「もの」をよくみることが全ての基本

味岡 洋一

新潟大学大学院 医歯学総合研究科
分子・診断病理学分野 分子・病態病理学分野
新潟大学医学部 臨床病理学分野 教授



(「にいがた医療・研修ニュースレター」21号 新潟県コンソーシアム 平成25年11月発行より転載)


 昭和59年に大学を卒業し、第一病理学教室に大学院生として入局しました。当時は臨床初期研修が必修化されておらず、卒業してそのまま基礎の教室に入局した者が、毎年5,6人ほどいたように記憶しています。

 第一病理は渡辺英伸教授(現新潟大学名誉教授)の元、消化管病理学を研究分野としていましたが、私が第一病理に入局した理由は、病理学や消化管に興味があったからではありませんでした。学生時代は精神科医になりたいと思っており、その前に神経化学か神経薬理(いずれも当時の名称)で基礎的な研究を行いたいと考えていました。卒業間近になって第三者的立場からの意見を伺いたいと思い、当時学生部長をしていた渡辺教授に卒業後の進路について相談に出かけたのが第一病理に入局するきっかけでした。渡辺教授のお人柄や、内科・外科など多数の臨床医が研究生や大学院生として在籍する異種文化的な雰囲気に惹かれました。

 専門分野を選択する際、人には2つのタイプがあるように思います。ひとつは、自分の興味、関心をひたすら追い求めて行くタイプ、もうひとつは仕事をする「場」そのものを追い求めて行くタイプです。私は後者のタイプだったように思います。後者の場合は適正(どの科、専門分野に向いているか)というものは特になく、仕事の内容に関わらず、それに没頭できれば生き甲斐や満足、そして楽しみが得られるものだと思います。

 大学院生として渡辺教授からいただいたテーマは、「大腸癌の組織発生と発育進展」でした。「家族性大腸腺腫症」という遺伝性疾患の外科切除大腸に発生した1万を超える腺腫の大きさや肉眼像を観察・記載し、腺腫の発育に伴う肉眼形態変化の様式を明らかにし、次に、一般の外科切除大腸の数千個の早期癌から進行癌の肉眼・組織学的観察を行い、腺腫の癌化や癌の進展によりどのように肉眼形態が変化してゆくかをまとめ、学位論文としました。元より「大腸癌の組織発生と発育進展」という大きなテーマは、大学院生の研究として結論が出るようなものではなく、私のライフワークの一つとなっています。現在でも、正常粘膜から直接発生する癌(de novo癌)や、過形成性病変、炎症性腸疾患を発生母地とする大腸癌について、肉眼像、内視鏡(拡大内視鏡)像、組織像などの形態学的研究に加え、細胞周期関連蛋白や粘液コア蛋白発現、種々の癌遺伝子および癌抑制遺伝子発現などの研究も行っています。これらを明らかにすることは、日本人に増えている(特に女性では部位別癌死亡率の第1位である)大腸癌の早期発見と治療、的確な病理診断に必須なものです。

 大学院の4年間は、上述したように「形態の観察」に明け暮れました。その間、周りの世界では蛋白や遺伝子を研究対象としたいわゆる「分子病理学」が脚光をあびつつあり、「形態の観察」という古典的手法を元にした自分の研究が時代遅れのように思うこともありました。しかし、今振り返ってみると、研究生活を始めた最初の時期に「形態の観察」に没頭したことが良かったのだと思っています。ともすると私達は、現実の「もの」の観察結果(すなわち所見)ではなく、頭の中の理屈から導き出されたことを現実に投影してしまいがちです。無論、形態という現象の観察からだけでは、その背後にあるメカニズムや経時的動きを解明することはできませんが、全ての基本は目の前にある「もの」を良くみることから出発すると思います。渡辺教授からは常日頃「屁理屈をこねる前に、目の前にある標本を良くみろ」と戒められてきました。この言葉が、自分にとっては病理学を選んだことの一番の財産だと思っています。


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