教室の沿革

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沿革

新潟大学医学部の母体は、明治2年の新潟県施薬院、種痘所までさかのぼり、翌3年には新潟仮病院が開設され医学教育が始まった。同6年設立の私立新潟病院では医学校が併設され、同9年に県立新潟病院医学所となった。

その後紆余曲折を経て、明治43年には官立新潟医学専門学校として開校、黒岩福三郎先生が初代耳鼻咽喉科学教室教授に就任された。大正11年には単科医科大学として新潟医科大学が発足し、昭和24年に新潟大学医学部となり現在に至っている。黒岩初代教授は大正5年に定年退官され、後を受けて星野貞次教授が大正13年まで務められた。次いで大正14年から昭和26年までの27年間にわたって鳥居恵二教授が教室を主宰し、その間に第39回大日本耳鼻咽喉科学会総会を担当された。昭和26年から39年までは森本正紀教授が務められ、同35年に第61回日本耳鼻咽喉科学会総会を担当された。昭和39年には猪 初男 先生が教授に就任され、同53年に第79回日本耳鼻咽喉科学会総会を担当された。昭和54年10月、猪教授が第8代新潟大学学長に就任するに伴い、中野雄一先生が教授に就任された。平成4年には第4回国際真珠腫学会、同6年には第95回日本耳鼻咽喉科学会総会を担当された。平成10年3月に高橋姿先生が第7代目の教授として就任された。平成27年4月から堀井新教授が主任教授として就任された。

新潟県唯一の大学病院として常にオールマイティーを目指し臨床・研究・教育と教室一丸となって研鑽に務めているが、中でも歴代の教授が得意とした中耳手術は今も側頭骨外科として伝統ある新潟大学耳鼻咽喉科に息づいている。

  • 初代 黒岩福三郎 教授
  • 二代 星野貞次 教授
  • 三代 鳥居恵二 教授
  • 四代 森本正紀 教授
  • 五代 猪 初男 教授
  • 六代 中野雄一 教授
  • 七代 高橋姿 教授