20148月 JICA短期派遣 in Myanmar(その3)

 

818日 JICA事務所訪問

初めてJICAの事務所を訪問した。


写真 JICAミャンマー事務所入り口

 

MIDCPのプロジェクト事務所と違って、JICAミャンマー事務所はダウンタウンの真ん中にあるSAKURAタワーの中にある。


写真 SAKURAタワーから見た風景。ダウンタウンの中心にスーレーパゴダ、奥にはヤンゴン川が見える。

 

野崎先生と和田先生が月例のプロジェクト進捗報告を行い、私は短期専門家としてGISコースの進捗を報告した。久しぶりに日本語のディスカッションをした。野崎先生の情熱的なプレゼンテーションに耳を傾けながら、皆、ミャンマーに対する熱い思いを持って派遣されてきていることを実感した。

 

2回と第3GISコース(821-22日、25-26日)

2回と第3回のGISコースはミャンマー各地で結核制御(National TB Program)を担当している保健関係者を対象に二回に分けて行われた。二回に分けたのは参加希望者が多くて、準備できるパソコンの台数を考えての計画だった。

会場はヤンゴン市内のダウンタウンに近いエリアにあるアルファホテルである。ホテルのロビーからつながる小さめの細長いダイニングルームのような場所に机を並べたスペースがコースの会場となった。ラップトップをパソコンショップから会場に運び込みコースのスタンバイをした。HealthMapperArcGISのインストールとチェックを入念に行い、本番に備えた。

 

写真 第2回、第3回のコース会場、パソコンを運び込んで準備万端

 

講習に集まった結核制御の地域担当者らは皆、真剣にコースに取り組んでいた。レクチャーやトレーニングは英語で行ったが、今回もミャンマー語訳があったほうがよいだろうということで、JICA現地スタッフが代わる代わるミャンマー語への通訳を務めてくれた。

 

写真 第2GISコースの講習風景、皆、一生懸命に課題に取り組む。

 

2回の参加者は、このような地図を作りたい、という目標が明確であった。このため、正直な感想としては、HealthMapperを使って簡単に地図を作ることができるだけで十分と言っていた。ArcGISは多くの機能があるのは分かるが、ソフトを購入する必要があるし、自由度が高すぎて混乱してしまう、というのが現場担当者の本音であった。

ミャンマーに10年間いて、マラリア制御に長い間関わっているという中村正聡先生にお話を伺ったが、ミャンマー人はとても真面目でおとなしいので、立場が上の人には決して意見や不平を言わない、とのこと。一生懸命メモをとって聞いているので、講習の担当者は分かっているんだと思い込んでしまうが、実際は違う。分からなくても質問や意見を言わずにうなずくだけなので、分かっているかどうかも分かりにくいと言うことだった。これを聞いてハッとした。確かに受講者の皆はずいぶん物わかりがいいと感じた。しかし、そうではなく、そういう文化なのだということだ。分からないと後は使わないだけの話で、やめてしまうとのことだった。今回の講習の意義があったかどうかは、今後、各担当者が現場で実際にGISを使用してくれるかどうかで分かるということになる。

そのような文化の中で、今回の講習では、ソフトへの率直な感想や要望も引き出すことができた。十分にミャンマーにおけるGISのニーズを把握することができたと思う。

 

写真 第3GISコースの様子 皆真剣そのもの。

 

3回目のコース出席者は第2回と比較して年齢が若く、コンピュータ世代というのか、ソフトの操作への慣れが早かった。結核制御に関連する例題や、担当する地域や州の地図を作成する練習もしたため、受講者の本気度が一気に上がっていったのを実感した。

それぞれのスキルは十分に実用レベルまで引き上げられたと思う。ぜひ、現場で活用してほしいと思う。

 

Pathogens without Borders

2回と第3回のコースの間に土日があった。土曜日はミャンマー医師会主催の学会・講演会があり、出席させていただいた。新潟大学のプロジェクトで長年にわたりお世話になっているキン先生が会の立役者となっており、MIDCPでもつながりが強いカウンターパートということで、会に招待されたということだった。


写真 テレビ局の取材を受けるキン先生

 

会は”Pathogens without Borders”(病原体に国境なし)という名称で、ちょうどエボラ出血熱がアフリカで流行し、ミャンマーにも1例発生したというニュースで騒ぎになった時期でありタイムリーであった(ミャンマーの1例は結局マラリアであった)。

 

やっぱり(まさかの?)胃腸炎

この会からの帰りにドライバーが昼食にミャンマー料理はどうだ、というので、すでにネピドーでもヤンゴンでも色々なミャンマー料理を食べていたが、ためしに行ってみた。屋台食堂のような場所で、ミャンマーでは一般的なので、そんなに気にせずミャンマーカレーを注文した。


写真 ドライバーが親切に連れて行ってくれた屋台食堂(外観)

 

味もそこそこで何の違和感もなかったが、異変は夕方から起きた。強烈な吐き気と下痢と発熱。水分もとれない状況はなかなか苦しかった。今までもアジアでは下痢と発熱を伴う胃腸炎に見舞われることは何度かあったので、今回も何かおきるだろうという覚悟はしていた。持ってきていた抗菌薬と解熱薬が役立った。熱と身体のだるさは約3日間続いた。胃腸が戻ったと感じたのは4-5日後だった。原因が屋台食堂かどうか分からない。雨季はカビや細菌が繁殖して、ペットボトルの水さえも怪しいという話も聞いた。そう考えると、テーブルや食器やドアノブなど、どこから細菌が入ってもおかしくない。

ミャンマーに10年滞在されている中村先生は、「意外に雨季はコレラが多いんですよ」と語っていた。医者にかかって診断を受けるまでもなく抗菌薬で事なきをえたが、今回のエピソードもまたミャンマーを肌で実感する出来事だった。

食べ物は色々試したが、一番美味しいと感じたのは、MIDCP事務所の裏のほうにある食堂で食べたシャンヌードルだった。


写真 シャンヌードルとコカコーラ

 

この店も屋台食堂といえば屋台食堂であるが、お茶の容器を煮沸消毒してトングで持ってくるなど、衛生管理はきちんとしているようだった。滞在中、お昼に出るときはこの食堂に通っていた。もともとダウンタウンにあったレストランが、家賃の高騰のために外れに移動してきたという話だった。シャンというのはミャンマーにある地方の名前で、シャン地方の麺、ということになる。ラーメンとも違うが、とにかく口に合った。

 

ヤデナ先生と再会

具合が悪かった土日であったが、ヤデナ先生と再会を果たすことができた。ヤデナ先生には、昨年のミャンマー訪問の際、大変お世話になった。内藤先生の講座で1999年に博士号を取得されミャンマーに戻った後も交流が続き、現在の新潟大学とミャンマーの交流の源流ともいえる。

私ごときの若造に対しても、誠心誠意の真心を尽くして下さり、感謝に堪えない。

 


写真 右からヤデナ先生の旦那さん、Myat Thandar先生、ヤデナ先生、筆者

 

今回も夕食会の機会を作って下さり、楽しい団らんのひとときだった。夕食会にはヤデナ先生の旦那さんとヤデナ先生の幼なじみというMyat先生が来て下さった。Myat先生は1997年に愛媛大学医学部で博士号を取得され、現在ではヤンゴン看護大学の学長をされているとのことだった。日本語と流ちょうな英語に驚かされた。

 

3つのGISコースを無事に終えた後もMIDCPの活動は続いていた。輸血によるHIV感染や肝炎ウイルスの感染を防ごうというプロジェクトをMIDCPが主導しており、献血センターでの指紋認証と献血者と血液を電子管理するシステムがミャンマー全土の34の総合病院に導入されようとしていた。システム導入のための担当者向け講習会と、JICAがそのシステムをミャンマー保健省に寄贈するというセレモニーにも参加させていただいた。

日本では当たり前のことがミャンマーでは当たり前ではない。そして、それによって、小児のAIDSが発生している。システムの導入によって、一人でも多くの人が健康に生きることができるのであれば、それは素晴らしいことなのだと思えた。

一つのことを成し遂げるためにも、色々な障壁があり、無理解や無関心の壁を破る必要がある。JICAの取り組みは、そのような一つ一つに対して、真剣に取り組み、着実に解決に向けて進めていくものであると実感した。

 

来年度からは6大学の一つとして新潟大学でもミャンマーからの留学生を受け入れる。今回、プロジェクトを通して見聞きしたミャンマーの現実をふまえて、留学生にできるだけのことをしてあげたいと思う。留学生を通して、ミャンマーがより豊かで健康な国になって行ってくれることを願う。

今回、ミャンマーの現状を短期間ではあるが、学ぶことができた経験は何にも代え難い。3週間の滞在にあたり、JICAはもとより新潟大学を含め、お世話になった全ての関係者の方に感謝したい。そして、今回の滞在で学んだことを今後の国際交流に生かしていきたい。

 

(文責 国際保健学 菖蒲川由郷)

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