ミャンマーの医学教育協力プロジェクト調査報告 その2 【 7月7日 (月) 】


7月7日(月)
 
 午前9時日本大使館へ。参事官と書記官が対応。今回のミッションについて富田団長が説明し、参事官から激励の言葉をもらったが、2点、留意事項が伝えられた。
@日本はこれまでミャンマーに困難な状況でも綿綿と支援を続けてきた。しかし、最近、各国からのオファーが増えて、これまでの経緯を水に流して、一番有利なものを選ぶようになった。国益といえばそうかも知れないが、ドライで、落胆することが実に多くなった。A2015年の選挙までに成果を求めている。それまでにできないことはやらないと同じと言っている。だからといって選挙が終わってどうなるかを気にして様子見をするとどんどん遅れてしまう。スピード感をもって進めてほしい。
 大使館としては日本の動きがまどろっこしく思えるのだろう。仕事が急増し、大使館の人員も5人増員されたという。参事官は次々に来客に対応し、忙しそうだった。



 次にJICA事務所のあるサクラタワーへ。最上階で昼食。眺めがよい。市内がすべて見渡せる。ヤンゴン港、パゴダも。あちこちで建設ラッシュである。
 午後はEast Yangon General Hospitalへ。200床ほどの中規模病院。玄関に多数のお腹の大きい女性たちがすし詰め状態(写真4)。妊婦検診である。こんなに大勢の妊婦を見ることはなかなかない。母子保健が重要だと実感する。救急外来を視察。といっても普通の診察室に酸素ボンベが1本備えてあるだけ。丁度急患が2名運ばれてきた(写真5)。なかなか医者が来ない。一人はすぐに病室へ運ばれ、もう一人は診察を受けたが、特別な処置をするでもなく、やはり病室へ運ばれて行った。設備は貧弱。手術室を見学すると最近導入された麻酔器があった。「他の国からの支援だ。JICAプロジェクトの支援機器に麻酔機を入れていたが、これでは重複して無駄になってしまう」と岡田先生。現場を見ないと何事もわからない。


               
            写真4 病院に入ると妊婦の山                     写真5 救急患者が運び込まれる



 この病院にはCTはなく、レントゲンが1台、移動式レントゲンが1台、それに超音波検査機がある程度。検査室は旧態然としている。病理の機器は壊れていたが、いつもは標本を作製しているという。標本の色合いがあまり良くないのが、肉眼でもわかった。機材だけでなく、アルコール、キシレン、パラフィンといった基礎資材の品質が低い。 



                
              写真6 Health Center                           写真7 診察室の薬品棚の薬



 次にHealth Centerへ。1つの州の田舎には数個のTownship hospitalがあり、その下にHealth Centerという保健所みたいな施設がある(写真6)。ヤンゴンの町中にあるこの施設には、人口が多いせいか医者が3人もいて、外来診察も行っているという。1日30名程度の患者が来院し、無料で投薬している(写真7)。そのほか、住民に対するワクチン接種や保健指導を行っている。若い女医さんが対応してくれたが、これからどんな進路をとるか訊かれると、博士コースには田舎の勤務を2年しないと行けないので、考慮中という。医学部を出ても学位を取れるのは一部のエリートなのである。
 

 ホテルに戻り、支援内容の討議。岡田先生のミャンマー医療についての知識と見識には驚くばかり。長年の貢献とそれによって築いた人脈からの情報である。ミャンマーをよく知る3大学を中心とした今回の人材育成プロジェクトはミャンマーにとって大きな力になるはずである。ともかく、ミャンマー側の希望とすりあわせなければ意味がない。明日の医科学局長との打ち合わせは重要である。
 一休みして夕食に出かけようとすると電話がきた。ピンウールイン(メイミョー)医学研究所のミン所長からであった。明日保健省で会いたいとのこと。丁度ミン所長の研究所から2名の研究者が新潟で研修している。われわれのプロジェクトは今も動いている。

(2014.7.15、文責:内藤 眞)

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