主任教授紹介

福地健郎
Takeo Fukuchi MD, PhD, Professor and Chairman



Fukuchi.jpg平成24年11月より新潟大学大学院医歯学総合研究科視覚病態学分野教授、新潟大学医歯学総合病院眼科長を勤めております福地健郎(ふくちたけお)です.
 新潟大学眼科の歴史は明治43年(1910)に新潟大学眼科医学専門学校が創立された時と同時に始まります.2010年には新潟大学医学部とともに眼科も100周年を迎えました.国内でも誇るべき有数の歴史と伝統のある眼科の一つです.新潟大学眼科は代々、緑内障を主な専門としてきました.緑内障の患者さんはきわめて多く、日本国内でも40歳以上の20人に一人が緑内障に罹っているというデータがあります.軽症なうちには症状を自覚することがむしろ難しい病気ですが、重症化してしまうとある時期から急激に症状は悪化して、生活にも不自由を来してしまうことになります.高齢になってからの生活の質(QOL)を害する可能性がある代表的な目の病気です.新潟大学眼科は、緑内障の診断、治療、管理に関する進歩を担うための学術的活動だけでなく、地域の眼科医療機関の先生方、スタッフの方々と協力し、啓蒙活動や検診活動など社会的活動にも努めて行きたいと思っています.
 新潟大学眼科には緑内障の他に、網膜・硝子体、角膜・ぶどう膜・感染症、神経眼科・小児眼科(斜視・弱視)、腫瘍・形成、ロービジョンの専門外来があります.新潟大学医歯学総合病院は新潟県内唯一の大学病院であり、地方の眼科医療にとって重要な拠点です.眼科においても緑内障に限ることなく、他の眼科疾患についても第一線の眼科医療を維持し、提供することが私たちの大切な使命です.もちろん、マンパワーを含め、様々な意味ですべての眼科医療を私たちだけでできる訳ではありません.新潟県内では病院、ご開業のたくさんの眼科の先生方が質の高い眼科診療を展開されておられます.そのような先生方と綿密に連携して新潟県の皆さんが安心して質の高い眼科医療を受けられるよう、その中心の1人として努力して参りたいと思っています.
 教授交代に伴って、メンバーも一新されました.若いと言ってもすでにベテランの域に達したメンバーがそれぞれの専門外来を代表しています.これまで以上に新潟大学眼科にご期待いただきたいと思います.よろしくお願いいたします.

略歴

新潟市生まれ、静岡県立沼津東高校卒業
1985年 新潟大学医学部卒業
1991年 新潟大学大学院博士課程修了  新潟大学附属病院助手
1992-4年 イリノイ大学シカゴ校に留学
2005年 新潟大学医歯学総合研究科講師
2012年 新潟大学大学院医歯学総合研究科 感覚統合医学講座 視覚病態学分野教授

現在に至る

主な研究領域

緑内障


受賞歴および研究費獲得状況

1995年度 日本緑内障学会学術奨励賞「須田賞」

文部科学省科研費 筆頭4件・分担6件
厚生科研費 4件
競争的研究資金 4件
委託研究 5件


主な学会役員と役職

日本緑内障学会 評議員・データ解析委員・研修委員
日本眼科手術学会 プログラム委員

教室メンバー

平成28年10月~

教授

福地健郎

准教授

尾山徳秀(特任准教授)

講師

長谷部日
松田英伸(副総括医長・病棟長)

助教 

栂野哲哉(Moorfields Eye Hospital留学中
松岡尚気(総括医長)
寺島浩子
酒井康弘(外来長)
植木智志(脳研)

医員・研究生・研修医

太田亜紀子
羽入貴子 大矢佳美
佐藤弥生
橋本昌美 上田恵理子
佐々木亮
田中玲子
中村裕介 引間孝輔 芳野高子
土田宏嗣
張大行(魚沼基幹病院特任講師)
佐々木藍季子
大湊絢 坂上悠太 末武亜紀
平島みほ
吉野秀昭(大学院)
吉田博光
五十嵐遼子
福武慈
中野里絵子
中野英之(大学院)
飯川龍(大学院) 黒澤史門 田沢綾子
小林大悟 塩崎直哉
クセニヤ・チェルヌショワ(大学院)
長谷川友加里・安藤拓海

視能訓練士(ORT)

市村美香
本間友里恵
落合竣 宮本大輝
宮本ふう子
間聡美
村田憲章(新潟医療福祉大学)
寺下早苗

教室の歴史(1)

歴代教授と教室の変遷

平成22年、教室は創設後100年を迎えた。明治時代に創立され、100年以上の歴史を持つ医学部は全国80医学部の中でも十校程度しかない。日本でも有数の長い歴史を教室は誇っている。



初代 菅沼定男教授

prof_suganuma2.jpg新潟医学専門学校が明治43年に創設され、眼科学講座の設置が定められて、初代教授として京都帝大より菅沼定男教授が赴任されたのが、新潟大学眼科学教室の誕生であった。当時は旧病院外来棟の東端に眼科外来があり、それに接して教室が設置されていたという。菅沼教授は病理学者として活躍し、眼結核の研究などで業績を残された
大正8年8月、菅沼教授は慶応大眼科の初代教授として転任された。






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官立新潟医学専門学校(大正初期の写真)
手前のレンガ造りの門は通称「赤門」として現存(登録有形文化財)
奥の講堂は昭和50年頃まで残されていた





第2代 熊谷直樹教授

prof_kumagai2.jpg第2代教授として熊谷直樹教授が愛知医専から大正8年8月赴任された。
大正11年、新潟医専が新潟医科大学に昇格し、教室も新潟医科大学眼科教室と改称された。熊谷教授は引きつづいて医大教授として在職された。翌大正12年には眼科専用病室及び手術室が新築され、名実ともに医大眼科の陣容をととのえるに至った。熊谷教授は眼圧、緑内障、白内障、網膜剥離と多くの分野で研究業績を残された。「前房水の起原」など有名な論文を発表し、日眼総会では「緑内障の診断と治療」の特別講演をされた。また熊谷教授は1930年、まだ網膜剥離が不治の病であった時代に、まだ日の目を見たばかりのJules Goninの手術治療をいち早く導入し、国内で初めて網膜剥離の手術を行っている。
昭和21年3月、熊谷教授は定年退職された。






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昭和初期の医科大附属病院(昭和26年に焼失)
左写真の緩やかな坂道の向こうに病院の正門がある
正門を正面から撮影した右写真を見るとかなり大きく立派な建物だったことが分かる




第3代 三国政吉教授

prof_mikuni2.jpg昭和21年12月第3代三国政吉教授が就任された。
昭和24年5月に新潟大学が発足し、新潟大学医学部眼科教室となり、三国教授が引きつづいて在職された。網膜血管径の計測、網膜血管血圧の測定を中心とする網膜血液循環の研究をライフワークとされた。
三国教授就任後の昭和26年11月12日附属病院で火災が発生し、各科の外来など1550坪が焼失してしまう。眼科も教室を失い、旧第3講堂の一部、病室の廊下および動物舎の一部を用いていた。後、仮外来棟、さらに第5病棟跡に入り、昭和32年旧眼科病室の建物に移った。その後昭和44年に医学部に西研究棟(主研究棟)が完成して、その7階に移った。
火災で焼失した附属病院は昭和29年に新館が完工し、その後平成24年に新外来に移転するまでこの建物が使われ続けた。病棟も昭和36年に東病棟、昭和38年に西病棟(さらに昭和52年に新西病棟)が新築された。
昭和47年3月を以て三国教授は定年退職され、同年5月新潟大学名誉教授となられた。


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昭和後期、80年代の医学部と病院の全景
写真中央の横に長い建物が旧病棟(新西、西、東病棟の3棟が連なる)
その奥が研究棟で眼科学教室は最上階7階にあった
病棟の少し手前の横に長い建物が旧外来棟(昭和29年に完工)
多くが三国教授時代に完成した建物だが、よく見ると木造で低層の建築物がまだ所々に残っている
一番手前の建物群は歯学部






第4代 岩田和雄教授

prof_iwata2.jpg昭和47年6月1日岩田和雄助教授が第4代教授として昇任された。岩田教授の指導の下で特に緑内障に関する研究は飛躍的に発展し、基礎医学と臨床眼科学の両者に多大な業績を築き上げ教室の名を世界に知らしめた。「新潟と言えば緑内障」の時代の始まりである。平成4年の日眼総会における特別講演「低眼圧緑内障および原発開放隅角緑内障の病態と視神経障害機構」、同年10月の日本緑内障学会における須田記念講演「原発開放隅角緑内障及び低眼圧緑内障のNeuropahty」は、その後の緑内障の研究と臨床に大きな影響を与えた。
平成5年3月31日岩田教授は定年退官され新潟大学名誉教授となられた。








第5代 阿部春樹教授

阿部教授写真.JPG平成5年9月1日阿部春樹教授が第5代教授として昇任された。緑内障研究というテーマを岩田教授から引き継ぎ、緑内障の研究と診療のレベルをさらに高め揺るぎないものとした。
平成22年には教室開設100周年を迎えた。
昭和44年から西研究棟7階にあった教室は、医学部研究棟の改築で平成15年に西研究棟5階に移転した。また平成13年に新西病棟、平成18年に新東病棟が新築され、眼科病棟は東病棟6階に移転した。さらに平成21年には中央診療棟が開設され、中央手術室がその2・3階に移転している。平成24年(阿部教授退任後の11月)には新外来棟が完成した。阿部教授の在任期間中に、医学部がある旭町地区の景観はかつての面影をとどめないほどに様変わりした。
平成24年3月31日阿部教授は定年退任され新潟大学名誉教授となられた。


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平成27年の病院の全景(上にある80年代の写真と同じアングル)
一番手前は改築された歯学部
その奥にあった旧外来棟はなくなり、さらにその奥、屋上にヘリポートを備えた外来棟が西、東病棟の跡地に新築された
一番奥に見えるのが12階建ての病棟で、背後の研究棟はほとんど見えない
(Apple社Mapで作成した3D写真)




平成24年11月16日福地健郎教授が第6代眼科学主任教授に就任し、現在に至っている。

教室の歴史(2)

新潟の医学史と教室創立以前の眼科事情   〜目の愛護デーは新潟発?

官立新潟医学専門学校の前身である新潟医学校が開設されたのは明治12年である。しかしそれよりも更に以前から新潟県内の各所で医学校、医学館が設立されていた。「新潟大学医学部百年史」によれば、安永5年(1776年)に新発田藩に医学館が設立され、その後江戸時代後期には長岡、佐渡、高田にも医学校が設立されたということである。明治2年には越後府病院が設立されたが、これは当時新潟の行政中心だった水原町(現阿賀野市)にあった。病院頭取は竹山屯(たむろ)氏であった。しかし翌年には行政庁が現在の新潟市に移転となり、府病院は廃止されてしまう。
明治6年に私立新潟病院が現在の新潟市医学町に開設され、ここで医学教育も始まった。前述の竹山屯は明治8年に新潟病院副医長兼医学校助教に任命された。明治9年に新潟病院は県に移管された。
明治11年9月、明治天皇は北陸御巡幸の折、越後に眼疾患者が多いのに気付かれ9月18日にその治療及び予防のためにと御手元金千円を下賜された。県当局は民間から寄付9千円を集め、加えて合計1万円とし、この利子を眼病対策に当てることになった。翌明治12年2月に新潟病院内に眼科講習所が開設された。差し当たって竹山屯が講師となり、県下の医師を集めて眼科講習会を開いたところ受講者延べ151人に及んだという。これらの医師に各地区の眼病治療及び予防活動を依頼した。このように本県における眼病の治療および予防の活動は、教室の創設以前からかなり活発なものがある。
因みに「眼の記念日」はこの日を記念して毎年9月18日と定められ、昭和14年以来毎年日本全国で無料眼疾検診、視力保存に関する講演会、講習会等の記念行事が行われてきた。しかし終戦による諸事の混乱と同時に、いつしか立ち消え状態になってしまった。その後復活して戦前と同様の行事が続けられているが、期日は現在は10月10日に変更され、目の愛護デーとして定着している。
明治12年7月に新潟病院は新潟医学校となり、病院はその附属施設となった。竹山屯は初代医学校長に任命された。明治30年には同院に眼科の診察室と手術室が開設され、明治43年の医学専門学校の創立と教室の開設へと繋がっていくのである。
ところでこのエピソードの要所要所に登場する竹山屯は黎明期の新潟眼科医療のキーマンと言えるだろう。明治11年明治天皇の北陸巡幸で眼病対策にご下賜金を賜った際も、目の悪い者が非常に多い事に気付かれたことを天皇に問われた竹山が「その原因を当時として非凡な卓見をもってこれに奏上した」(竹山病院HPより引用)のがきっかけとなったという。さらに竹山は明治12年に「眼科提要」を出版し、この書は多くの医学校で眼科の教科書として使用された。幕末期に長崎に留学し医学を学んだ竹山は初代新潟医学校の校長となるが、明治18年に医学校を辞任し開業する。そして新潟市の中心部に竹山病院を設立し、ここに産婦人科部長として迎えられたが荻野久作博士である。荻野博士は後に排卵と妊娠についての研究で大きな業績を残した(一般には「オギノ式」で有名であり、現在も医学部近くにある「オギノ通り」が荻野博士の業績を讃えている)。竹山病院に眼科がつくられなかったのは残念であるが、竹山屯の多大なる貢献が現在の新潟の医学そして眼科医療の礎を築き、その後の発展をもたらしたことは言うまでもないだろう。

Photo現在の風景

医局

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当教室開講100周年を記念して中国ハルピン医科大学附属第1病院から贈られた表札。眼科主任教授の劉平先生は教室を何度か訪問されている。




外来

IMG_7027.jpgIMG_8630.JPG平成24年11月にオープンした新外来棟(奥は病棟)
教室の歴史(1)の写真「昭和初期の医科大附属病院」がここにあった

IMG_7024.jpg外来は1〜15診

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1〜11診はそれぞれ個室で全室このレイアウト
電子カルテは病院の基幹システム(NEC)と眼科専用システム(PSC社・ペンタブレット方式)の2画面構成
2診〜5診はFORUMでHFAの全測定結果を随時閲覧可能



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視力測定室と検査室
各種検査装置、眼底カメラやOCTが並ぶ
最新器機の設置スペースはいくらあっても足りない



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新外来移転に伴い新設された眼科外来手術室
清潔レベルは中央手術室と同等で、手洗い台もある
現在は抗VEGF剤などの硝子体内注入に使用されている




病棟

IMG_7034.jpg平成18年に現在の病棟(東館6階)に移転した

IMG_6973.jpg眼科病棟診察室B

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医学部と病院は高台にあり新潟平野を一望できる
病院最上階の職員食堂から臨んだ新潟市街地〜新潟港、新潟空港方面の景色

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病院最上階の展望室からの景色(左側が新潟駅方面)
ヘリポートは外来棟奥上

手術室

現在の中央手術室は平成21年に新設された

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手術室7番 手術顕微鏡LEICA M844(奥に見えるのは手術室CT)

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手術室8番 手術顕微鏡Topcon OMS800 /OFFISS

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手術室12番 手術顕微鏡Zeiss LUMERA700