杯始めている人たちも多くいて、だいぶアルビを見に行く時の雰囲気とは違います。7万人強収容のスタジアムはやはり迫力が違います。寒いせいか観客の出足は悪かったものの、どこに潜んでいたのかというくらい開始直前にはいっぱいに埋まってしまいます。選手の紹介も結構あっさりしていて、へたすると、誰が出ているのかも確認しにくい状態でした。お目当てのルーニーも出ていて、すっかり植毛で別人のようになっていました。ちょうど行った日はファーガソン監督の25周年記念の日でした。セレモニーが盛大に行われました。試合開始前の歌は、『丸い緑の山手線、真ん中通るは中央線。。。。』の歌と同じ歌で、子供のお気に入りになりました。ルーニーがボールを持ったときには『ウーニー』という感じでみんなが声をそろえて出したり、チャンスになると『ウーナイテッド』とみんなであわせて叫んだり、アルビの試合も面白いですが違った面白さが有りました。試合は1対0で勝ちましたが、点は誰がいれたのかよくわからない状態でした。家に帰ってパソコンで確認したところ、まさかのオウンゴールでした。

試合が終わったあと、メガストア(official shop)によって、子供の帽子などを買ったあとトラムに乗って街の中心部へと食事をとりに行きました。トラムに乗るのに30分以上並びました。食事の予約をしていたのは、『YUZU』という日本食屋でした。ホームページでチェックし、こちらにありがちな日本食とはとても言えない日本食屋ではなく、真の日本食屋に近いと感じたのでここを予約しました。予定通りの6時45分ごろ、訪問しました。外観は洋風の建物ですが、内部は日本に戻ったかのような雰囲気でした。ウエイトレスも日本人で、板前さんも日本人で、メニューも日本のものそのものでした。私はとんかつ、妻はサーモン丼、長男は鉄火丼、それに筑前煮、揚げ出し豆腐、天ぷら、焼き鳥、枝豆、などをたのみました。ビールも恵比寿ビールのほか秋田、山形の日本酒を飲みました。佐渡の北雪酒造の酒も有りましたが、高くて違うのにしました。味もこちらで食べる日本食っぽい日本食とは違いとても美味しかったです。久しぶりに外食で納得行く食事ができました。次の日、マンチェスター博物館に行きました。ここはテラノサウルスの骨がほぼ完全な形で存在していることで有名な博物館だそうです。そのほかにもミイラが多数あったり、いろいろな動物のはく製が置いてあったりと、子供たちにとっては楽しめるものでした。家族で念願のプレミアリーグを予算内で見ることができ、いい思い出を作ることができました。

旅行から帰ってしばらくしたある日、長男が学校から、『Pupil of the week』の表彰を受けました。週間MVPみたいなものです。先生からはコメントで、良く溶け込もうとし本当によくやっていると有りました。一時期言葉が通じなくて順番争いなどで言葉が出せないとつい手が出てしまうことがあったと先生から伝えられて心配していただけに、息子の賞状は本人はもちろんの事、親にとっても非常に嬉しい出来事でした。11月が終わりに近づくと一大イベント、クリスマスへと向かって行きます。

                                     Old Trafford                                                                 マンチェスター ホテルからトラムが見えます。

                              ゆず。                                                     T-REXと。

                                                                                              Pupil of the weekに選ばれた!

 

2012年1月25日

その10;~インフルエンザ予防接種、クリスマスまで~

11月終わりからエジンバラにはクリスマスの雰囲気が強く感じられるようになりました。駅前にはミニ遊園地といった感じの観覧車、メリーゴーランド、フリーフォールなどのこども向けのアトラクションが設置され、一角には大きくないものの屋外スケートリンクも出来ます。その周りには日本でいう屋台が多く軒を並べます。ホットドック、ハンバーガー屋、Fish&Chips屋、クレープ屋、チョコレートなどのお菓子屋、ドーナツ屋、ケーキ屋、ワインなどを扱うアルコールのお店、土産物屋など様々な店が並び見ているだけで楽しくなる感じがします。我が家も期間中3回、この駅前まで遊びに行きました。大人にとっては遊園地やスケートリンクはやや小さく物足りませんが、長男にとってはとても楽しかったようです。私もいくつかのアトラクションに乗りましたが正直感想は「寒い」の一言です。「子供はかぜの子」でこんな寒いさなかでも元気でした。

日本では暮れになると忘年会が定番ですが、こちらではどうするのか?といつも思っていました。研究室では毎年クリスマスランチをしているとのことでした。そして、今回もそのクリスマスランチが行われ参加させてもらいました。真昼間から、ランチしてアルコールを飲みに街に繰り出す、これは日本には全くない感覚です。こんなことを日本でしていたら、税金から給料が出ているところは税金泥棒と叩かれそうです。飲み会は夜という感覚が染み付いている私にとっては異次元な体験でした。ランチはとてもおいしい料理でした。スターター、メイン、デザートそれぞれいくつかのメニューがあり、ひとつずつ選べます。メインはターキーを食べている人がほとんどでしたが私が普通にチキンを食べていると「ターキー食べないのか?」といわれ、「ターキーはあまり食べたことがない」と答えると、「あげるから食べてみな」とターキーをもらえ、ターキーも味わうことができました。昼間から飲むワインは非常にききました。こちらに来てからビール以上のアルコール度数の飲料を飲むことはほとんどなかったので、非常に早く酔いが回りました。二次会、三次会と永遠と日付が変わるまで一部の人は行ったと聞きましたが、私は大方の帰るグループと一緒に体も限界だったので帰りました。料理も食べてワインもだいぶ飲んで30ポンド(3600円位)ととても安い感じがしました。日本もランチしながら忘年会できればかなり安くなるんでしょうが、医者として働いている環境下では残念ながらこの企画は無理のようだと感じました。

こちらのクリスマスは日本でいうクリスマスの他に暮れと正月も合わせた感じでした。研究室は23日金曜日までで正月あけ4日から再開でしたが、日本の感覚だと23日までくるのが当たり前という感じですが、こちらの人は20日位から自主的に休みをスタートさせていました。そのため23日には研究室にはすっかり閑古鳥が鳴いていました。24日からは実験室は、休み期間中も働くための許可証を出して置かないと入れないことになっていました。細胞培養のため何回か行きたかったので、紙を提出して数回休み期間中も通いましたが、気持ちいいまでにみんな休んでいました。正月明け4日から留学期間も短いので早速スタートダッシュをかけようと乗り込みましたが、まだ来ていない人も結構いて、週明けスタートという人も結構いました。つくづく日本人は生真面目で勤勉な人種だなと改めて感じるクリスマス期間でした。我が家のクリスマスは質素に家庭で妻の料理、ケーキを家族みんなでゆっくり食べ楽しみました。クリスマスは料理店も便乗値上げか高い気がしますし、小さい子がいると落ち着いて食べにくいというのもあるので家庭が一番くつろげよかったかなと思っています。子供たちのプレゼントは長男はエアホッケー、次男はボールを転がすと音がでるおもちゃでした。サンタからのプレゼントは長男は本二冊(なんでもベスト10がのっている本とウォーリーを探せならぬミーアキャットを探せ)次男には音楽付きの絵本でした。なかなかの出費ですが、子供たちを遠くこの地まで連れてきてしまった罪滅しです。クリスマス前の食料品の買い物はちょうど日本での暮れの買い物に似ています。みんな一斉に買い物をするため非常に混雑します。近くのショッピングセンターも車がなかなか入れない程に混雑しました。しかしクリスマスの当日は、嘘のように街は静かになります。お店もほとんど休みでバスもあんまり走りません。家から街を見渡すと、個人で電球で装飾した家を多く見ることができました。クリスマスが終わると、我が家はグラスゴーに旅行を計画していました。次回はこれを書きたいと思います。

ここでインフルエンザ予防接種のことに付いて触れたいと思います。日本ではインフルエンザの予防接種は比較的受ける人が多いかと思います。しかしこちらでは受ける人が圧倒的に少ないようです。受けることは意味があるのか?というところは正直ありますが、私は個人的には、少しでも防げたり、症状が軽くなったりする可能性があるのであれば受けておこう、子供には受けさせたいと思っています。それは、いままで救急外来でインフルエンザ脳症でなくなった子供を二人も偶然にも見てしまったからです。それはともかく、こちらで受けるのはどうすればいいのか?という疑問が発生しました。そう思っていたところ長男にGP(開業医)からあなたの子供はfreeでワクチンが受けられますとの手紙がきました。子供は、学校でインフルエンザにかかり蔓延すると、家庭にも広がり大変なことになるのでこれを防ぐために学校に通っている子供にはうつのか!さすがイギリスと思っていました。しかしGPに行って見ると、インフルエンザの予防接種が受けられるのは喘息、心臓病などの持病がある人や65歳以上の人などで、「なんで持病のないあなたの子に手紙が行ったのかわからない」と言われました。「わからないのはこっちだ。こっちは手紙でこうかいてあるから来んだ」と文句を言ってやりました。注射のために早く帰って来たというのに!文句ばかり言っても仕方がないので「では、どこでうられるのか」と聞いたところ「ブーツだ」と言われました。ブーツってなんだ?と聞きましたが近くのあそこのショッピングセンターに行けばわかるとなんとも頼りのない返事でした。せっかく早く帰って来たのでそれではそのブーツで受けさせようとショッピングセンターへ行ってみると「ブーツ」は薬局でした。しかし、残念ながらそこの薬局では扱っていなくて、別の系列店に行けば打てることを教えてもらえました。後日その薬局で夫婦は打てましたが、16才以下はできないと断られました。薬局で予防接種が受けられる!日本にはない画期的なことでした。後日GPに行き、子供はGPで打ってもらえるのかと聞きましたがその時の返事は、「13ポンドかかりますが処方箋を書いてそれを薬局に持っていき、薬を持ってきてもしくは郵送して貰えれば打つことが出来ます。処方箋を書くのに二日かかりますので二日後にとりに来てください」との返事でした。二日後にとりに行こうとするとGPから電話が掛かってきて、インフルエンザの注射は当院では打てない、private GP(無料ではないがお金を出すときちっと見てくれる病院)に行ってくれとのことでした。一体、どこまで人を振り回すんだと怒り浸透でしたがというより対応のひどさに呆れてしまいました。怒っても仕方がないので、ホームページでprivate GPを探し電話をかけ、やっとのことで子供たちが受けられる場所を見つけました。さすがprivate GPだけあって受付はホテルのように綺麗で、受付も若く、対応も非常に優しいものでした。夜の7時からの予約でしたが7時前に優しそうな女の先生が直接待合室まで呼びに来てくれ、子供目線で子供たちに「Pleased to meet you」 と丁寧に微笑んで挨拶をしてくれました。診察室もとても綺麗で説明も非常に丁寧で、日本人にもわかりやすい英語で話してくれました。近所のGPでは医者に会うこともできず、いつも笑顔の全くない看護婦、受付のそっけない対応、なんという違いなんだと夫婦でびっくりしてしまいました。医療の対応も金次第?そんな現実がある国の様子をまざまざと見せつけられた気がしました。莫大な医療費で問題を抱える日本の医療が本当にいいのか難しいところですが、日本の医療の方が平和な気がしました。一個人の医者としてこんな患者の経験ができたことはいい経験だったのではないかと思います。

                                エジンバラ駅のミニ遊園地                                                                  子供はいろいろ楽しみました

                            ジャンプ!                                               屋台も沢山出ていました

                                                                                        アイススケート、ライトアップが綺麗でした

 

2012年2月24日

その11;~グラスゴー旅行、年末年始、ドリーとの対面 ~

クリスマスが終わり日本ではお正月ムードに一気に変わってしまうところ、こちらではまだまだクリスマスツリーが飾ってあるところが多く、日本との違いを感じました。日本から来ているほかの方たちは、ロンドンで正月等々羨ましい話が多い中、我が家では近場で安くのんびり過ごせないかということで今年はグラスゴーに二泊することにしました。グラスゴーはエジンバラから電車で一時間ほどのスコットランド最大の都市で、かつて現横浜マリノス中村俊輔が所属していたセルティックがあるところです。また、医学ではグラスゴーコーマスケールのできた街です。グラスゴーヒルトンホテルが家族四人の広いfamily roomが二泊で朝食込、合計2万円強という掘り出し物を見つけることが出来たためにここに行きました。クリスマス後に値段がぐっと下がったところに泊まりに行ったわけです。お目当ては、ホテル内にあるプールでした。「同僚にクリスマス休暇どこか行くのか?」と聞かれて、「グラスゴー」と答えると「あそこは何もないよ。」と言われましたが、なにもなくてもいい、ただのんびりゆっくりできてイギリスの年末を味わえればいいと思いました。

12月27日午前中培養の維持のために実験室に行きその後、午後のんびり家を出て、エジンバラから電車で一時間ばかりでグラスゴーにつきました。グラスゴー駅から10分ほど歩き、目的地のグラスゴーヒルトンホテルにつきました。さすがヒルトンホテルだけあってとても綺麗で、騒がしい子供を連れてくるのが申し訳ないくらいのホテルでした。子供は早速地下にあるプールへ行きたくてしょうがなく、ホテルにつく早々プールへと向かいました。なにせ我が家は高級ホテルのプールを利用するのは初めてだったので、お金を取られるのか多少心配しながらプールへ行きましたが、無料で、バスタオルも無料で貸し出してくれました。久しぶりに子供とプールに入りました。15メートルと小さいプールでしたが利用者もほとんどいなくてほとんど貸切状態で快適でした。このプールにその後二泊三日の滞在中4回行くこととなりました。日本で子供はプール教室に通っていてバタフライまで泳げるようになっていたため、多少は上手だろうと思っていましたが、二人でクロールや平泳ぎを競争しましたが、負け越しでした。さらに子供なので水遊びかとおもいきや、ただひたすらもくもくと泳ぎ一回あたり500メートル近く、多いときは700メートル以上連続して泳ぎ、いつのまにこんなに成長したんだ、子供はやっぱり体力あるなとびっくりさせられました。プールだけでほぼ目的は達成させられたのですが、せっかくなので二回あった夕食は美味しいものをと思っていました。一回目の夕食はホテルバイキングを食べました。バイキングのレストランは完全にクリスマスムードが抜けておらず、食卓にはクリスマスグッズが置いてあり、クラッカーを鳴らしたり、またクリスマスプレゼントの余り(?)のチョコレートをもらったりして子供は喜んでいました。バイキング食べ放題で初めてスコットランド名物のハギス(茹でた羊の内臓(心臓、肝臓、肺)のミンチ、オート麦、たまねぎ、ハーブを刻み、牛脂とともに羊の胃袋に詰めて茹るか蒸したプディング(詰め物料理)の一種)もいただきましたが、もう二度と食べることはないかもしれません。二日目はムール貝が美味しいと評判の店を予約していきました。バケツのような容器に入ったムール貝が美味しく味付けしてありました。年末の我が家のした贅沢でした。二日目の昼、街の中心街にショッピング(厳密には何も買わなかったのでただ見ただけ)に行きました。ブキャナンストリートという歩行者天国になっているショッピング通りを探索していくつかのショップを見て回りました。そこには、イギリス各地にチェーン店としてある回転寿司屋がありました。昼食にモノはためしと入ってみました。店員はもちろん現地の人です。店も明るく意外にも?店は混雑し席に着くまで10分程かかりました。日本と同じように寿司が回りますが、そればかりでなく、天ぷら、チキンカツカレー等、これ回転ずし屋?と言うようなメニューものっていました。肝心の寿司はと言うとマグロとサーモンくらいしか生のモノは無く、値段も日本なら100円皿並みという代物が300円程度とハッキリ言って高いと言う感想でした。日本では大抵お茶が無料で入れられますが、ここでは水(still water) や炭酸水 (sparkling water) が日本のお湯のように入れられ、無料でした。何でこんなに高いのに混んでいるんだろう?という感じでした。早めにぱっと食べられるところが受けているのでしょうか。プールとちょっとした外食で終わってしまったグラスゴー旅行ですが、妻を家事から解放させるという意味合いでは非常に有意義であったと思います。大みそか、いつもの日本でのテレビの特番や紅白歌合戦がないと大晦日という感じがしません。JSTVというテレビ会社と契約すれば日本のテレビが見られるそうですが、契約していませんし、現地のテレビもこちらにはまだありません。(最近子供も英語に慣れてきたのでテレビを入手しようかと思っています。)やはり大晦日はテレビが不可欠なようです。子供がどうしても嵐の歌だけ聞きたいというので、パソコンのスカイプで会津の妻の実家にかけ、少しだけreal timeで紅白を味わえました。日本の年末年始が恋しくなった瞬間でした。子供たちが寝付き深夜0時、新しい年を迎えた瞬間エジンバラでは、エジンバラ城と駅近くの公園の二箇所から一斉に花火が上がり圧巻でした。夫婦で窓越しに見とれてしまいました。エジンバラの大晦日はホグマニーと言われ大晦日を大々的に祝うことで有名で、松明をもって歩いたり、コンサートがあったりと賑わいます。駅周辺にはチケットがないと入れない時間帯があるほどです。花火もその一環として打ち上げられました。花火は10分ほどで終わったでしょうか。しかし、今度は散発的にいろいろなところからしばらく小さな打ち上げ花火が断続的に上がります。おそらく、若者の叫び声も聞こえたので個人的に若い人が上げているんだと思います。静けさをとりもどしたのは新年開けて30分以上たったあとだったでしょうか。

新年開けて1月1日、エジンバラに来てはじめてのお正月を迎えました。 我が家から見る初日の出、新潟では初日の出はほとんど見ることがなかったのでことさら美しく感じました。新年三が日が開けて最初の週末、エジンバラ博物館(無料;イギリスは博物館や美術館は無料のものが多い。)に行きました。子供たちを遊ばせるためですが、私の目的は剥製となった『ドリー』をみるためでした。ドリーは世界で初めて生まれたクローン羊です。一時、ニュースで騒がせたドリーとこんなところで対面するとはあの当時考えもしませんでした。

                      イギリスのデパートの案内図。0(ground floor)が日本の一階                                                                      ドリーとの対面

                       イギリスの回転寿司屋                                   回転寿司屋のメニューにある写真。日本は舐められてる?

                                                                                                      黙々と一人泳ぐ息子

 

2012年3月19日

その12;~エジンバラの冬、ロタウイルス?襲来、大震災から一年~

新しい年を迎え、エジンバラでの本格的な冬を迎えるはずでした。昨年、一昨年と雪がエジンバラにしては多く降ったという話を聞いていたので、一体どんな冬なのだろうと思っていました。新潟(新潟市)の冬といえば毎日暗いどんよりした雲が立ちこめ、時々強風が吹き、数回は雪かきしなければいけない雪に見舞われます。エジンバラは暖流のおかげで緯度のわりには暖かい土地とはいえ、緯度そのものは北海道より北なので相当の覚悟をしていました。新潟から長靴を持ってきましたし、ズボンの下に履くユニクロのヒートテックも用意してきました。ところがどうでしょう。今年は年が開けてから全く雪がなく、雪はおろか、連日気温は5度以上、10度以上まで上がるときもしばしば有りました。冬は日照時間が非常に短く朝8時過ぎに日が昇り、午後3時過ぎには暗くなりはじめます。それを除けば、新潟からきた私にとっては「非常に暮らしやすい冬だ」というのが第一印象でした。時々新潟に似た強風や、そしてしばしばどんよりした曇り空はありますが晴れる日も週に2-3回程度しっかりありました。車のタイヤもほとんどこちらの人はスタッドレスタイヤに変える人はいません(タクシーなどの一部の車は変えていましたし、変えることは可能なようです。)が私も変えることなく問題なく今年の冬は乗り切れそうです。そして、今年は本当に家の中でも寒いと感じたことはありませんでした。それはセントラルヒーティングがあったからで、噂には聞いていましたがやはり暖かかったです。「冬も半袖で過ごせる」と聞きますが、うちは設定温度を21度にしていたため半袖では肌寒く感じますが、長袖を着れば非常に快適に過ごせる温度でした。夜もスイッチを切らずに居ても時々温度が下がると付く程度で、電気ガス料金もトータルで新潟の時の半分位ですみ、物価高のイギリスですが、光熱費では助かったと感じました。新潟では祖母からいただいた羽生布団で暖かく寝ることができましたが、こちらにはそれを持参したものの全く使うことなく持ち帰ることになるかもしれません。暖房のおかげで毛布と薄い布団だけで十分でした。それもしばしばかけていないで寝ていることが有りました。

二月に入り、我が家は恐怖の体験をしました。ある日夜中寝ていると1才半の次男が起きて私の布団のなかに入ってきました。可愛いなと思って抱き寄せ寝ていると突然嘔吐の音と共に私のパジャマの上に生暖かい物が乗っかってきました。明かりを付けると私のパジャマの胸のあたりは嘔吐物でいっぱいでした。次男を見ると血の気の引いた真っ青な顔をしていました。嘔吐物の処理をしたあと次男を見ると依然顔色が悪く、その後も数回少量ずつ吐いていました。感染性腸炎特にウイルス性腸炎が一番説明つきやすいんだろうけどまだ下痢もしていないし他の疾患だったらどうしよう?と考えました。少なくともお腹を押しても痛がる素振りもない、熱もない、少量ずつ水分を取らせようとすると何とか水分は接種できることから、現時点で病院に行ってもきっと返されるだろうという判断で家で見ていました。その後、その夜は水分を少しずつとらせては様子を見ましたが、心配で余り寝れない夜を過ごしました。次の日から案の定下痢が始まりました。下痢は「米のとぎ汁様」と習いましたが確かにそんなような便でいつもよりは白っぽいと思いました。ここで感染性ウイルスはほぼ間違えなさそうで、特にロタウイルス?なのではと思いました。次の日から4-5日は下痢が頻回でオムツ替えが大変でした。また脱水もだいぶあったのか朝起きた時のおむつの尿の量もいつもよりはるかに少なくなりました。おむつで尿の出を見ながら水分をしっかり与えることで3日目位からは明らかによくなってくるのが分かりホットした束の間、今度は夜長男がベットで嘔吐をしました。体も大きくなって来ているので嘔吐の量も多く、シーツは捨てざるを得ない状況でした。嘔吐のついたパジャマを洗ったり、最近こんなことを何回しているんだという感じでした。長男は幸い軽くすみ、私たち夫婦は全く問題なく済みましたが、かなり大変な週でした。やっぱり、感染性腸炎は怖いです。改めて実感した日々でした。

3月になると気温は10度を超える日がほとんどで、あちこちに春を感じさせる緑が増えてきます。日照時間も一気に伸び夜6時すぎまで明るくなります。また、桜の種類はわかりませんが中旬には桜が咲き始めるところがあります。我が家は2月位から日本語補習校の数家族の方と一緒に、日本人が多く住んでいる近くにあるメドーパークというところに毎週日曜日午後遊びに行っています。子供たちがサッカーをやるのが目的ですが、親もサッカーに加わります。久しぶりの運動、サッカーで、足元はもたつきますが私も楽しくやれています。こちらに来て、サッカーの楽しさも分かってきたような気がします。プレミアリーグも大好きなチームを作ること、ボルトンの宮市選手の活躍によってだいぶわかってきましたし、こどもはサッカーカードを沢山集めて楽しんでいます。

こちらへきて3月が終わると8ヶ月になります。子供の英語は学校でOxford reading treeのステージ3-4程度からのスタートでしたが、最近では非常に難しくなり、ステージ11になりました。現地の子の下の方のレベルに本は追いついてきたようです。毎日付いて勉強していますがステージ11となると私も知らない単語や日本人には理解しがたい文章も沢山出てきて、教えるためには予習が必要という状態になってきました。子供もだいぶ英語を理解するようになってきました。そして、簡単な文章ですが英語で出てくるようになってきました。6ヶ月で少しずつ英語が出てくるようだといいペースだそうですが、なんとかうちの子はそのレールには乗っているようです。細かいことは気にしない、外国の人相手でもおくさず遊びに入って行ってしまう。そんな性格も大きいような気がします。学校も楽しいようです。それもそのはず、パソコンでゲームやったり、クラスが表彰されると一週間Wiiが出来たりもするそうです。日本の学校に比べると明らかにゲーム、遊びが多いようです。学校の先生にそろそろ子供も電子辞書が使えるようになってきたので、学校に電子辞書をもっていってもいいか聞いたところ、「問題なし。とてもいいと思いますよ」とのことです。日本の学校では貴重品云々、普通の本の辞書はいいけど電子辞書はダメ等言われそうですが、こういうところは非常にいいかなと思います。

3月11日こちらでも有志が立案していくつか追悼行事が行われました。私も補習校の先生が主催の会に参加させていただきました、灯籠、バグパイプの演奏が有りました。次の日バスにのって新聞を見ると大きく震災の記事が出ていました。エジンバラでも多くの日本人、現地の方が祈り続けて、復興を願い続けています。個人的には福島県に二年いましたし妻の実家のある県でもありますので特に福島県の復興を祈っています。

                                  寒い日は霜がすごいです。自宅から。                                                                          エジンバラの夕焼け;自宅から

                 新聞に大震災から一年の記事が有りました。                                                         英語学習

                                                                                            最近毎週日曜日に遊びに行く公園

2012年4月14日

その13;~初ロンドン~

3月21日、兄家族が旅行がてらロンドンまで来てくれました。それに併せて私たち家族も3月22日木曜日に長男の学校が終わるとロンドンに向け出発しました。金曜日は午前中だけ長男の学校が有りましたが、金曜日出発ではロンドンがほとんど見られない、兄夫婦がくることは特別なイベントだからということで金曜日は私の研究、長男の学校を休みにすることにしました。本来なら飛行機でひとっ飛びで行きたいところですが、こちらの格安航空よりさらに格安な鉄道で行くこととしました。エジンバラ―ロンドン間を4時間半で結んでくれます。ロンドンにはいくつか駅がありますが、エジンバラからの電車は、かのハリーポッターの最初の映画で初めて魔法学校に行った際にも撮影で使われたキングスクロス駅に付きます。

私たちが出たのは夕方3時半過ぎでした。そして夕方4時半エジンバラ出発、夜9時ロンドン到着というものでした。キングスクロス駅を降りるとタクシーでピカデリーサーカス付近のホテルまでと考えていましたが、地下鉄の駅が近くにあったため、地下鉄で最寄りの駅まで行くこととしました。地下鉄のチケットは普通に買うと最も安くて4ポンドだけれどもオイスターカード(JR東日本のスイカみたいなもの)を買うと格安になると聞いていたのでオイスターカードを買いました。カード料金で5ポンド取られましたが、カードを返せば帰ってくるとのことでした。そして20ポンド今回の旅行用にチャージしました。小学生以下の子供が無料でした。しかしさて子供と一緒に自動改札を入るのはどうしたらいいのだろう?と思いました。試しに長男と一緒に改札をはいろうとしたところ、長男は入れたものの私は案の定、改札のバリアに阻まれました。切符売り場に聞きに行ったところ、あそこにいる人に聞いてくれと改札の近くに立っている黒人の人を指しました。あの人は駅員さん?という制服とかとはかけ離れた格好をしていましたが、改札で通行人の世話をしているようでした。その人に「子供は入れたんだけど、自分は入れなかったんだけどどうすればいい?」と聞いたところ、こういう奴が時々いるんだよなという顔をされ「改札の一番端にある車椅子、ベビーカー等の通れる広いところからこれから入ってくれよ」と言われました。初地下鉄(地下鉄はロンドンではtubeという)は、少し恥ずかしい思いをしました。毎回トラブルのない旅行はないなと思いつつロンドン旅行が始まるのでした。

次の日朝、ピカデリーサーカスの近くロンドン三越(ロンドンには三越があります。)前に8時半にロンドン市内半日観光のバスツアーに乗るため行きました。そこで、兄家族と会う予定としていました。初めて見るロンドン、「エジンバラとは全然違い都会だな。」というのが最初の印象でした。新潟から東京に出てきた。それくらいの違いがあるように思いました。予定の時間、ロンドン三越前で兄とその家族と対面しました。イギリスに渡って8ヶ月やはり家族に会えることは、ほっとして非常に嬉しいものです。一緒にバスに乗り込み、ロンドンの名所を日本語のガイドで聞いて回りました。テムズ川、セントポール大聖堂、タワーブリッジ、ロンドン塔、グリニッジ天文台、ウエストミンスター寺院、ビックベン、バッキンガム宮殿と半日で色々なところが見れてよかったです。かの有名なバッキンガム宮殿の衛兵の交代式も見ることができました。行った時期がギリギリ冬期間に当たり洋服がガイドによく出てくる赤ではなく灰色でした。何となくそのさま、音楽の音色は、京都の時代祭りに出てくる明治維新の際の官軍の演奏行列のようでした。日本がまねしたのでしょうけれども。バスツアーが終わるとみんなでパブに行き昼食をとり、再び三越前に戻ってきました。三越には日本の店員さんもいて、バスツアーが終わった客にセールスしていました。三越の横にはジャパンセンター(通称ジャパセン)という日本の物を扱う店があります。大きくはありませんが日本のスーパーがそのままこちらに来たような感じです。品数も豊富、エジンバラにはないクリームパン、あんぱん、そして薄切りの肉、数々の調味料、4種類と豊富な納豆(エジンバラでは一種類)、惣菜も豊富でした。本も雑誌も豊富でした。ロンドンにいたら全く困らないなというのが率直な印象でした。ここから通信販売で購入することも出来ますが、すべてが買える訳ではないようですし、これだけの物が揃って常に買える状況にあると安心感があるだろうなと思いました。やはりロンドンは都会だと新ためて思いました。

午後は兄家族と一時別れ、妻は日本人がカットしてくれる美容院に行きました。日本同様に時間をかけてじっくりやってもらえたようです。3時間半以上かかって値段もかなり高かったようですが、6ヶ月ぶりの美容院でしたし、満足行ったようでよかったです。その間、私は二人の子供を連れてユニクロ見たり、大きなおもちゃ屋行ったりしていました。夜は、再び兄家族と合流しインド料理屋に行きました。こちらでは本格カレーも結構有名のようです。メニューには写真がなく内容がわかりにくい、辛さの程度がわからない等問題がありましたが、店員に聞いてとても美味しい物を食べることができました。翌日、午前中皇室も訪れる紅茶屋Fortnum & Masonに行き午後、兄家族とエミレーツスタジアムにアーセナル対アストンビラのフットボールの試合を見にいきました。アーセナルが3対0で勝ちました。いままでサッカーを見に行った試合の中で一番きれいにシュートが決まった試合に思いました。プレミアリーグ2試合目、だんだんフットボールを見に行くのが楽しくなってきました。エジンバラにもスコットランドプレミアリーグに所属するチームがあるので来シーズンは見に行ってみたいと思っています。この日夕食を皆で一緒に食べたあと兄夫婦と別れました。長男は兄夫婦の子供たちとも大分打ち解けて遊んでいたので「明日は何時に会えるの」と残念がっていました。

翌日大英博物館にいって帰りました。大英博物館に旅行バックをもって行ったところ、大きすぎるのでだめと言われ、近くのホテルに5ポンドであずかって貰いようやく入れました。数々の有名な品があるんでしょうが、多すぎてガイドブックにのっているものを見て回るのが精一杯でした。今度のオリンピックのメダルも飾ってありました。それが一番印象的でした。帰りもまた電車でした。次男が寝てくれたことでみんなゆっくりすることが出来、余り4時間半が長いとは思いませんでした。都会を感じた3泊4日のロンドン旅行でした。今年はロンドンオリンピックです。サッカー日本代表も無事これることになりましたのでぜひ見に行ってみたいと思う今日このごろです。


                                  Tube (地下鉄)にも何回も乗りました。                                                                衛兵の交代式;冬服でした。なぜか犬もいます。

                      キングスクロス駅;ハリーポッターの映画で壁に入るところの再現              ロンドンにもユニクロがあります。中は日本よりおしゃれな感じがしました。

                                                                                   自分のネーム入りユニホームを購入して喜ぶ長男

2012年5月9日

その14;~イースター休暇、ニューキャッスルへの旅~

4月に入りエジンバラに来てから8ヵ月が立ちました。留学の3分の1の期間が終わったことになります。早いものです。実際、立ち上げ、移転、クリスマスなどで実験をまともにやれたのは6ヶ月弱程なので、それを思うと実験自体はいいペースなのではと思えました。二回目の留学なので何をどのペースでやっていけば良いかということが自分なりにペース配分できるようになってきている気がします。実験室の環境にも慣れてきましたし、新たな武器もいくつか身につけることができ効率も格段に上がりました。自分の実験に必要な細胞も含め3種類の細胞を作成することが出来、これからの8ヶ月が非常に忙しくなることが予想されます。留学生活においては勝負の時という感じがします。

4月1日から16日まで子供はイースター休暇で学校がおやすみでした。いつも子供を送りに8時50分前に出ますがその期間は早く出ることが出来るので実験が効率よく進み非常に有意義な期間でした。この期間家族で一回どこか行こうと決めていました。ちょうど4月9日アーセナルからボルトンにレンタル中の宮市選手がニューキャッスルで試合をするとうので見に行くこととしました。ニューキャッスルは電車でエジンバラから1時間30分ほどでイングランドのプレミアリーグを見るには最も近いチームになります。更に現在4-5位に付けるなかなかの強豪で楽しみも膨らみました。マンチェッスターユナイテッドやアーセナルの時とは違いチケットはネットで容易に買うことができました。 出かけたのは試合の前日8日でした。一泊ホテルに泊まってのんびりしようと思ったのです。8日はちょうどイースター当日でした。聞いてはいたもののクリスマスのとき同様まったくお店がやっていない状態でした。ニューキャッスル駅に着くと人がやはり少なく、閑散としていました。手短に観光をしようということで、駅の近くにあるハドリアヌスの城壁(ウィキペディアより;ハドリアヌスの長城はイングランド北部、スコットランドとの境界線近くにある。ローマ帝国は1世紀半ばにブリタニアまで領土を拡大させたが、ケルト人の侵入に悩まされていた。そこで皇帝ハドリアヌスが長城の建設を命じ、122年に工事が開始される。完成には10年の歳月がかかった。作業者は、ローマ帝国の支配地から動員された。領土拡張を続けていたローマ帝国が、拡張政策を続けることを断念した政策転換点としても象徴的な建造物の一つである。完成当時は、ニューカッスル・アポン・タインからカーライルまでの118kmにも及んだ。壁の高さは4から5m、厚さ約3m。後の方で建設された部分は約2.5mに狭くなっている。完成当初は土塁で、その後に石垣で補強されたと考えられている。約1.5kmの間隔で監視所も設置されていた。また、6km間隔で要塞も建築され、要塞には500人から1000人のローマ兵が配備されたと推定されている。世界遺産(文化遺産))が市内で残存しているところを見に行きました。駅から歩いて5分ほど中華街の裏にそれは有りました。写真で見るよりも大きく感じられ、思ったよりも迫力が有りました。そこをとおりながら行くと中華街に入ります。長さ200メートル程でしょうか?しかし立派な中華街がありました。中国人が多く入っている店、観光客っぽい人が入っている店、誰も入っていない店色々有りましたが、私たちは中国人がいっぱい入ている店はきっと味が本当に評判なんだろうなと思いながらも、観光客が沢山入っている綺麗な感じのする中華料理屋に入りました。一人10ポンドのランチ(ランチが1300円)確かに少し高い気がしましたが今日は昼たくさん食べると決めていたのでここに決めました。スープ、メイン、デザートを頼むシステムでしたが、スープも飲みきれないほど、メインも食べきれないほど沢山出てきて味も悪くなく10ポンドの価値は有りました。こちらに来て初めて料理の前におしぼりが出ましたし。日本ではおしぼりは当たり前のように出てきますがこちらではほとんどありません。イギリスのレストランの当たりハズレが大きい、特に後者に大きいだけに中華は安定しているなと改めて実感しました。

食べたあと2時を回っていたので駅に一回戻り駅のスーパーで夜ご飯を購入したあとバスでホテルへ向かうことにしました。ホテルは大型ショッピングセンターの近くにありました。当初の予定では大型ショッピングセンターで買い物という予定が有りましたが、大型ショッピングセンターは見事にイースターで休みでしたので諦めました。駅からショッピングセンター行きのバスに乗ろうと雨の中待っていました。ショッピングセンターが休みでしたがバスは15分間隔できているようでした。バスが遠くに見え、いざ乗ろうバス停の脇に妻が立ったところバスにスルーされました。イギリスのバスは乗るならば乗るよという合図(手を横にあげている人が多いでしょうか。)をしないと行ってしまうことがよくあります。余談ですがバスのアナウンスもいっさいありません。次のバス停がどこで、今どのへんなのかも初めての人は全くわかりません。エジンバラのいつも使っているバスではお釣りもありません。日本のバスがいかに親切であるかを実感します。バスに行かれてしまったのでもう15分、雨の中子供をだっこし待つはめになりました。15分後ようやくバスが来て乗りこみました。「ショッピングセンターまで」というと「やって居ないのだけれどもいいのか」としつこく聞かれました。「知っているよ」といっているのにもかかわらず。休みのショッピングセンター行きのバスに乗る外人が相当稀有に写ったようです。確かに駅から少し離れたところにある、ショッピングセンターがメインの辺鄙なところでした。ショッピングセンターがやっていればかなり賑やかなのでしょうが、その日は人っ子一人いない寂しい街と化していました。冷たく吹きすさぶ風が一層冷たく感じられました。新潟の風に似ている感じで少しなつかしくも思いました。こんなところにも一つマリオットホテルがあるのです。4人で朝食込14000円かなり安いと思います。こんな駅から離れたところにしたのは二つ理由がありました。ひとつはプール付きで子供とプールに入れるからです。そしてもうひとつは、このホテルがJSTVという日本のテレビが見れる衛星放送と契約しているからです。日本のテレビ、ドラマ、ニュースなどを見るのを楽しみにしていました。夜を既に買出ししておいたのも、食べに行くのではなくテレビをみて部屋で過ごそうという思いからなのでした。プールにはいり、久しぶりに日本のスポーツニュースをみて満足して寝ました。次の日は朝6時からNHK「お母さんといっしょ」「梅ちゃん先生」などを見ました。そしてもう一回プールに入ったあと昨日はやっていなかったショッピングセンターを軽く見てサッカーの試合を見に行きました。

ニューキャスルのセントジェームズパークはロンドンオリンピックの日本戦の会場にもなる競技場です。(予選2試合目)今回は大人51ポンドほどの一階のいい席を選びました。チケットにプラチナと書いてあったのでなにかいいことがないかと期待していましたが、入る時からしてびっくりでした。プラチナチケット保持者専用の通路からはいれ、そこにはプラチナチケット保持者だけが入れるゆったりとしたラウンジがあり、通常は5ポンドほどするプログラムも無料で受け取れ、席へいく通路がわからないと、背広をびしっときた紳士が席まで案内してくれました。小さい子供がいたので専用のラウンジがあるのはとても嬉しいことでした。寒い日でもここで暖をとり試合の時は見に行くということも冬でも可能かと思いました。また、当日は雨が降っていましたが、もちろん選手はピッチで濡れていましたが、観客は全く濡れることがなく快適に観戦できました。肝心の試合は宮市選手は途中出場でしたが、足が素晴らしく早い選手だということは十分わかりました。試合自体は4位のニューキャッスルが勝つだろうと思っていましたがそのとおり2点いいシュートがはいり満足行くものでした。ピッチが今までで一番近く、迫力を存分に楽しむことができました。

試合が終わったあと、鉄板焼を食べて帰りました。料金も無難で、食材は決して良くないお店でした。日本のきちっとした鉄板焼き屋からすると少し邪道と言われそうなパフォーマンスでしたが、チャーハンの具の卵を焼いて塊を客席に飛ばして食べさせようとしたり、子供の名前をチャーハンで鉄板に作ってくれ記念撮影させてくれたり、ファイアーを連発してくれたり、偽物のおもちゃのケチャップを間違えて子供にかけようとしてびっくりさせたりと面白く、そういった意味では子供たちが満足出来よかったと思いました。一泊二日のニューキャッスル旅行でしたが、盛りだくさんで非常に楽しい二日間になりました。英気を養ってまた実験に集中できそうです。


                            サッカーを見つめる次男;覚えていないのが残念。                                                                ニューキャッスル・ハドリアヌスの城壁跡。

                                                  宮市選手登場                                                                                               鉄板焼屋;ファイアー連発。

                                                                                                          実験室の私のスペース

2012年6月12日

その15;~ 5月なのに寒いエジンバラ、Princess Anne来館される~

5月といえば日本にいたときは暖かくなる日が多くなり、一度しまった冬物の洋服を片付けてその後次の冬まで開くことはほとんどありませんでした。今年初めて味わうエジンバラの5月は日本のそれとは違い、暖かくなったと思えば、寒くなり、寒くなったと思えば暖かくなりを繰り返しなかなか暖かくなりませんでした。最高気温10度、最低気温が5度を切る日も多くなかなか気温が上がりません。エジンバラの冬寒さも、冬の日の短さも気になりませんでしたが、5月の繰り返す寒の戻りにはこたえました。こちらでは、ソメイヨシノではありませんが桜の木が市内に多く見られます。桜も暖かくなって咲いたかと思うとまた冬の様な気候で、びっくりしていたのではないかと思います。日本人家族数家族で花見をしたときも、予想外に寒くなりみんなブルブル震えながら花見をする羽目にもなりました。

我が家の5月の一番のイベントと言えば、親が来たことでしょうか。親は一週間ほどの滞在でした。しかし残念なことに親の滞在中は寒気が到来してとても寒い日が続きました。私の叔父夫婦も一緒に連れてきてくれました。叔父夫婦と親は毎年のように一緒に海外に行っていて、今年は私がエジンバラに来たということでイギリスが目的地になったようです。父親も60代後半なので長旅は心配になりますが、叔父はびっくりしたことに81才で来る前はとても心配していました。しかし、あってみると心配はとりこし苦労だとわかりました。非常に元気でびっくりするほど元気でした。私が当初、親の旅行のプランにのっていた、カールトンヒル(つまりちょっとした丘に登る)へ行くというプランはやめにしたらと言おうと思っていたところ、初日私たちに会う前にもうすでに散歩がてら行ってしまっていました。

親が来て、色々日本の土産を持ってきてくれました。叔父は日本の美味しい醤油せんべいを持ってきてくれました。美味しい醤油せんべいはこちらでは本当に貴重品です。甘い食べ物は山というほどありますが、そのあと必ず口直しにせんべいが食べたくなります。親と叔父夫婦が来てくれたおかげで、エジンバラ中心の観光を久々にしました。皇室の宮殿であるホリルード宮殿、皇室の船として活躍したブリタニア号などを見て回りました。ホリルード宮殿は現在も夏エリザベス女王が滞在される現役の宮殿であり見ごたえが有りました。更に親が来たことで、エジンバラ中心部でいくつか行ってみたいと思っていたレストランにも行くことができました。中心部は何かないとなかなか人ごみの中にでにくく、車で行ける郊外の方が普段は行きやすくそちらを選んでしまいます。ムール貝とステーキの店、中華、スペイン料理、イタリアン色々行きました。いずれもそれなりには美味しいのですが、一番美味しく感じたのはムール貝でしょうか。クリーム風、チリ風味いくつかの味付けのムール貝をみんなで分け味わいました。しかし最も美味しいとは言え、我が家の新潟での最もよく行く新潟市役所前の“とんかつとんき”にはまったくかないません。早くとんかつとんきの定食を食べたいものです。親と叔父夫婦は元気なことに12時間近くもあるバスツアー(ネス湖方面など)に二回も出かけるなど、元気にすごし、しかもロンドンにも滞在し帰りました。自分はなかなかそこまで長生きできそうもないなという気がしますので若いうちに色々行けるところは行きたいと思う今日このごろです。

5月後半、二つの大きなイベントがSCRM(スコットランド再生医学センター)に有りました。ひとつは、センター開設を記念して著名な先生を招いて講演会が有りました。iPS細胞を開発した、京大の山中先生も講演に来ていました。恥ずかしながらこの講演会で初めてSCRMの研究所内でよく見かけるSir Ian Wilmutが以前博物館に行ったとき紹介した、クローン羊ドリーの産みの親であることを知りました。いつも私のデスクのそばで話をしているのをよく見かけます。身近に世界的に名の知れている先生がこんな身近にいたんですね。

もう一つはSCRMの開設にあたり、エリザベス女王の娘のPrincess Anneが来館されたことです。その日はIDカードを忘れると入れないというお達しが出ている程でした。当日は実験をしていても少し何となくそわそわしました。1時の来館時間をすぎてどこにいるのかわからなかったのですが、ボスはいつもにない正装をして、同僚の一人も実験の説明をするために正装をして私たちのデスクの前にたっていたのでもう間もなくこられるということがわかりました。それからいくばくかしてPrincess Anneが私たちの前にこられました。写真でよく見た特徴的な髪はそのままに、やはり皇室は気品が違うと思いました。私のデスクのほんの1メートル先でボスと同僚のPrincess Anneへの研究説明が行われました。なかなかRoyal familyを見ることができない中、こんな間近で見ることが出来、非常に英国皇室に愛着を覚えるきっかけにもなりました。エリザベス女王も今年在位60年でそのお祝いに日本の天皇陛下もイギリスに滞在されました。9月には秋篠宮眞子さまがエジンバラに留学されるとのこと。日本とイギリスの皇室の雰囲気はとても近いものを感じます。

更にビックニュースとしてマンチェスターユナイテッドに香川選手が入団することです。早速来季もマンUの会員になろうと思っている今日このごろです。

6月も終わりに近づき実験も7割ほど終了してきました。基本的なコンセプトとしては仮説通りであったと思います。しかし、残りの3割がいつも苦戦するところです。いいものになるのかならないかはこの3割にかかっているような気がします。残り2割は煩雑ですが時間をかけて頑張れば何らかの結果が得られそうです。最後の1割はどうしても埋められないと思っていましたが、最近、トンネルの向こうにかすかに見える光のようにゴールが見えて来た気がします。私の研究に興味を持ってくれ、手を差し伸べてくれる研究者が海外に見つかりました。思わぬ展開ですがこれも研究の醍醐味なのかもしれません。そこにたどり着くまでにも、非常に親切にアドバイスをいただける先生もいらっしゃいました。お世話になった先生方には感謝の一言に付きます。

                                いつも通うバス停から;八重桜が綺麗でした。                                                                               今年初めてのリス。

                         Japanese Princess to study in the capital. 新聞より。                                                             ホリルード宮殿の庭を散歩。寒かったです。

                                                                                                     夜11時まえ。薄暗い感じです。

2012年7月15日

その16;~いざドイツへ ~

7月に入りめっきり暑くなったと書きたいところですが、一向にエジンバラは暑くなりません。まだ最高気温15度をわる時が多くあります。半袖だけではとてもいられません。今年は誰に聞いても異常と言います。冷夏のようです。

7月1日からドイツのハノーバー(Hannover)に行きました。ハノーバーと言えば最近、柏レイソルの酒井宏樹選手が入団することになったハノーバー96のあるハノーバーです。ハノーバー大学医学部(医科大学?)の教室と縁あって共同研究をすることになり、今回挨拶と、私の研究発表、そして共同研究として使わせて頂く薬やマウスの件で話をしに行きました。ドイツといって正直ソーセージとビールしか思い浮かばなかったので、今まで留学先を含めいくつかの研究室を訪問させていただいた中で最も私にとって謎に満ち、訪問前の不安を掻き立てる訪問でした。訪問の予定は7月1日から5日までは空いているとのことだったので、1日から5日までとりあえず訪問することにしました。しかし、そのうち今回は1日のみの訪問であろうからということで、せっかくなので家族も夏休みなので連れていきました。航空券をひとまず押さえ、その後先方がホテルを予約してくれ、行く準備が整いました。その後7月3日が丸々一日使って話合いができるということで3日の日に訪問することとなり、その他の日はハノーバーやベルリン観光に行くことにしました。

7月1日エジンバラ9時15分発の飛行機だったので、家を7時前にでてバスで空港に向かい、飛行機にのりアムステルダム経由でハノーバーに行きました。着いたのは現地時間午後2時(イギリス時間の午後1時)でしたがやはり予想通り小さい子を連れた飛行機は大変でした。ハノーバー空港につき、疲れたので昼ご飯をと思い空港で食堂を探しましたが、食堂の前に飾ってあるメニューを見ると全部ドイツ語、全く何がなんだかわからない状態でした。手っ取り早くマクドナルドにしてしまったところが情けないと思いましたが、この日はとりあえず食べることが大事ということで諦めました。空港から駅の中心部まで電車にのろうとしましたが、電車の駅につながるエレベータにのり降りるともうそこはホームで改札はなくどこで切符買うの?という状態でした。ホームを歩くと券売機を発見しハノーバー中央駅までの切符を買い電車に乗り込みました。電車の中でも切符のチェックはなし、ハノーバー中央駅に付いても切符の提示はなくこれではキセルし放題?というくらい甘いシステムだと思いました。(後で聞いたのですが、時々抜き打ちでチェックがあるらしくその時見つかると罰金が大きいようです。)ハノーバー中央駅につくとさぞや日曜日なので賑わっているかと思いきや、閑散としていてとてもさみしい状態でした。有名デパートは日曜日休みと聞いていましたがデパートに限らず、小さな商店に至るまでかなりの店が休業状態でした。日曜日に店が開かないことには、稼ぎどきに休むなんて!と思ってしまいますがこちらでは当たり前のようです。ホテルに着くと疲れがだいぶたまっていました。どこか食べに行こうかと思いましたが、近くに空いているレストランはあまりないとのことで仕方なくホテルの食堂で食べました。昼間のマクドナルドがこたえ、あっさりしたパスタを食べました。そして、せっかくのドイツなので妻とビールを頼み束の間のゆっくりした時間をすごし一日が過ぎました。

次の日ハノーバー動物園に行きました。タクシーを頼むといきなりベンツ、こちらの国では確かにこれは当たり前のようでした。さすがドイツと思いました。乗り込むといきなり「動物園に行くメインの道が事故で閉鎖されている、高速道路で少し遠回りになるけどいいか?」と言われました。タクシーの運転手の人でも流暢な英語でした。ドイツでは英語が通じない時もお店などでは時々有りましたが、ほとんど英語が通じ、こちらの人は大学出る程度の人はほとんど話せるというのは本当だというのを実感しました。さて、タクシーですが、そんな具合で高速道路を通り遠回りされ10ユーロと計算していたタクシー代が20ユーロになりましたがドイツの高速道路を味わうこともできよしとしました。動物園では大人一人22ユーロ(2200円)とかなり高いですが、その価値がある楽しい動物園でした。チンパンジーの餌やり、船での動物観察、斬新なアザラシショー、10頭以上いるぞうの群れなど見どころが沢山有りました。一日かかって見れる、ヨーロッパでも有数の動物園と聞いていましたがその言葉に偽りなしで子供も大人もとても楽しめる動物園でした。

3日、研究室に訪問しました。前日夜、子供が寝静まったあとスライドを最終チェックしましたが、英語がどこまで通じるだろうか?自分の研究内容は本当に相手に興味をもってもらえるものなのだろうか?不安がいっぱいでした。朝ごはんも食べる量が少なかったことから妻に「緊張しているんでしょう。わかりやすい。」とごもっともな指摘をされましたが緊張しない訳がありません。ホテルは訪問先の研究室の目の前で5分ほどでしたが、ホテルを出たのは40分前でした。時間があまりすぎるので、行く前に医学部の施設を散歩しました。新潟の3-4倍はあろうかいう敷地の広さに2-3倍はあろうかという建物の数、まず、広さ大きさにびっくりしました。肝臓のペーパーでも良くハノーバーは出てきますがさすがだ、この大学は。と思いました。病院もとても綺麗でした。10分前に研究室の建物に行き入口を探しましたが、表示がまさかの全部ドイツ語、おおよそで当てずっぽうで訪問した研究室があっていました。教授は暖かく迎えてくれました。とても笑顔の素敵な中年婦人でした。教授室で5人関連の研究員を読んで話合いが始まりました。まず挨拶のときから感じたことは、「なんて英語がわかりやすいんだろう」ということです。イギリス人の英語は私にとって早くなってくるとそれだけ理解しずらくなりますが、こちらの人はやはり英語は外国語なので日本人にはペースが非常にあっていました。訪問時、英語での問題は余り感じませんでした。まず、先方が自分たちの研究の紹介をしてくれました。その後私の研究の提示を行い非常に興味をもってもらいました。遺伝子をノックアウトしたマウスの必要性、そこの研究室で作っている薬の有用性を説明し、話を前に進めて行くことで話し合いがまとまりました。私の実験に最後のパーツを埋め合わせるには必要なプロセスであったためこの共同研究の前進は非常に意味のあることでした。ランチをご馳走になり、その後コーヒーを飲みながら実験のつめや、実験のコツなどをきき、これはなかなか実際にきかないとわからないことが多いのでとても役立ちました。午後2時過ぎ話し合いは終了し、家族の待つホテルに帰りました。安心したこともあり、この日残り少なくなった時間を楽しもうと、有名な庭園Royal Gardens of Herrenhausenに行きました。広大な敷地に管理が行き届いた庭園、木々のなかの空間にも小さな庭園があったり、高さ30メートルはあろうかという噴水があったり、子供連れで庭園はちょっととおもいがちですが、子供がいても楽しめる庭園でした。庭園観察のあとは街でデパート見学をしたりしました。デパートの作りはイギリスのそれよりも日本に近く、デパ地下の食料品売り場などは日本のことを思い出すような風景が広がっていました。全体的にイギリスよりもなぜか日本を感じる店並び、店の雰囲気がドイツには有りました。

4日目、すっかりもう観光モードでベルリンに行きました。前の日とは打って変わってたっぷり朝食を食べてから行きました。ベルリンまではICEという高速列車に乗って行きました。ネットで予約しておくと半額程度まで安くなるため、あらかじめネットで予約し、切符を自分で印刷し持っていきました。電車は新幹線のような車体で、今回2等ではなく2等と往復で10ユーロしか違わなかったため1等に乗りました。新幹線並みで非常に快適でした。最高速度この日は確認出来た範囲で250キロでした。ベルリン駅は最近出来たモダンな駅で雰囲気が京都駅にそっくりだと思いました。タクシーで観光しようと思いましたが、タクシー乗り場が無法状態であちこちから乗っていて子供連れは半ば拒否されるように通過され、仕方なく歩けない距離ではなかったため歩いての観光がスタートしました。メルケル首相がいる首相府、国会、ブランデンブルグ門などを周りその後、川に観光船があると聞いていたため観光船に乗りました。乗船前、こちらでもベルリンのビールやソーセージを食べました。ビールを飲んで、天気もよかったため、船の後半は強い日差しの中うたた寝してすっかり今年初めての日焼けもしてしまいました。その後ベルリンの壁博物館にいき、現存の壁の一部も見てハノーバーに日帰りで帰りました。

最終日、ハノーバーに移動遊園地が来ているとのことで行きました。移動遊園地にしては規模がかなり大きく、びっくりしました。午後2時から開園だったためそれまで、Hannover96のスタジアムであるAWDアリーナをみてオフィシャルショップで子供の酒井選手のネームいりのユニフォームを買ったり、その近郊にある湖の湖畔のホテルのレストランで食事をしたりして過ごしました。(こちらでもビールを少し)二時過ぎ遊園地で2時間弱遊んだのち帰りました。アムステルダム空港でラーメン屋があるのでみんなで久しぶりにこってりしたラーメン食べようねといって楽しみにしていました。到着の飛行機が15分遅れ、アムステルダムにつきみんながトイレを済ませている間にそれまで営業をしていたラーメン屋がまさかの閉店、マクドナルドをまた食べる羽目になりました。これが心残りでなりません。研究、観光共に非常に充実した日がすごせ、束の間の夏を味わうことが出来た旅でした。印象の薄かったドイツがとても好きになった旅でも有りました。

                                           ホテルについてまず一杯。                                                                                        水上バスでベルリン観光。

                                           ハノーバーの広大な庭園。                                                                                       ベルリンの川べりでランチ。

                                                                                                          ブランデンブルグ門。

                      庭園にあった大きな噴水。子供の大きさと比べてとても大きい。                                       訪問した研究室のある建物。これがごく一部なので大きさに驚き。

2012年8月22日

その17;~オリンピックへ行く~

オリンピックが始まり、そして終わり私の留学生活も後半の折り返しに入りました。オリンピックの開催国で生活できるなんてラッキーなことです。オリンピックの開会式は久しぶりにテレビで見ました。エリザベス女王がダイブ(?)したり、Mr.ビーンが出てきたり、イギリスっぽい、いい開会式だったと思います。私が住むエジンバラはロンドンから電車で4時間半、飛行機で1時間かかり行くのは大変ですが、なんとこれまたラッキーなことに男子のサッカーの予選2試合はエジンバラ近郊のグラスゴー、ニューキャッスルでやることになったので、私の家族も行こうと、サッカーチケット第三次発売日に両会場のチケットを購入し、オリンピックを見に行くことができました。

皆さんも既にご存知のとおり、グラスゴーのスペイン戦では「グラスゴーの奇跡」と言われる(私は、試合内容は全然奇跡ではない、実力だと思いましたが)見事な試合を演じてくれました。続くモロッコ戦でも押されながらも最後に要所できめて見に行った試合は2戦2勝でした。研究室で「サッカーオリンピック見に行くんだ。対戦相手はスペイン!」と話すと誰もが哀れみの表情で見てきましたし、近くのラボのスペイン人からは自信満々に「会場で会おう!」とちょっと日本を小馬鹿にしたような感じで言われたので、この勝利は本当に嬉しい思いでした。子供は、サッカー教室で友達に「俺は明日見に行くけど、日本を応援するよ」と言われたそうですが、偶然会場であったその友達はまさかのスペインのユニフォームに身を包んでいました。最後10分「オー日本!日本、日本、日本」という応援に併せて会場の日本人が一体となっている様子が非常に印象的でした。日本語補習校でない限り、こんなに多くの日本人を見ることはないのでとても、日本人の多さにびっくりしました。ハワイに来たようでした。試合観戦も早く申し込んだ甲斐があり、中央8例目で選手の表情もよく見え、声もよく聞こえる位置でした。スペイン戦後、交通の混雑を避けるためイタリア料理を競技場の近くで食べ、一杯飲んで帰ってきましたがその一杯がなんと美味しかったことか!

その3日後、我が家は再び試合を見にニューキャッスルに向かいました。試合開始は午後5時でしたのでその日はホテルをとっていました。私たちは3ヶ月前に申し込んでいたので約10000円で宿泊できましたが、その日の価格は18000円とホテルもオリンピック価格で便乗値上げされている感じがしました。昼にNoodle屋でラーメンや、麻婆丼を食べ、こちらでは珍しい、日本式のトレーにパンを選んでいくシステムのパン屋も発見し(中国人経営でしたが)久しぶりにあんぱん、クリームパンを食べました。ホテルに帰り、少しくつろいでから球場に行きましたが、そこで思わぬハプニングが有りました。チケットには中央前の方のかなりいい席が指定されていました。私はインターネットでエリアを確認していたのでとてもいい席だと喜んで会場に向かいました。しかし、球場に入りそこにいこうとすると、係員にいきなり止められました。理由も何も言わずいきなり、「ここには座れません。あなたたちはあそこのエリアならどこに座ってもいいからそっちに行ってください」とチケットに指定されたエリアには入れてもらえず、後方の席へ行くように強制されました。同じように、何人も足止めされ、そこの中央のエリアには入れないままでした。何人かはあきらめ納得して別の場所に座っていましたが、私を含め何人かは納得していませんでした。ちょうど一緒にいた日本人の人が抗議に行きましたが、受け付けてもらえず、とにかくそこに座れと命令されるように言われてしまいました。私もその態度には納得できず、せめて詫びの一言もあってしかるべきだろうということで、今度は私が抗議に行きました。拙い英語でしたが、「私たちがここに座るのはどちらのミスですか?これは私たちには一切ミスがなくてあなたたちオリンピックのミスのはずだ。私たちはここの席を確保するためにカテゴリーAの高額のエリアを買っている、そして早くから貴重な時間をさいて買っている。それが遅く申し込んだ、より安価なチケット購入者より後ろに座らされるとは、もしあなたなら納得いくものなのか?そこをきちっと説明しないでその態度ははおかしいと思わないか?」と言いました。その発言をしたあと今まで傲慢だった警備員が顔色がかわりました。そのことについて相談してくるから少し待ってくれと警備員は一度相談に行き、その10分ほどのち「本当に済まなかった。」ともともとチケットに割り振らた場所に入れてくれました。しかしそのエリアは他のエリアよりすいていて、どうやら抗議をした人ははいれ、抗議をしなかった人ははいれないようでした。これもおかしな現象に思いますがとにかく私たちは自分たちの割り振られた席に予定通り座ることができました。北朝鮮戦に韓国の国旗を出してしまったり、今回のように席がいい加減だったり、イギリスの一つの側面も表しているように思います。何となくそういうことが起きてもおかしくない雰囲気が日本よりもあることは最近感じます。

試合が始まるとなんで、そこから人を締め出したかったが何となく分かった気がします。そこのエリアには、たくさんの関係者が座っていました。日本代表監督ザッケローニ監督はじめサッカー協会の関係者、試合後の関塚監督、元日本代表の方たち、そして次の試合前のスペイン代表の選手たち。そこはいわばVIPエリアでした。VIPが沢山座るから、一般の人をできるだけ入れたくなかったというのが本音ではなかったのではと思います。VIPの人に迷惑にならないように試合の合間などに子供はサインをもらいに行くことができました。ザッケローニ監督や試合後の関塚監督や解説などで来ていた元日本代表の選手は快く子供にサインをしてくれました。日本サッカー協会の前会長の小倉さんは子供に、なでしこJapan優勝の時のバッジとJFAのバッジをくれました。日本が勝利したこの試合、勝った喜び以上に皆さんが子供に暖かくサインしたり、バッジをくれたりしたことが嬉しかったです。子供には日本にいたとき野球をやらせようとして私も頑張っていましたが、最近ではサッカーにはまってきてしまい、今回の出来事はそれを更にすすめる出来事だったかもしれません。イギリスに住んでいる以上それはいたし方ないことなのかもしれません。学校での遊びもサッカー中心のようですし、日本にある、野球カードのようなサッカーカードも、学校でもとてもはやっているようです。日本では考えられないことですが学校にもっていって、休み時間にトレードしたりして、各自自分の持っているカードの自慢をしているようです。そんなことを通じイングランドに限らずヨーロッパの選手の名前も子供は大分覚えてきました。日本人の宮市、本田両選手は他の現地の子からしたらいらないカードのようで、友達に日本人だからあげるよとあっさりもらって集めてきていました。

オリンピック二試合はあっという間に終わってしまいました。少しさみしい気がします。オリンピックと同時期にエジンバラではまた世界的に有名なエジンバラフェスティバルが始まりました。今年はミリタリータトゥーというエジンバラ城で開催されるこの音楽イベントのチケットを買い見に行きました。バグパイプの演奏、各国の軍隊の演奏、お城をスクリーンにした演出、連日の家から鑑賞していた花火、1時間半という時間があっという間にすぎて行きました。今年は今のところ最高気温が20度ちょいです。雨続きのエジンバラの短い夏が過ぎようとしています。日本のセミの声、カエルの鳴き声が懐かしい気がします。

                           こんないい席で見れました。グラスゴースペイン戦。                                  サイン;中央がザック、右が関塚監督、左は上から福田、長谷川、宮本元日本代表選手。

          ついでに国際親善試合スコットランド対オーストラリアも見ました。エジンバラにて。                                              ニューキャッスルでのモロッコ戦前。

                                                                                              ミリタリータトゥーの始まりこんな感じです。

                                                                                                        ミリタリータトゥーの花火。

2012年9月27日

その18;~イギリス生活での色々なトラブル~

9月に入り、イギリス滞在時間があと11ヶ月になりました。日本はまだ30度というニュースを聞きますが、こちらは最高気温11度なんて日も有り、夏の違いに改めてびっくりします。日も次第に短くなってきていて、8時前には暗くなり始めました。8月は我が家にとっては本当に悪運のつきまとった月でした。あまりの不幸に自分でも笑って流すしかありませんでした。そんな不幸を少し書いてみたいと思います。

まず、一つ目は長男が月初めに腹痛を起こしました。時々よく子供にありがちな腹痛を訴えますが、今回は今までにない、いわゆる盲腸の辺りを痛がりました。下痢も吐き気もなく、前の日は弱い心窩部痛があり、その日は右下腹部に圧痛があり、弱いですが反跳痛が有りました。熱は37℃台と高くはなかったものの食欲はなく顔面も蒼白、これは盲腸(虫垂炎)は鑑別診断のうちから外せないと判断し、受診をすることとしました。丁度その日は日曜日でした。本来は近くの開業医(GP)を受信し必要あれば紹介してもらうという医療スタイルがこちらの流れですが、この日はGPが休みであったため、NHS24(national health service)に電話しました。対応は看護師が当たりました。非常に多くの質問に答えさせられました。顔色は良くない、右下腹部を痛がっている、昨日からほとんど食べられていない等々。最後にじゃあ受診してくださいとでも言われるかと思ったら、痛み止め飲んで寝かせておいてくださいとのこと。あまりに応対が事務的で、何も考えていない感じだったので、「一応日本の内科医なんだけど本当にそれで正しいの?」と聞いたところ「Royal Infirmary (私の研究施設と同じ敷地内にある大学病院)に受診してください」と言われ予約をとってくれました。行った時間に行くと、Drは大変不機嫌でした。呼ばれたことにが相当面白くなかった感じです。同業の医者として全くわからないではありませんがその態度はちょっとという感じでした。ろくすっぽお腹を触らず、今日は様子を見るかSick children Hospitalに行くかだ。ここでは何もできない。と言われ、排尿するときも腹痛が響くというようになってきていたので、Sick children hospitalに受診することとしました。そこの救急室は非常にこんでいました。受付で問診、体温などの検査を受けたあと、外科の先生が見てくれました。今度の外科の先生はとても優しい感じでした。挨拶をし自分の身分を名乗り、雑談をして子供を和ませながら診察してくれました。「腹痛はあるが現時点で直ぐお腹を開けようという感じではない。ひどくなったらいつでもここに直接来ていいから今日はうちで様子を見てください。GP行ってもどうせここに来るだけだから、ここに直接きなよ。」と言われました。私もその意見には同感だったのでその日はうちに帰りました。取り敢えず悪くなった際に引き受けてくれるところが出来たので安心できました。翌日、朝起きると案の上腹痛は悪くなっていました。そこで再度受診しました。再び問診を受けている途中震え(熱が上がっている際起きる所見)もきて一気に熱も39℃台に上がりました。この時も下痢等はなかったので、やっぱり虫垂炎なのか?と思いました。救急室では研修医がまず来ました。全く要領が得なかったので「何考えますか?」「血液検査とか画像検査とかしないの?」「昨日から食べれていないので点滴はして欲しい」と告げました。自信なさげに「ボスに相談してきます」とのことでした。待つこと少ししてボスがやってきました。「診察後この症状では入院をしたほうが私はいいと思う。血液の検査と超音波の検査をしましょう。点滴ももちろんしましょう。」と言いました。超音波検査室に行きました。おそらく放射線の先生が研修医を指導しながら当ててくれました。でも超音波を私達が普段当てている感じからすると30点?というくらいのレベルでした。ここでどうも虫垂炎ではなくその周辺の腸(回盲部)の強い炎症が疑われました。私はそういう結論が出るのかと思ったところ。リンパ節も少しはれていて、その先生は「CTとMRIで悩みますがリンパ腫も鑑別にいれて緊急MRIを取りましょう。」という流れになりました。超音波でそう見えたのかな??と思いながらも画像をとってくれるのでそのままとってもらうことにしました。MRIまでを待つあいだいきなり知らない女医さんが入ってきて、「私は外科医の○○だけれど」もといきなり言い始めて、いろいろ説明しだしました。「診断もうされたんですか?」と聞いたところ、「そうだ虫垂炎でこれから腹腔鏡で手術を行います」と言われました。「まだMRIもとっていないのにMRIをとったあと診断付けるんでしょ?」というとけげんな顔で出て行きました。その後例のボス先生が来て「となりにも似た症状の子がいて間違えだった。」と言われました。午後MRIを取りました。45分子供はDVDを見ながらの撮影でした。私も機械の部屋に入り子供の観察をしました。終わり、診断が下ると、腸炎で良さそうだとのこと、下痢も出だし、間違えなさそうな感じでした。急性のものである可能性が高いけど、今まで腹痛歴もあるし少し今後様子を見ていきましょうということで話がまとまりました。腸炎という診断でしたが食べれていないといっていたので入院になるかな?と思っていたところ、点滴を急速静注され(子供でしたが生理食塩水500mlを1時間でされ、)無理やりビスケットと水をだされ食べさせられ、解熱剤を渡され返されました。尿中ケトン体は3+でした。子供は数日かかって少しずつ良くなりました。MRIまでとってもらって無料でしたが、無料の弊害がイギリスの医療にあることが実感させられます。無料にする代わり、受付で日本よりしっかりガードして受診する人の敷居を高くしていることは間違えないと思います。また、このケースだけでなく何件か内科医なので知り合いに相談を受けた話を総合すると、こちらは検査、投薬もなかなかしません。日本が確かに過剰なのかもしれないと思う節もありますが、こちらの検査しない感覚も少し異常な気がします。古典的な診察手技もとても大切ですがもう少し画像などに頼れば早期発見できるものも見逃しているのではと思えてなりません。食生活もおおいに関係しているとは思いますが、男性の平均寿命が日本より5歳以上悪いと聞きます。このあたりにも原因があるような気がします。

その他にうちに起きた悪いこととして、家のパソコンが壊れました。Windowsが全く立ち上がらなくなり、いろいろ日本の発売元に聞いてもぱっとせず、こちらのパソコンショップで診断したところWindowsそのものを再びインストールする必要に迫られました。日本語版が欲しかったので日本から取り寄せ、何とか復帰しました。その後、車がパンクしました。日本であればオートバックスやガソリンスタンドなどで交換出来ますが、こちらのシステムがよくわかりません。インターネットで調べて、タイヤ込みで100£ほどで出張で交換に来てくれ翌日直りました。そうこうしているうちに日本でいう車検こちらで言うMOTというものに車を出したら、なぜかランプが通らず、250£ほどの出費になりました。そして、通販では、物品が来ない、来ないという連絡もなく問い合わせると欠品ですとの無責任な対応にあい、さらには他の通販のものは物品不足で来る始末。ほとほと疲れて、さあ気を取り直して頑張るぞと思ったら、今度はテレビが真っ黒で音だけになってしまいました。災難は続くものです。日本だったらきっとお祓いに行くと思いますがここはイギリスです。運が回ってくるのを待つしかありません。9月に入って風向きが変わったように思います。捨てる神あればひろう神ありです。テレビはたまたま日本に帰国される方から安く32型の巨大テレビをゆずっていただけました。一挙に大きくなったテレビにびっくりしながら、家族共々無事に過ごせるのは幸せなことだとつくづく感じています。

                             スコットランドプレミアリーグもみにいって来ました。                                                             我が家には不釣合いな新しい大型テレビ。

                     久々のエジンバラ観光。カールトンヒルから見える有名な景色。                                                  カールトンヒルからホリルードパークを見渡す。

                                                                                    エジンバラにありがちな立ち込めた雲。その間から虹が。

                                                                                              妻の父母が来てくれました。孫へのお土産。

2012年10月24日

その19;~フランスへの旅~

10月に入りエジンバラはめっきり寒くなりました。最近では最高気温10度を切ることもしばしばあり、冬の到来を感じさせます。スッキリ晴れる日もほとんどなくまさに新潟の冬がいち早くやってきた感じです。これから日の長かった夏とは裏腹に日の短い短い冬がやってきます。10月8日恒例のMonday meetingが有り私が当番でした。1時間弱いくつかの肝臓グループメンバーの前で発表しました。だいぶ最終局面になってきたので日本語でも発表大変な量でしたが、英語となると本当に一週間前から非常に頭痛の種でした。何とか一応成功と言える状態で終わることが出来、気持ちがスッキリした後、丁度子供の学期ごとの一週間の中間休み(日本にはないシステムです。)に重なっていたので我が家はフランスに家族旅行へ行くことにしました。

10月12日エジンバラを出発しパリに向かいました。かねてからこの日に出発することに決めていました。どうせ行くならその日丁度行われる、日本代表対フランス代表の親善試合をフランスで見たかったからです。朝大雨だったのでバスで行く予定が急きょタクシーを呼んで行くことにしました。パリには飛行機で直通2時間弱、日本だったら新潟から北海道もしくは九州に行く感覚で行けてしまいます。値段も一人ホテル5泊して5万円しない位でいけとてもお手軽感がありました。付いてその日パリは金曜日、空港から電車は少し治安が悪いこともあると聞いていたのでバスでパリ市内へ行きました。早く付いて夜のサッカーの前に観光をしようなんて思っていましたが、バスはかなりの渋滞で終点オペラ前に着くと早速フランスで噂のスリもしくは詐欺が疑われる集団に出くわしました。後から聞きましたが、丁度バスの降りたところはよくその集団がいるそうで、大きなカバンをもった日本人家族は格好のターゲットだったに違いありません。その怪しい人とはこんな人でした。いきなりあなたは英語が話せるか?と近づいて来ました。少しと答えるといきなり署名を!といてきました。3行ほどの英語をわずか3秒ほどで英語になっていない英語で説明しいきなり「署名して!」とペンを渡そうとします。その説明には子供の何かを救うことがパッと見書いてありましたが、見ず知らずの外国人にいきなりこんな事を聞くのはおかしいのでむこうが「署名して!」というのとほぼ同時に強く「No!」と言いました。その人は「お願い」とかなり強い調子で言いましたが完全無視して立ち去ることにしました。どうやらこの対応は正解だったようです。あとで聞いた話では、署名しているすきに仲間がすりをしたり、もしくは署名をしてしまうとこれは寄付の署名だと言って金を払うように言われることがあるそうです。身をもってパリの犯罪の一部に触れることで、引き締まった状態で旅行がスタートしました。何も奪われずスタート出来ました。

最初の日ホテルに着くともう昼の3時すぎ、サッカーのツアーの(開始が9時。終了が11時で治安を心配してバスツアーに)集合は夕方6時だったのでその前に腹ごしらえに、日本食堂がたくさんあるサンタンヌ通りにいき久しぶりにエジンバラの知人が紹介してくれたラーメン屋に行きラーメンを食べました。店に入った瞬間立ち込めるラーメン屋の匂い。家族でこの匂い懐かしいね!と言って感激しました。エジンバラではなかなか味わえない感覚です。注文した味噌ラーメンがきて、久しぶりだと思って麺を早速吸い込むと、あのラーメン屋のこってり感に体が慣れていなかったのか、いきなりむせてしまいました。しばらくむせてしまいましたが、久しぶりのラーメンは本当に美味しかったです。ラーメン、餃子、そこにライスも注文し腹ごしらえは終え、またそこのラーメン屋の近くには日本式のパン屋さんがあったのでメロンパン、クリームパンなどを買いサッカーへ行きました。サッカーの競技場について驚いたことは、なんと日本人の多いことか。さすがパリといった感じです。このサッカーのために日本からきた人もいるなんてびっくりといった感じです。(私もエジンバラから来て似たようなものなのかもしれませんが。)試合は終始押されっぱなしでしたが見事に最後にカウンターから得点し勝利。これで日本代表選はオリンピックから続いて3連勝。我が家はなかなかついています。ついていると言えば、ハーフタイムの時、グランドから観客にサービスでフランス代表のユニフォームを着たくまの人形をバズーカー砲で客席に打ち上げていましたが、それを妻が見事キャッチ。次男はくまのぬいぐるみを満足そうにずっと抱いていました。その日はバスが宿まで送ってくれ、宿に着いたのはもう12時過ぎ、初日は疲れましたが充実でした。

次の日、大雨でした。エッフェル塔に行く予定をやめて、ルーブル美術館に行きました。雨で客足がルーブルに集まったようで大変な混み方でした。しかし二歳児の次男がいたためにほとんど並ばず通してくれました。ラッキーです。美術とはうちの家族は程遠いところに位置する家族ですが、モナリザやミロのビーナスなど教科書に乗るものだけは見ておこうと言うことでガイドブックにのっている短縮鑑賞コースを更に短縮して見ていきました。モナリザの前に行くと「とっても有名な絵だから、これ絶対に覚えておくんだぞ」と長男に言ってから見せました。(このセリフはその後絵や彫刻に数回使いました。)モナリザの鉛筆も買い、学校でモナリザを見たと行ってきたようで、これで彼の記憶に残ったかなと親として勝手に満足してしまいます。短縮の短縮コースでしたが、午後からの出だしでしたのでその日はルーブルで終ってしまいました。次の日今回の旅行の私の目玉、モンサンミッシェルに行きました。パリから350キロほど有りバスツアーで行きました。本当はTGVにのって行きたかったのですが、発表前で非常に忙しくゆっくり調べていこうという気分になれずついついツアーを選んでしまいました。モンサンミッシェルは有名な世界遺産ですが、つい数年前まで知りませんでした。子供と漫画のケロロ軍曹の映画を見に行き、そこでこんな美しいところがフランスにあるんだとしり、それ以降留学が決まってからは絶対に行こうと決めていました。片道3時間以上かかりましたが、それだけかけても行く価値のある景色が広がっていました。パリはその日大雨だったそうですが、モンサンミッシェルは快晴。清水寺もしくは江ノ島?といった参道が修道院に向かう道に有りました。参道で食べられる名物のオムレツも食し、修道院を見学し帰って来ました。ツアーで疲れ果て、次の日は午後近くからエッフェル塔に行きました。予想通りの混雑でした。やっと登れましたが、こんでいたため、一番頂上までは登れず真ん中ぐらいの第二展望まで行きました。(高所恐怖症の私には好都合でした。)すいていて行くことができるようになっていたらきっと妻と長男は一番上まで行こう行こうと言っていたでしょうから。いい景色が広がっていたことと思います。私はずっとまんなか付近に次男といたのでほとんど景色を見ていませんというか見れませんでした。築100年以上の塔。考えただけでぞっとします。最終日パリ(ユーロ)ディズニーランドに行きました。平日でしかも朝雨模様だったので非常にすいていました。ほとんどの乗り物が20分以内で乗れました。ショーも非常に面白いものを二つ見れました。混んでいる日本の東京ディズニーランドの二回分くらい遊べたのではないかと思いました。約10時間滞在しましたがあっという間にすぎてしまいました。子供たちは非常に喜んでパリの旅行は終わりました。パリに行ったのにほとんどフランス料理は食べず我が家は日本食堂街に連日出没していました。今年の年末の年越しそば用に‘どんべい’も買ってきました。

帰りのタクシーは、朝4時半に頼んで置きました。4時半前にチェックアウトを済ませて確実に4時半前に待っていたタクシーに乗ったところメーターはまさかの14ユーロからのスタート。??朝早く呼んだサービスで高くなっているのか、それとも来てすぐ勝手にメーターを入れ始めたのか、謎です。フランス語で聞くことも出来ず。最後にして何かとても悔しい気持ちになりましたがチップを払わず帰ってきました。エジンバラに帰ってきてまだ実験は完全には終わっていませんが書けるところから論文を書き始めました。メリハリを付けて頑張ろうと思います。

                                             久しぶりの味噌ラーメン。                                                                                              フランスに勝利!。

                                     ルーブル美術館;モナリザと対面。                                                                      モンサンミッシェル;名物のオムレツも食べました。

                                                                                                セーヌ川の水上バスからエッフェル塔。

                                                                                                  パリディズニーランド、すいてました。

2012年12月3日

その20;~二人きりの旅~

11月後半に入り、ようやく日本の気温もエジンバラに急速に追いついてきて、新潟と変わらないくらいの気温のときは嬉しくなります。しかし冬時間になり一層夜が早く来るようになり、4時を過ぎると暗くなってきます。日によっては3時台から暗い日もあります。あとひと月、日はどんどん短くなるのかと思うと少し暗い気分になりますがあと8ヶ月と少し、止まっている時間はありません。

今月特に印象に残っている事は長男との旅行です。その前に、長男は現在、(日本では小学3年ですが)現地校のP4に属していますが、1年と4ヵ月本当に英語が本当によく上達したと思います。私が聞き取りにくい言葉もよく聞き取ってくれますし、学校の友達とも先生との面談にて聞く限りでは問題ないということです。しかし、よく留学前に色々な人に「子供が心配だ」というと「子供は英語の吸収が早いから大丈夫だよ。全然心配しなくて。」と励ましを頂きましたが、この1年4ヶ月それほど生易しいことではないというのが正直な感想です。この1年4ヶ月子供と土曜日以外ほぼ毎日続けてきたことは一緒に英語の本を読むことです。Oxford reading treeという教材から始まって、次は簡単な薄い本になり今は、私でも予習なしでは教えられない150ページ以上もあるかなりの長編を読むようになっています。私には現地の人のような流暢な英語を教えることは不可能なので、一日5-6ページ、一緒に読んで全部一緒に訳して、新しく出てきた単語や表現を書かせるという作業です。もちろん子供でもすぐ単語は忘れてしまいますが、多くの量を読み、何回も単語が出てくることで少しずつ難しい単語も覚えて行きます。今やっているのは少なくとも高校生レベル以上だろうなと感じます。これでも現地校の子のEnglishのreadingのmiddle classにようやく入れた感じです。現地校に入ったら必ず英語ができるようになる。これはどうやら間違いの気がします。そうでない子も多いみたいです。私達が英語を習得するのが難しいと感じるように、子供もそう思うのだというのが最近の実感です。だから誰かがやっぱりサポートしなければ上達はなかなかこのぐらいの年の子はしづらいというのが本当だと実感しています。本当は内心私との英語の勉強は嫌だと思っているのでしょうが、毎日頑張ってくれていてありがとうというのが私の本心です。

こちらにきて長男が本当に打ち込んでいるものはサッカーです。金曜日サッカー練習に行き、学校でも友達とサッカーをやり、サッカーカードを交換し、お店に行けばサッカーカードを購入したがり、日曜は早起きしてサッカーの試合のダイジェストを見て、最近ではアルビレックス新潟のスクールに入りたいと言い出す始末。サッカーの事は、野球ばかりしてきた私には教えることができませんが、好きなサッカー、そしてこちらでは本当に世界トップと言えるチーム選手が見ることができるのでそれに連れて行ってあげたいというのが、親の希望でした。そして、サッカー選手はここまで来るのに、大変な努力をしてきていることを学んでくれたらという気持ちをいつも伝えられたらいいなと思っています。そんなこんなで、11月はじめ、二試合のbig gameを見に行く二人旅をすることになりました。1試合目はマンチェスターにマンチェスターU VS アーセナル、二試合目はグラスゴーにセルティック VS バルセロナです。どちらも二人で行きました。私自身も観たいという気持ちももちろん強かったのですが。長男との二人旅。新潟に帰るとなかなかこんなこともできにくいだろうから、ましてや海外での二人旅はおそらく最後になるかもしれないからと思うととても貴重な時間に思えました。

マンチェスターは土曜日12時45分開始でしたので、当日の日帰りの旅でした。朝まだ6時台真っ暗な中、駅へと向かいました。電車にのり、前日に食べたカレーの残りを詰めてもらった朝ごはんを二人でつついて食べました。乗り換えを一回しマンチェスターに10時過ぎに付き、オールド・トラフォードへ向かいました。一年前来た道でしたので要領は得ていました。着くとすぐメガストアーに行きました。今回目的の一つの香川選手は怪我で出られませんでしたが香川選手のユニフォームを息子に購入しました。背番号や名前、そしてワッペンをいれると合計60£(7500円以上)かかりましたが、ほかにお土産は買わなかったので行った記念にはしょうがないと思いました。毎回自分のも買いたいなと思うのですが、いつも子供のを買うと自分の分を買うのを合計のお金を考えると躊躇してしまいます。買い終え、プリントしてもらうと、もう試合開始40分前、いそいでホットドックを屋台で買い球場へ入りました。香川選手がいなくてもマンUはスター選手ぞろい、去年は息子はあまり選手の名前を知りませんでしたが今年はすべての選手を把握しており、その名前の覚える速さには感服してしまします。マンUがアーセナルをやぶり強さを発揮したのを見届け、帰りました。往復7時間の電車の旅でした。

そのおよそ4日後今後はグラスゴーに泊まりがけで、セルティック VS バルセロナのチャンピオンズリーグの試合を見に行きました。大方の予想はバルセロナが力を発揮して楽勝するだろうと見られていました。私も息子もそのように予想してバルセロナを内心応援する予定で行きました。当日学校が終わるとすぐにバスに飛び乗り、グラスゴーに行き、ホテルにチェックインの後、球場に向かいました。当日は雨、最寄りの駅から1キロほど歩かなければなりませんでした。二人で寒い中歩いていくのもいい体験です。今回もお弁当を用意してもらっていたので、球場に着く前にある屋台では何も買わないと思っていましたが、寒さと匂いに負け、屋台でまた買って球場入りしました。セルティックの球場に入り雰囲気が今までのどのチームとも違うことがわかりました。サポーターの熱気が中途半端でありませんでした。丁度125周年にあたっていた事も有り試合前から125を型どった人文字がスタンドに出来、みんなで「You never walk alone」 を歌い、息子と二人その熱気のすごさに圧倒されていました。試合が始まると声を出して応援をするというのはどこのスタジムでもありますが、足元が揺れるほどみんなで飛んだり、みんなで肩を組んで踊ったり、と大変観客は興奮していました。日本のどこかにこんな風景があったなと思ったのですが、それはまさに甲子園球場の興奮と近いものが有りました。となりに座っている人も大変な興奮具合でした。日本人とわかると中村俊輔選手が昔いた事で日本人には好意を持っているのか、色々話かけてきました。スコットランド訛りが強くまたうるさくあまり聞き取れませんでしたが、非常に興奮していることだけはよくわかりました。試合もその観客に押されてかまさかの2対1でセルティックの勝利、となりにいたおじさんはセルティックに点が入るたびに上機嫌になって抱きついてきたり、子供に1点に付き1ポンドのお小遣いをくれました。また、別のお客さんも息子が応援時みんな持っているセルティックのマフラーを持っていないとのことで、これをつけなさいといってマフラーをくれたり、非常にサポーターによくしてもらいました。帰りも1キロの道を駅まで歩いて帰りましたが、サポーターはみんな歌いながら上機嫌に帰って行きあきませんでした。二人してバルセロナの選手の凄さよりもセルティックの偉業に興奮していました。ホテルに帰り、二人で一つのカップラーメンを食べ泊まり、朝一番で朝食をたべ次の日学校に3分ほど遅刻でしたが、何とかうまく滑り込み遅刻にならずに帰ってきました。私にとってこの二試合は非常に面白いものでしたが、息子の記憶のなかにも残るものであったら嬉しく思います。

12月目前、実験は確実に終わりが見えてきました。平行で論文も書き始め、エジンバラ留学の終盤戦へと入って行きます。最後の実験も始まり、研究でも何かが残せるそう実感できるようになってきました。一層気持ちを引き締め仕上げないといけないという気持ちになってきました。今年のクリスマス、正月は少し休みますが最後の追い込みで去年より忙しくなりそうです。

                                      セルティックの応援;125の人文字。                                                                 体を温めてくれた屋台の揚げたてのfish & chips。

                                     次男はトーマスのケーキに釘付け。                                                                          中華のdeliveryをとったりしています。

                                                                           サッカーじゃありませんが、ハンドボールの大会でメダルをもらいました。

                                                                                        全校集会での発表;なかなか堂々喋っていました。

2013年1月7日

その21;~スコットランド教育事情~

スコットランド、エジンバラに来て二回目のお正月を迎えました。今年の年末はニューキャッスルのホテルで紅白歌合戦を見ることができました。エジンバラにはホグマニーというとても有名な年末イベントが有り、コンサート、花火などが繰り広げられますが、小さい子がいるとなかなか厳しいかなというのもあり、でもせめて年末は何か楽しみたいという思いから、日本のテレビが見られるJSTVというテレビが入っているホテル滞在と決めました。以前4月にもここにサッカーを見に来た時に来たことがあり、もう一度来てみたいというのもありました。ホテルの近くには大きなショッピングセンターが有り、ホテルにはプールもあり家族でショッピングをしたり、プールに入ったり、のんびりすることができました。よく紅白の中継中に「この放送は100カ国以上の国や地域で放送されています」というくだりが出てきますが、今回海外から見ましたが、日本にいるときには感じなかった、見られてよかったという嬉しさが有りました。紅白歌合戦を外が明るい時間に見る。違和感たっぷりで、大晦日という感じがあまり正直しませんでしたが、いい経験をしました。知らない歌手や知らないタレント、そしてほとんど知らない曲、自分がこうしてスコットランドで過ごしている時間にも日本では同じ様に時間は過ぎていると考えるとこちらの時間を大切にしようと思う気持ちが強くなりました。また、今回JSTVで深夜になぜかNHK特集「わが町に医者を」が放送されていました。なんでこんな外国向けのJSTVでこんな番組をしかも年末に??と思いましたが、目が覚め偶然テレビをつけるとその番組がやっていました。インターン制度の廃止、医局制度の弊害、新研修システムの開始とその弊害などを今回の地震で被災した陸前高田病院のDrの視線も通して番組では映し出されていました。新潟大学内にいて感じた新研修システムの問題、佐渡、会津、その他色々な病院で働いた時に実感した体験を思い出させるもので、実際に現場で感じていることを強く反映している面白い番組でした。医師不足という現実、その地域に置かれた時の苦労、今は少しこうして研究させてもらうことが申し訳なく感じさえしますが、だからこそより一層いい加減に終わらせるわけには行かないという思いが強くなりました。大学に戻ったら、臨床、研究、教育以外にも医師不足の現実を直視できる医者になりたいと年末ニューキャッスルで思いました。

とうとう帰国まで7ヶ月を切り、帰りのチケットもとり色々なことが仕上げに向けて動き始めています。もうじき最後の実験の試薬や研究材料がドイツの共同研究先から送られてきます。これの解析が終わればいよいよエジンバラの仕事の論文が完成します。 今回はスコットランド日本語補習授業校を中心に現地の日本人もしくは日本人と国際結婚した現地の子供の奮闘ぶりを述べてみたいと思います。スコットランド日本語補習授業校は、スコットランドの二大都市グラスゴーとエジンバラの中間のリビングストンという街にあり、スコットランドの幼稚園年中相当~中学生相当まで60人強が通う学校です。各学年ほぼ10人いかない生徒で構成され複式の学級もあります。先生は現地の日本人から募集され、校長先生等はおらず、運営は基本的に父母が行うという形態をとっています。日本の小学校では行事は先生が主に準備しますが、ここでは父兄が中心になり準備を進めます。子供たちは普段は現地校に通い、毎週土曜日だけ国語の授業を3時間受け日本語を学んでいます。教室は現地の高校を間借りして午前中だけ授業を行います。今年、我が家は夫婦でこの補習校の図書およそ4000冊の本を管理する図書の責任者、言ってみれば学校の図書室の司書長さんを毎週土曜日することになりました。司書として毎週奮闘し、その中でいろいろ子供たちは頑張っているなと思うようになりました。正直に言えば、土曜日ゆっくりしたい、図書の仕事もしたくない、その間に研究進めて日々の仕事を楽にしたいというのが偽らざる気持ちですが、子供たちを見ているとこれは頑張ってみるかという気持ちになります。スコットランドまで来て、司書として働く姿は全く想像すらしていませんでした。ここの通う生徒は大きく分け企業の駐在さんの子供と現地で定住している親が国際結婚した人の子供に分けられます。日本から来た子は日本語力が非常に高く、逆に英語力は現地の子には負ける。逆に国際結婚のお子さんは英語はパーフェクトだけれども日本語を勉強するのは日本からきた子よりも苦労するといったことが見られます。まったく逆の環境に置かれた子供たちが一つの教室に集いお互いの立場を少しずつ理解していくのでしょう。こちらに日本から来て英語がうまく話せるようになったけれども日本語能力がだんだん低下したという現象も見られ、それぞれの子がそれぞれの置かれた環境で非常に奮闘しています。日本語も英語もどちらもとてもよくできるという子もいますが、その子の家庭環境を見ると非常に親も一緒に努力しているなと感じます。国際結婚の子供はお母さんが日本人というケースがとても多いですが、日本語をきちっと話す子を見ているとお母さんもきちっと子供に教えていそうなのに加え、イギリス人のお父さんも日本語を流暢に話す、もしくはそうでなくてもお父さんも積極的に学校行事などに参加している様子が目に付きます。特に小さい子供のバイリンガル教育には親の役割が非常に大きい事を実感させられます。週一回3時間の授業ではどうしても教育には限界があります。自然と宿題が多くなります。作文も多くなります。日本語も日本に比べれば書く機会が少なくなります。最近うちの長男も英語で書く機会の方が多くなってきたため、漢字を覚えるのが面倒になってきているようですし、反復する機会も限られているのですぐ忘れてしまうようです。英語のスペルの方が簡単なようです。英語を英語で理解することも多くなって来ていて、英単語が出てくると理解はしているけれども日本語が出てこないこともあります。日本語が分かっていても忘れてしまい、「tree」を木とでてこなかったり、日本語で髪が長いと言うべきなのに英語の「have long hair」を思い浮かべているのか「長い髪を持っている」などと日本語では少し不自然な使い方をするようになり日本語、英語どちらも正しく勉強していくことは非常に難しいことだと実感しています。

私たちの毎週土曜日の仕事は、生徒や父兄に一人3冊DVD2本までの貸出をコンピューターバーコードシステムで行うこと、新規に図書購入をしていくこと、月一回職員会議に参加し先生方と意見交換をすること、古本や物品などのバザーを行い収益を上げること、などが挙げられますが、今年は4000冊以上ある本の書庫が手狭で使いにくくなっていたので整理していったので、仕事がだいぶ増えました。夏休みを利用して棚の購入、大人20名以上+子供で来られる人で一日がかりで新しい書庫に改修するのも大変でしたが充実感のある仕事でした。非常にみなさん協力的で、大量の仕事をほぼ一日で完成することができました。これらが少しでも子供たちの日本語能力向上に寄与することができるならば嬉しいことです。活字に触れる機会を増やすために日本の学校ではあまりなさそうな、漫画も取り入れられています。ドラえもんをはじめとした漫画が数種類ありますし、DVDは話すことに接する機会になりますので、本より楽でとても人気が高いです。当然購入費、予算が問題になり、帰国子女財団などのご寄付に支えられているところも大きく夫婦で申請書を書いたりしています。日本からの輸送もなかなか購入価格に添加されてしまう問題もあり日本の様にすぐパッとは揃えることができません。3月までの仕事ですが、医者ではできない経験をたくさんさせてもらいました。これも留学しなければあり得なかったことでしょう。3月までもう少し司書の仕事を頑張ってみたいと思います。バイリンガルは簡単に生まれるものではない、親の両方の言葉を覚えさせたいという努力に加え、子供自身にも大変な努力があって始めてバイリンガルになれるということが改めてわかりました。そうした苦労をしてきているここに通っている子の中には、努力をし続けて将来有望な子が出てくるのでは国際的に活躍する子が出てくるのではと思えてなりません。算数、数学、理科、社会など受験ということを考えると遅れをとってしまうここの子供達ですが学歴よりも大事な、社会で本当に必要とされている物のベースを持っているように思えてなりません。

                            エジンバラの12月の雪。新潟では雪のうちに入りません。                                                        ホテルで明るいうちに紅白。変な感じです。

       新年泊まったホテルから。目の前が大型ショッピングセンター2日間では十分まわれず。                                              補習校の宿題の書き初め。

ショッピングセンター内の日本料理店。後ろでは金髪の現地の若い子の集団が餃子とラーメンを注文。              補習校の図書室。現地校の図書室の倉庫を間借りしています。

                                                                                                                                                            トロリーも利用して最大限に活用します。

2013年2月21日

その22;~ひたすら実験の日々~

エジンバラの冬の短い日照時間もだんだんと長くなり、また一時期続いた寒波が少し和らいだかと思うとまた寒くなり、日本の三寒四温ほどはっきりしていないので、春の訪れとは言いませんが冬から春に移行する予感を感じさせる日々です。エジンバラも残り半年を切りました。文字通りラストスパートにかかってきており、1―2月は何をしたかというと本当に実験しか思いつかないほど実験に集中した月でした。

一月始めドイツの共同研究先から、マウスの組織や実験に必要な薬剤が送られてきて年初めの実験は一気に動き出しました。本当は昨年にやりたかったものですが、こちらのクリスマス休暇は異常に長いことも有り、かなり貴重な実験材料が届かないことにも不安でしたし、クリスマス前後で物品も揃いにくい、実験室も停止状態になってしまう、色々なリスクを考え年明けからのスタートにしました。実験に必要な物品はかなり綿密に調べて十分あることを確認したり、頼んでいたのであとはドイツからの物品を待つのみでした。

マウスを使ってする実験は大きく二つでした。それが終われば論文を完成できるということもあり、また貴重な実験材料、市販では手に入りにくく買えばかなり高価なものでもあったため、実験計画には念には念を入れました。本実験の前に、予備実験も行い、薬剤がマウス内で効いていることもきちんと確認してから行いました。計画はかなり綿密にたてられていたのであとは体を動かすだけでした。一ヶ月ほど毎日ひたすら動き続け、なんとか仮説を実証できる結果が得られ、とうとう論文を仕上げる段階に入って来ました。2月11日ボスとの面談でじっくりデーターを見ていただき、書き上げた論文も出し、いくつか追加で実験を加えるように言われたものの近いうちに論文をsubmitするのを目標に頑張ろうということになりました。現在追加の指示のあったちょっとした実験を再び行いはじめると同時に、最終仕上げの段階に入り始めました。

ここで私が実験をここでやるのと新潟大学でやるのとのメリット、デメリットをあげてみたいと思います。メリットとして一番大きいものは、研究だけの時間が取れるということです。私は臨床医ですのでどうしても普段は臨床に関わる時間がとても大きくなり、日本で実験をするのはどうしても臨床が終わってから、もしくは臨床の合間になります。仕事が終わったあとの実験はどうしても疲れたあとの実験で集中力を高める事は容易なことではありません。連日行うとどうしても体に疲れを覚えます。ここでは朝から実験を行え終日実験のことだけ考え、実験のために体調を整えることもできます。この環境は私にとって、一番のメリットと言えます。臨床医をやりながらの仕事より5倍以上仕事のはかどり方が違うといっても過言ではないでしょう。肝臓の再生をやっている仲間が多いというのが次のメリットです。自分の研究内容をわかってくれて話をしてくれる環境はなかなか新潟にはありませんでした。また、色々な人がいろいろなやり方をしているので参考にすることができます。今まで弱いと思っていた手技もじっくりこなすことができます。そういう点は本当にいい点に思います。今いる施設は実験機器を共同で使わせてくれたりもしているので、持ち合わせていない機器も使わせていただくことができ実験のideaがあればスムーズにことが進むというのも見逃せないメリットです。共同研究先もドイツとイギリスに近かったことも物資の輸送などを考えても非常によかったところです。

しかしメリットばかりでは正直ありません。留学は特に家族を連れてくるのには一番お金がデメリットになります。留学中は臨床医をしていた時の収入よりはるかに落ちます。家族には日本にいたならもっと楽な生活を送らせてあげられただろうにと申し訳なく思います。妻は医者と結婚したはずなのに医者の家族っぽい生活をしていないと思っていることでしょう。言葉の問題もあります。言葉はやはり重要です。日本にいた時のようにきめ細かく伝えることができないというジレンマを何度も味わいます。実験でのお金という点でもデメリットでした。日本では自分の研究費さえ取れば自分で買いたい実験材料が買えましたが、こちらでは実験に必要なお金は頼っていたのでやはり全体のバランスを見ながら注文するという必要が有りました。そう言った意味ではより気を使わないといけなくて大変だったというのが正直な実感です。動物実験などではlicenseの試験を受けなければ行けないなど正直面倒で大変でした。

いくつかのデメリットはありますが、メリット、特にもとまった時間でじっくり実験でやりたいことがあるというモチベーションが何よりも上回ったために来たという感じです。留学時期について色々言われています。学位を取ったらすぐ行くべき云々。。私は結局それは個人の事情によって違うのではというのが正直な答えです。私の場合臨床力もつけたいということがありますので、臨床を挟みながらこの年まで留学を伸ばしたことで、臨床の技量もある程度保つことができると思いました。また、研究でも丁度今が円熟期で単純な失敗や無駄な実験が少なくなってきているので、実験もスムーズに進められることがあります。そう言った意味で少し一般よりも留学時期が遅いかもしれませんが私にはとてもいい時期でした。子供特に長男にとっては現地の小学校入学というのは精神的に非常に大変だったと思いますが、なんとか英語力もついてきて、日本語補習校に通ったおかげもあって日本語力も日本の小学校に帰れば十分やっていけるのではないかと思わせる感じでいます。子供の事を考えると英語力をつけることは将来マイナスにはならないと思うので、子供のことを考えても絶好の留学時期だったのではないかと思います。留学奨学金助成の枠に年齢制限があるものが多いので若い方が留学助成は受けやすいという現実はあります。私の年齢では、非常に限られてものしかなく、そのうちの一つをいただけたことは大変にラッキーなことだったと思います。「天地人」天の時、地の利、人の輪と言いますが、まさに留学もそれに当てはまるように思います。私にも子供にも今回は非常によいタイミングでしたし、今回の実験に限ってはヨーロッパという地の利は私には欠かせず、研究室の肝臓組織幹細胞に特化された教室ならではの協力をうることが出来たこの研究室は私にとっては、非常によい留学先であったと思えます。

とにかくだいぶラストスパートの段階に入って来ました。論文を通すにはここからも長く忍耐が必要なことはわかっています。論文が通るまで細かいことに一喜一憂せず、急ぎながら、しかしいい加減にならないように注意して行いたいと思います。あとせっかくイギリスにきたのですから、限られた予算内ではありますが家族も自分も楽しめるよう計画もしていこうと思っています。

                          この冬最大の積雪になりそうです。5cmくらいでしょうか。                                        せっかく外食を食べに行ったのにまさかの停電で暗がりで食べました。

                         英語学習;食物連鎖などが出てきて理科も勉強できます。                                                           晴れの日も時々有り。子供を公園へ。

2013年4月4日

その23;~ロンドンへ再び~

今年のエジンバラの3月は昨年に比べるととても寒い気がします。二月に一時10度近くまで行く日が続いてこのまま春?と思わせましたがまた最高気温2-3度の日が続き、雪がパラつく日が続きました。ずっと一日中氷点下という日は珍しいですが、なにせ夏でも20度行かない日が多いのですからこれも致し方ないかと諦めていましたが、なんと27年ぶりの3月の寒さのようで、納得といった感じです。いよいよ論文も仕上がり、ドイツの共同研究先にチェックを受けたあと投稿することができました。順調にいっても、イギリスにいる間にacceptになることはないと思うので、あとはここでreviseの仕事を仕上げることが目標です。新しいことにも時間を作って少しチャレンジしてみたいと思っています。

2月末、我が家は今年はじめてのサッカー観戦にニューキャッスルにいって来ました。サウサンプトンに所属する吉田選手を見に行くためです。オリンピックでも同じ会場で吉田選手を見ましたが、今回はプレミアリーグのレギュラーとして見れるので本当に楽しみにしていました。Defenseがよく見れるようにという事でゴールに近いエリアに席を取りました。試合は4-2で負けてしまいましたが、点もたくさん入り見ごたえのある試合でした。席も吉田選手が非常によく見える絶好の位置でした。何より、全員外国人のこの環境で物怖じすることなく、しっかりコミュニケーションをとり試合に出ていることは非常にすごいことだと感心しました。サッカーの能力はもちろんですがその他の語学を含めたところもクレバーなんだろうなと感じました。

3月末子供の小学校が終わるのをまち、二度目のロンドン旅行に行きました。一年前の前回は少しまだ旅行にもなれず戸惑うばかりでしたが、今回はドイツ、フランスの旅行のあとでしたし、一度行ったことのあるイギリス国内の場所でもあったので以前より気持ちの面で楽でした。26日電車で4時間半かけてロンドンにつき、その日は妻の美容院と知り合いの人と食事して終わりました。美容院の間、子供二人連れて、ロンドンのジャパンセンターや三越、イギリスの大きなおもちゃ屋Hamleysに行ったりしていました。特にHamleysはおもちゃだけで6階建て位ある建物で、各階で実演販売していて、その実演のうまさに子供たちは実演が終わると一斉に品に群がっていました。私と長男もその実演にまんまとはまり空中浮遊のUFOのおもちゃを買ってしまいました。家に帰ってやってみるとなんの事はなく、耳の後ろに固定した見えない糸でUFOを吊るしただけのトリックで、なかなかうまくやるのも大変で少し騙された感じがしました。

2日目からが主な観光で、二日目はハリーポッタースタジオ見学ツアーに行くのが主な目的でした。2時からの予約でしたのでその前に午前中デパートのHarrodsに行きました。少し我が家は踏み入れては行けないのでは?という雰囲気のするさすが高級百貨店という感じでした。あとでバスガイドさんに聞くところによると、一般市民はバーゲンのとき以外はあまり利用しないと言っていたので少し安心した感じがします。あまりじっくり見れる雰囲気でもなかったので早々に切り上げハリーポッタースタジオ見学に行きました。昨年でき、丁度一周年でしたがまだかなりこんでいました。ロンドンから電車で20分、更にバスで10分ほどいったところに有りました。ハリーポッターの映画で見た数々の道具やセットが展示されており、その精巧さには驚くばかりでした。これを見たあともう一度ハリーポッターをはじめから見てみたい気がしました。裏側を知ることが出来るとまた楽しめそうな気がします。また、映画にいかにCGが使われているのかがよくわかる気がしました。

3日目はストーンヘンジ、バース、カッスルクーム一日観光afternoon tea付きバス観光ツアーに参加してきました。一日がかりの旅でした。三箇所同じ日にしかもafternoon tea付きとなっていたので、たくさん見れて食べれて嬉しいと思えた反面、十分観光出来るのか?という一抹の不安が有りました。その不安は的中し最初の目的地ストーンヘンジでは40分くらいしか見学がなく、しかもチケットを買うのとトイレに20分位かかり、見学は20分くらいでオーディオガイドも十分に聞けませんでした。次の目的地、世界遺産都市お風呂のバスの由来となったバースでは自由時間が一時間もなく、しかも目的のRoman baths museumまで往復15分歩かなくてはならず、museumではかなりのスピードで見たにも関わらずやっとのことで制限時間に間に合う感じでした。Afternoon teaがもう一時間後に控えていましたが子供がお腹すいたというのでFish and Chipsを買って家族みんなでバスに乗る前につついてようやくバスに間に合いました。(バスの中では食事禁止)次の目的地カッスルクームでは昔の貴族の邸宅がマナーハウスとなったところでafternoon teaをいただきました。ここでようやく少しゆっくり出来た感じがしましたが、甘いものが多すぎて全部食べれず一部持ち帰ることができたので持ち帰りました。今までで一番慌ただしいバスツアーでしたが欲張りすぎた分しょうがないのかとも思いました。特にバースの美しい街並みが印象に残りました。ここはもう一度ここだけを目的に泊まりがけで来てもいいのかなと思いました。

最終日は特に予定を決めておらず見たいところがあればそこに行くとしていました。疲れもたまっていたので朝少しゆっくりし、まずはじめにロンドンの新名所観覧車のLondon Eyeのたもとから出発する水陸両用車でいくロンドンツアー[ダックツアー]に申し込むことにしました。75分の観光時間中、陸でビックベンやバッキンガムパレスなどの市内の名所を回るとともに同じ車が船としてテムズ川も15分ほど遊覧するというツアーでした。寒いという以外は本当に楽しめるツアーでした。車が船になるので水面がかなり近く普通の船より不安定な感じで少しスリルもありました。その後長男の要望でSea lifeというロンドンのビックベンの川をはさんで反対側にある水族館に行きました。一等地に水族館というのがびっくりです。場所柄、人が多くとても混雑していましたが水族館自体のレベルとしては新潟水族館の方がはるかに上をいく感じがしました。最後にピカデリーサーカス付近にて買い物をし、最後に和菓子屋[宗家 源 吉兆庵]で電車のなかで食べる和菓子を少し買い、夕方6時発の電車で、10時半頃エジンバラにつきました。なんと日本のお菓子は上品で美味しいこと。こちらのお菓子は甘いのが多く、あまり受け付けないものが本当に多いです。家に帰るとcentral heatingがなかなかつかず家族全員で寒い思いをしていました。12時過ぎようやく安定してつき、寒さから解放されみんな風呂に入れました。疲れから次の日はみんなで10時過ぎまで寝ていました。帰国まであと4ヵ月を切りました。家族皆日本に帰れる日が現実になってきたので、日本に帰ったら何をする?という話題が増えてきました。

                                     Harrodsのエスカレーター。かなり豪華。                                                         ダックツアー。水陸両用車。後ろに見えるのがLondon eye。

                                   Royal familyと?レゴで作られたものです。                                                  ストーンヘンジ。写真を取って一周したらすぐバスという感じでした。

                                指示を出す吉田選手を間近に見れました。                                                                             水陸両用車で川からみた風景。

2013年5月30日

その24;~はじめての海外でのoralでの発表~

ようやくエジンバラにも長い冬が明け、春らしい陽気になって来ました。私の留学生活も残すところ2ヶ月、終わりも見えてくるとともに論文でもactionがあり、非常に忙しい日々を送っています。ここ一ヶ月はほとんど実験しかしていないというほどの日々です。土日もできるだけ使って、なかなか日本に帰ると実験のみに時間を費やすことはできないので今は本当に貴重の時間に思えます。ここ一ヶ月で大きな動きは、オランダのEASL(European association for the study of the liver) というヨーロッパ肝臓学会で、海外でははじめての口演を行ったこと、マンチェスターに家族でマンチェスターunitedの試合を見に一泊旅行に行ったことでしょうか。

今回研究もひとつの成果が出てきたのでせっかくだったのでEASLに演題を出してみることにしました。せっかく自分でも満足いく成果になりつつあったので思い切って口演での申し込みをしました。運良く採択され、口演の機会が与えられました。発表時間は10分質問5分というものでした。今回始めて英語での発表でした。研究室では1時間くらいの発表等は経験しているものの時間制限がなく話せる環境でした。今回は時間制限があるということが緊張感を増しました。またスライドを作るとこれも加えろこれも加えろリクエストが増え、膨大な量になってしまい、英語能力的に緊張感を味わうこととなりました。つまずくことが許されない時間配分で、今回は研修医のように原稿を用意し発表するという手段を選びました。何とか質問にも答えられ無事に終わりました。最後に細胞のビデオを入れろという指示が出ていて、ビデオとともに学会のパワーポイント(スライド)を預けたら、学会会場にそれが届いておらず壇上に上がったものの発表前スライドが出ず、次の人と順序を入れ替えるというトラブルも有りましたが、かえって一回壇上に上がれたことで緊張感が薄れ、発表時は何とか緊張せずに行えました。

今回、この学会に新潟大学第三内科の須田先生も演題を出しており、学会ではご一緒させていただきました。海外の発表では日本人がいないと非常にさみしい思いをするので、非常に助かりました。また、すっかり忘れかけていた新潟の情報も教えていただき、8月からの復帰が不安になってきました。オランダではインドネシア料理を食べ、ハプニング続きでしたが国立美術館にも行けました。須田先生は発表時にビデオをとって下さり、後から自分で自分を客観的に見ると原稿を棒読みな感じがよくわかりましたが、まあはじめにしては及第点にしようと思いました。もし次に機会があれば、今度は原稿なしにチャレンジ出来ればいいのですが。

5月初めには一泊二日でマンチェスターにまたまたいって来ました。言うまでもなくマンチェスターunitedの香川選手を見たくて試合に申し込みました。すでに優勝が決まっていたので、通常なら抽選も高倍率になるチェルシー戦があたり購入することができました。今回は家族もみな連れて行き、最後に香川選手を見ようと意気込んで行きましたが、香川選手はまさかのスタメン落ち、途中出場もなく、見れたのは練習のときのみでした。試合もunitedが負け残念でしたが、チェルシーの選手も含め有名選手がたくさん見れたことが長男にとってもよかったです。家族最後のOld traffordで写真を撮り帰ってきました。今回球場に日本人が非常に多かったのが印象的でした。前二回は、香川選手が在籍していないかもしくは怪我でいなかったためか今回は出る可能性があるということで非常に目立ちました。

今回試合後、球場がら4-5キロのTrafford centreという巨大ショッピングセンターの近くにあるホテルに泊まり、次の日次男のためにLegoランドに行くこととしていました。今回は実験の合間でとても忙しかったためか、ホテルについて子供がねるといつも下のバーでビールを買って来て夫婦で部屋で飲むのを楽しみにしているのですが、夫婦共子供と一緒に寝てしまい、今回はビールの楽しみを味わえずでした。次の日10時からlegoランドに行きました。入場12ポンド(1600円)も取るのでさぞすごいところなのかと期待大でしたが大人の感覚からすると、やや評判倒れの感じのする施設でした。それでも子供たちは昼過ぎまで楽しんで、短い一泊二日の旅行でしたが終わりました。

あと、家族旅行も一回かなと思っています。最後はスコットランドを旅行しようと考えています。ネス湖,リゾート地アビモアなどにいければいいなと考えています。そろそろ、日本に帰る準備を整えつつあります。こちらでは、家の引き払い、電気ガスなど公共料金を確かめたり、銀行をどうするか相談に行ったり。飛行機はもちろんもうすでに抑え、いよいよ日本に帰れるという実感が湧いてくると同時に、ここでまだ、もう少しやらなければいけないことがあるのでそれをどうやって終わらせようかと考え、そして実際に体を動かす日々です。あと100日になった時点でこの100日全力で頑張ろうと自分で誓いやってきましたが、40日はとても満足の行くものでした。あと60日同じペースで頑張りたいと思います。

                                         エジンバラは虹も綺麗です。                                                                                 オランダで食べたインドネシア料理。

                                                                                                オランダの建物は本当に傾いています。

                                                オランダ中央駅前                                                                                                さよならOld Trafford

2013年7月24日

その25;~留学の終わりに~

いよいよ2年に及んだ私の留学も終わりに近づいて来ました。残念ながら、帰るまでに論文もとおり完全にすっきりした状態で帰ることはできませんでしたが、これはなかなか困難なことともわかっていたので、今後も継続して研究を続けて行きたいと思っています。そしてまた、きっとエジンバラには追加実験でまた来ますし、論文が通った時始めて留学が終了する気がします。家族で最後に大きな旅行としてスコットランド北部の都市インバネスやネッシーで有名なネス湖にも行くことができました。そしてリゾート地アビモアで二泊ほどホテルに泊まることが出来、束の間ののんびり過ごす時間を作ることもできました。

最後の一ヶ月はあっという間に過ぎて行きました。6月から補習校でお世話になった方がたにいくつか送別会を開いていただき、でもまだ一月以上あったので実感が湧きませんでしたが、7月に入ると本当にカウントダウンが始まった気がして、また引越しの準備などの現実にも直面しとにかく時間が早くすぎるように思えました。引越し業者の選定、家の物品の販売、譲渡、車の売却及び保険の解約、インターネットの解約、銀行の口座の住所変更(また訪れることを言うと維持できました。)TVライセンスの解約(テレビを見るのにライセンスが必要。NHKの受信料のよう。)council tax(税金)の残り期間の支払い、不動産業者との立会い日程の決定、携帯の解約、そして最後に当日電気とガス料金の精算し終わりになりますが、解約に電話したり、銀行、役所に行ったりなかなか大変な作業です。車の売却もこちらでは個人間での売買が頻繁に行われており、私も知人に車を売却しました。日本のように業者を通さずお互い書類にサインをするだけで車が売買できてしまう非常に便利なシステムです。売り手は業者に売るより少し高く売ることができますし、書いても業者を通すことにより生じる中間マージンを省いて安く買うことが出来ます。お互い信用の置ける者同士の売買であればこれがベストなのではないかと思います。

色々な手続きを行いそれぞれ順調に解決していきましたが、意外と苦労したのが大学に戻る際の資料送付です。大学に復帰するのにいくつか資料を提出するように求められましたが、戸籍謄本のコピー(半年過ぎると無効)、雇用保険被保険者証、基礎年金手帳のコピー、保険医票のコピーなどこちらに来る際に完全においてきてしまったものばかり書いてあり、少し困りました。結局、パスポートのコピーで代用できたり、医局で保存しているものを使ったり、それでもダメなものは帰国後で許してもらえることになりましたが、帰国前にこのようなものを大学に提出しなきゃいけないとは全くの盲点だったのでこれから行かれる方はコピーなどを持参されることをおすすめします。

7月7日から12日まで長男はマンチェスターの近くの大学で泊まりこみで行われる、マンチェスターユナイテッドサッカースクールに参加してきました。はじめての一人での一週間ものあいだの泊まり込みでの練習だったので、親としてはとても心配でしたが、長男が自ら自分の意思で行きたいと行っていたので、決して安い金額ではありませんでしたが参加することと決めました。マンチェスターまでの送り迎えは決して楽ではありませんでしたが、真っ黒に日焼けして帰ってきました。一週間親から離れて生活し、しかもずっと英語の環境下で、少したくましくなって帰ってきた気がしました。

最後の日曜日Stuart Forbes教授の自宅にBBQに招いていただきました。エジンバラから20キロ以上も遠く周りは畑、牧場しかないようなところでしたが教授が近くの街まで迎えに来ていただいたので何とかたどり着くことができました。自宅は想像を絶する広さで、庭は冗談抜きでゴルフができるほどで、野菜園、植物園、羊の牧場なども有り、そんな広大な敷地でBBQを食べることができ束の間の楽しい時を送ることができました。うちは道場六三郎監修のちらし寿司を持って行きました。ちょっと癖があるので少しでもつまんでもらえればいいな、こんなものが日本にありますと知ってもらえればいいな程度に持って行きましたが、意外と好評で多量に持って行った全てがなくなりみんなに食べていただくことができました。イギリスには珍しい快晴の下、昼間っからビールをのみ、こんな生活もあるんだなとイギリス生活を感じることができました。

最後の数日だんだん荷物が少なくなって行きました。こちらに来た時はこんな感じだったなとふと思い出すと非常に懐かしくなると同時に二年の月日が過ぎたことを改めて感じました。船便を送ると家はすっかり空っぽになり、いよいよ日本に戻る!と気持ちが切り替わりました。いよいよもうじき出発です。どの土地も離れるときは一種の切なさを感じますが、ここでもまたそのような感情が生まれてきました。ここは私からすると外国ですが二年もすると外国という感情がなくなってきていることを感じます。でもやっぱり日本が一番良いです。地震があっても、夏暑くても、冬雪が多くても日本に勝るところはありません。イギリス、ドイツと多国間で研究活動ができそれぞれのよいところ悪いところを感じられました。しかし日本を離れ、日本の良さを改めて感じる留学でも有りました。2年前とは考え方も、能力も少し変わった自分がいることを改めて感じます。それだけでも留学の価値があったのかもしれません。

                          スコットランド北部の都市インバネス。綺麗な街でした。                                                          城跡からネス湖を眺める。のんびりしてます。

                                              マンUサッカースクール                                                                                            小学校最後の日

                                                                                                ;            研究室のみんなと

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