Youはどうして臨床病理へ?


『そういえば病理のことあまり知らないなあ・・・。』

『病理医もありかも・・・?』

『病理ってどんな感じなのかな?』

初期臨床研修中、いや、もしかしたら学生のときに、
ふと「病理」が頭をよぎったあなた、または現在進行形で検討中のあなたへ、
ベールに包まれている(?)「病理」について、
現在当教室に在籍している先生たちに、

「なぜここにいるのか?」
「病理学教室はどんなところなのか?」

などなど、生の声を聞きました。

【バックナンバー】

 第5回 加藤 卓先生の場合
 第4回 渡邉佳緒里先生の場合
 第3回 谷 優佑先生の場合
 第2回 福田 睦先生の場合
 第1回 近藤修平先生の場合

第6回 アレクセイ・アンネンコフ先生の場合


病理医だけが癌の本当の顔をみることができます

ウラジオストク医科大学卒業後、ロシアで1年間外科医のインターンとして研修後、2008年4月から国費留学生として新潟大学医学部に留学。臨床病理学教室で博士論文を書き、そのまま本教室に在籍。2011年に結婚し、現在は歩き始めたばかりの娘の父でもある。

アレクセイ先生


-なぜ新潟大学に来ることになったのですか?

最初のきっかけは医科大学の3年生の頃、私がいたウラジオストク医科大学と新潟大学医学部の間に日露交流プログラムがあり、それに参加しないかと勧められたことでした。それでしたら行きましょうということで、新潟に2週間滞在しました。当時は外科医を目指していたので、新潟大学医学部の第一外科で演習・実習ならびに手術の見学などを行いました。それが2004年の夏のことで、日本の全てが良かった。食べ物もおいしいし、みんな良い人ばかりだったし、治安はよいし、ロシアに帰りたくありませんでした。

その後文科省の国費留学生の制度があることを知りました。研究生として2年間滞在ができ、途中で博士課程に移ることもでき、その場合は4年まで延長できます。そのプログラムに参加するには試験があるのですが、最終学年である6年生にならないと受けることができないので、1年くらい準備をして、日本大使館で試験や面接などを受けました。ちょうどロシアでの医師国家試験が終わった日に、そのプログラムに合格したという電話がありました。面接を受けてから3ヶ月が経っていました。

受け入れ準備や時期などもあり、ロシアの病院で1年インターンとして働いた後に、2008年4月に再び新潟に来ました。来日当初は日本語がほとんど話せなかったのですが、5、6月くらいまで新潟大学の五十嵐キャンパスで毎日5時間くらい日本語の集中講座を受けました。そのおかげで簡単な会話はできるようになりました。

その後医学部の第一外科に来たのですが、研究するなら病理の方がよいと勧められて、すぐに臨床病理学教室に来ることになりました。


-その後も外科に戻らず病理にいられる理由を聞かせてください。病理には元々興味があったのですか?

大学生だった頃は法医学には興味がありましたが、病理はよくわからなかったので、病理に進むつもりはありませんでした。ロシアでは人が亡くなった場合は必ず解剖を行います。ですからロシアの病理医は剖検をほぼ毎日何体もやらなければならないので、かなり大変です。ロシアも日本のように病理医が少ないのですが、そのことも関係があると思います。

2012年に博士論文を書き終わり、その後のことを色々考えました。2011年に結婚をしていて、当時妻はまだ博士課程の大学院生でしたので、ロシアに戻ることは考えていませんでした。その時の私は、外科医としては4年間のブランクがあり外科的な技術に自信がなくなった一方で、病理学の知識が広がり病理学を好きになっていました。

外科医として手術に関わっていたときは、癌は切り取った部分の塊でしか見ることができないので、癌の顔つきまではわかりません。けれども病理診断では癌の本当の顔を見ることができます。癌細胞そのものを直接見て診断出来るのは病理医だけです。ですから一番適切な診断が出来るのが病理医だと今は考えています。

それから外科医として手術に関わっていたときは、腫瘍を完全にとりきれているのかどうかいつも不安が残りました。けれども病理医は診る範囲がはっきりと決まっているので、そういう不安を感じることがなく、自分自身のストレスが確実に減りました。

それで、外科に戻るのではなく、自分の病理学の知識をさらに増やしていくことが、自分にとっても患者にとってもプラスになることだと考え、病理で学び続けることを選びました。

国費留学生の期間が終わった後、2年間は外国人研究員として、その後は特任助教となり教室の教職員として在籍しています。


-新潟の印象はどうですか?

新潟は海も山もあるので、夏は海で泳げるし、冬はスキーやスノーボードが出来るのでとても気に行っています。ウラジオストクでは新潟のことは大体の人が知っています。昔は航路もありましたし、貿易も盛んです。街には日本の自動車もたくさん走っています。新潟は有名ですよ。


(インタビュー日 2016年10月7日)


インタビュー後記 聞き手 教室パート事務員 A子

来日してからの8年間はあっと言う間だったというアレクセイ先生は、父方、母方ともにおばあ様が医師で、ご自分の両親はそうではなかったそうです。自分が医師を目指したのは、おばあ様の影響もあるかなぁということでした。ウラジオストクでは新潟という地名を大体の人が知っているという話にはびっくりしました。今も日本に住み続けていることの理由の1つとして、日本は安全だからと言われたことが印象的でした。

アレクセイ先生が来日した当時とはシステムが変わっているのではないかと思いますが、新潟大学医学部は現在文部科学省のプログラムでロシアの大学との世界展開力強化事業を実施しています。そのせいか新潟大学にはロシアからの留学生の方が多いように感じます。

新潟大学 G-MedEx 統括センター

当研究室の近藤先生もレギュラーPhDプログラムで昨年度クラスノヤルスク医科大学に留学されました。


新潟大学医学部 臨床病理学分野は人材募集中です!見学を希望される医学部学生さんや研修医の先生は、総括医長の高村佳緒里までお気軽にご連絡ください。025-227-2096/メール takamura@med.niigata-u.ac.jp)

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