20149月秋 活動報告(その3)

 

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5時ごろ、何とか起きられるようになった。急いでその日のプレゼンテーション用のインフルエンザのスライドを作る。今朝はチェックアウトもある。暖かいお風呂に入り、身支度をしながら荷物もまとめ始めた。食欲はまだない。身体がだるいのでゆっくりしか動けない。

 

このホテルは、部屋でインターネットが通じないので、レセプションに行く必要がある。1日以上メールを全く見ていないので気になる。メイン棟にゆっくり歩いて行った。みんなが朝ご飯を食べていた。「今日も休んだら、昼頃ホテルに迎えにくるから、大丈夫」としきりに声を掛けてくれる。しかし、今日はミン先生に会って、調査の進行状況の確認や、今後の研究の話をしなくてはならない。メールでは、微妙なニュアンスが伝わらず、この機会を逃すとミン先生と話せるのは、もう1年待たねばならない。

 

迎えの車で研究所へ。田村先生と近藤君はセミナーの続きをするために生化学棟へ向かった。ミン先生、副所長、長谷川先生と、私は、これまでの調査の概要を情報交換し、今後の協力分野について話し合った。2時間近く話した。体調が悪くて、無理しても研究所に来た甲斐があった。ミン先生によるとピンウールインでは、インフルエンザの流行開始がヤンゴンより1ヶ月遅れて、8月に始まるそうだ。ピンウールインは気温が低いためではないかという。ミン先生は、流行時期の違いにとても興味を引かれているようだ。ミン先生は、ネイリン先生に指示して、ミャンマー中部のネピドーの調査も継続してくれているおり、検体をとり続けてくれている。ヤンゴン、ネピドー、ピンウールインの3カ所の比較ができるのはすごいことだ。

 

幹部の話し合いが終了し、大会議室に移動した。100名近くの所員を前に、ようやく準備した「インフルエンザ」のプレゼンテーションを行った。まだ身体がだるく、途中つっかえ、つっかえしながら、ようやく終わった。田村先生は、私より先に同じ会議室のコンピューターを使ってウイルス遺伝子解析のBlastサーチについて説明をしたそうだ。


まだ、PCRの電気泳動が残っているというので生化学棟に移動した。

A型、B型のインフルエンザのバンドが無事にでて、実験は成功した。田村先生のシークエンスセミナーもうまくいったようだ。近藤君、田村さんお疲れ様でした。二人とも、女性所員に囲まれて質問攻めだった。

 


 

最後に記念写真撮影。結局、カメラが出てこなかったのでスマートフォンのカメラを使った。


ミン先生に「予定の飛行機がキャンセルになった。一便繰り上げなければならない。飛行機までの時間がありません」とせかされて、研究所でお昼を食べた。お昼は初日のカウスエという麺だった。私にはミン先生がおかゆを出してくれた。おかゆがおいしい。だんだん身体に力が戻ってきた。

 

副所長のモン先生がマンダレー空港まで送ってくれた。飛行機の出発3時間ぐらい前に空港に到着した。まだ誰もいない。予定のエアバガンがキャンセルになり、他の航空会社に変更になったのでカウンターでモン先生が交渉してくれた。大丈夫かな、と思ったが、ミャンマー語の文書を見せると、無事に搭乗券が発券された。席番号が無く、自由席だ。

 


さよならの握手をしてモン先生と別れる。モン先生はオーストラリアに留学が決まったそうだ。次はいつ会えるのだろうか。

夕方、6時近くにようやく、飛行機がやってきた。何とか乗り込み、席を確保した。乗客はいっぱいで、非常用シートにも二人座っていた。危なかった。ヤンゴンに帰り損ねるところだった。一便キャンセルになったのでオーバーブッキングなのだ。

 

ヤンゴンには7時半過ぎについた。雨だ。ヤデナ先生、ティーダ、ティン先生が迎えに来てくれていた。懐かしいヤンゴン。三人の先生に会うとほっとする。飛行機のキャンセルは小丸さんが知らせてくれたのだという。日本人はきめ細かに面倒をみてくれてありがたい。

 

また、同じグリーンヒルにチェックイン。何かイベントがあるらしく、ロビーは観光客で一杯だった。部屋にあがると前の部屋より妙に広い。満室なのでホテルがアップグレードしてくれたらしい。夕食はグリーンヒルホテルで食べる。ここのホテルのレストランはおいしい。みんなはカレー、私はスパゲッティを食べた。食中毒は良くなっていたが、まだカレーを食べる元気が無かった。


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最終日。今日はNHLに行くだけだ。セミナーで一同疲れたので、ゆっくりホテルをでた。お昼をミャンマー料理のFeelで食べ、NHLへ。今日もキン先生が会議の途中に抜け出してきてくれた。NHLでの用事を足し、ホテルに戻った。雨で洪水になった道路。


最後の任務がある。クラビットの寄贈式のやり直しだ。初日にヤデナ先生に手渡したのであるが、私がカメラを紛失したので、渡した証拠が無い。受け取りを書いてもらおうかと思ったがヤデナ先生にお願いして、クラビットをホテルまで持ってきてもらい寄贈式をやり直した。


これで、今回の仕事は全て終了した。

 

飛行機の出発が遅いのでホテルで夕食を食べ、7時過ぎに出た。カレーがおいしい。急に予定を変更してホテルで夕食をとることにしたので、ティン先生はもう先に空港に行っているという。帰りはスーツケースの超過料金が行きの倍ぐらいに跳ね上がった。ANAは成田で払うより海外空港のほうが何故か高いのだ。しかも、現金しか受け付けないという。ちょっと切れ気味になり、最後のお金をかき集め超過料金をキャッシュで支払う。280ドル。

 

先生方と恒例の最後の記念写真。


今回もいろいろハプニングはあった。結局、近藤君以外、私、長谷川先生、田村先生の3名とも食中毒になった。ピンウールインのお昼の麺が原因ではないか、と長谷川先生は言う。近藤君に「具合悪くないの」と聞いたら「クラビット、予防内服してます」との返事であった。

 

ANAの機内音楽を聴きながら、座席確保。直行便は本当に速いが、座席がめちゃくちゃ堅いのと、リクライニングしないのだけは、何とか改善してほしい。疲れているところに最後の苦行のようだ。いつミャンマーに戻ってこられるかわからないが、ミャンマーの先生方のホスピタリティに感謝し、今後もそれに答えられるよう努力したい。

 

本活動はJSPS研究拠点形成事業B.アジアアフリカ学術基盤形成型「アジアの熱帯亜熱帯におけるインフルエンザウイルスの動向と対策の検討」によって支出されています。

 ミャンマー新潟大インフルエンザプロジェクトへインフルエンザ・RSV検出キット(クイックナビ−Flu+RSV)のご寄贈をいただきましたデンカ生研(株)に感謝いたします。

 また、「ミャンマーの医療を支援する会」にクラビットの寄贈をいただいた第一三共(株)と、抗体の寄贈をいただいたニチレイに感謝申し上げます。

(文責・新潟大学・国際保健・齋藤玲子)

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