トップページ 必要性と緊急性 施設の沿革 研究テーマと活動状況 腎研究施設主催行事 共同機器利用



  新潟大学医学部には、腎研究施設設立以前より、腎臓病に関する臨床及び基礎研究が、他大学に例を見ないほど数多く蓄積していた。   昭和29年(1954年)に医学部内科学第二教室の木下康民教授、荒井奥弘らは我が国で初めて腎生検法に成功し、同法を多数の腎疾患に適応した。   それにより、それまで病態や病型が不明であった腎炎やネフローゼ疾患の臨床病理像が明らかとなり、我が国の近代腎臓病学は飛躍的な進歩をとげることとなった。   また、同教室では昭和40年(1965年)に慢性腎不全患者に長期人工透析療法を施行し、この療法が極めて有用であることを初めて実証し、透析療法の改良、普及に大きな貢献をした。   小児科学教室でも小林収教授らが腎生検法を小児腎疾患に適用し、小児の腎疾患の綿密な予後調査を行い、腎疾患の早期発見、早期治療の重要性を唱え、学校検尿を全国に先駆けて実施し、昭和48年(1973年)の学校保健法改訂に学校検尿が盛り込まれることになった。   これら小児腎疾患の研究は後任の堺薫教授らのネフローゼ症候群における細胞性、液性免疫の先駆的研究へと発展した。   一方、昭和31年(1956年)に泌尿器科学教室の楠隆光教授らが我が国で初めて急性腎不全患者に腎移植を行い、無尿期からの離脱に成功していた。   さらに、後任の高安久雄教授、佐藤昭太郎教授らは、慢性腎不全の治療に腹膜灌流法を導入するなどして、腎疾患患者の救済に貢献した。   その他、病理学教室の藤巻茂夫教授、北村四郎教授、耳鼻咽喉科教室の猪初男教授らも活発に腎臓に関連した研究を展開していた。

  このような歴史的背景があって、昭和48年(1973年)に「腎に関する基礎的並びに臨床的諸問題の解明、腎疾患の予防及び薬物療法の研究」を目的として、国・公立大学で唯一の腎臓に関する特別研究施設、腎研究施設が新潟大学医学部附属施設として設置された。   病理形態学部門一部門で発足し、木原達教授が就任し、昭和54年(1979年)に免疫学部門が増設され、清水不二雄教授が就任し、昭和61年(1986年)に免疫病態学部門として再発足した。   さらに、平成8年(1996年)には、腎研究施設内の有機的な共同研究体制を目指し、構造病理学分野(前病理形態学部門)、分子病態学分野(前免疫病態学部門)に新たに機能制御学分野が増設され、追手巍教授が就任し、三分野制への改組が行われた。   平成11年(1999年)に構造病理学分野に山本格教授が就任し、平成14年(2002年)には大学院医歯学総合研究科の設置に伴い、新潟大学大学院医歯学総合研究科附属施設となった。   この間、内科学第二講座、小児科学講座、泌尿器科学講座の腎臓に関連する臨床教室との協力、共同研究体制が確立し、ここ新潟大学に腎臓病の発症・進展の阻止を目指す基礎研究と臨床研究が融和した体制が出来上がった。

  そして、腎臓とその病気に関する多くの研究論文が発表され、新潟大学は国内外から腎臓病研究の一大拠点と目されるようになった。


2015 新潟大学医歯学総合研究科付属腎研究施設