2015春活動報告② 第24回ミャンマー訪問記録 


■3月日(水)

 私にとって24回目の訪緬。国際保健の齋藤玲子先生と日比野亮信先生、細菌学の松本壮吉先生の4名。乾季が終わり、暑季に入ろうとしているミャンマーへ。昼発の全日空の直行便搭乗はほとんど日本人。7時間のフライトで夕方到着。ヤンゴンは晴、気温は35度。ヤンゴン空港にはヤデナ医師、チン、チーダ、そしてチンの旦那とミッキーさんが出迎えてくれた。町中は車が渋滞。最近古い車が次々に新しい車(中古車)に取り換えられ、きれいになった。あちこちで高層ビルの建設ラッシュ。まだ建設中なのに完売だという。グリーンヒルホテルに着いた。宿泊料が高くなった。カードはきかず、現金社会のミャンマーでは新しいドル札でないと受け取らない。外国からの来訪者が飛躍的に多くなったので、不動産バブルのヤンゴンである。

 新潟市のジャンボテニススクールからテニスウエア20数着を寄付してもらった。ところが、ミャンマー代表の青少年を育成しているスポーツ省ミャンマーテニス協会の担当者が首都ネピドーへ急遽出張になり、不在。ウエアはヤデナ医師に預かってもらうことになった(図1)。急に予定が変わるのはミャンマーのお家芸。


図1 テニスウエアの寄贈

 

■3月5日(木)

 午前中は第二医科大学へ。学部長と歓談後、中央研究所へ。ここにはわれわれの提供した機材がいろいろあり、とくに、PCRは非常に活用されている。2台あるが、壊れた時の予備にと1台持参した。齊藤先生は分光光度計を持参。重いが、日比野先生が運搬に大活躍。次にニチレイバイオサイエンスから提供を受けた抗体を渡す(図2)。ミャンマーでは免疫染色の抗体はほとんど入手できない。われわれの持参する抗体は貴重である。


図2 抗体と機器の寄贈

 

 午後は国立衛生研究所(NHL)へ。先週は大きな出来事があった。文科省の国際感染症研究ネットワークの一員にわれわれ新潟大学チーム(代表:齋藤玲子教授)が選ばれ、ミャンマーに新潟の研究拠点を作ることになった。今回の訪緬は医療支援と研究打合せ、インフルエンザ検体の回収のために予定したが、急遽NHLに拠点のための部屋を提供してもらう交渉の機会となった。NHLの所長テイテイ・チン先生はヤンゴン小児病院の病理医で、われわれは彼女に2010年から抗体供与などを続け、病院には薬剤を寄付した( http://www.med.niigata-u.ac.jp/pa2/myammar2010aki.htm)。彼女が所長になったと聞いて驚いたが、精力的に改革に取り組んでいる。所内のあちこちが改修され、トイレもきれいになった。われわれにとっては力強いパートナーである。


3 所長に説明する齊藤先生

 

 齋藤先生から今回のプロジェクトについて説明した(図3)。所長は驚きながらも好意的な反応を示し、これから保健省への手続きを開始してくれるという。提供スペースについては現在は空きがないが、これから検討することになった。

 会議終了後、NHLの中を見学した。その中にKOICAの看板があった(図4)。寄生虫研究室に韓国が入りこんでいる。若い女性研究者が常駐していた。また、パスツール研究所の看板が何か所かあり(図5)、一つは冷蔵室であった(図6)。外国が入りこんでいる。ちょっと前まで、日本以外はまったく入っていなかったのに。これではスペースが足りなくなる。日本もうかうかしていられない。もちろん、PCR室などあちこちにJICAの看板があり、日本の支援の歴史を物語っている(図7)。


 

4 韓国の海外支援(KOICA)     図5 パスツール研究所の冷蔵室入り口


 

6 冷蔵室の扉           図7 冷蔵室の隣にJICA寄贈のPCR

 

 夜は所長の招待ディナーで、懇親を深めた。奇しくもメーミョーのDMR所長のMyint先生もニューヨークから戻り、会食に参加した(図8)。シェダゴンパゴダのふもとのレストランだったので、会食後参拝した。日比野先生はビシッとスーツ姿、松本先生は旅慣れた軽装、齊藤先生と私は普通の服装で、多様性に富んだというか、バランスの悪い新潟チームだが、皆裸足で黄金に輝くパゴダを巡った(図9, 10)。日比野先生は自分の誕生曜日の仏様に水をかけてお祈りした(図11)。きっとよいことがあるだろう。昨日は満月の日で休日。多くの参拝客でごった返したという。休日であることを知らずに訪問予定を立てたが、1日ずれたら大変だった。

8 所長招待ディナー

9 16夜の月が輝くシェダゴンパゴダ  

 

10 皆裸足で参拝         図11 誕生曜日の仏様に水をかける日比野先生

 

■3月6日(金)

 最終日の午前中はヤデナ医師の勤めるサンピュア病院へ。相変わらず患者があふれている。300床の病院だが、常時500人以上入院しているのだから、あふれるはずである。おまけに家族が付き添う。病院では入院食は提供しないから、皆自炊。ヤデナ医師の病棟には酸素ボンベが沢山置いてあった(図12)。呼吸困難な患者が多く、110本は使うという。以前、酸素濃縮機を寄付したが、停電の多いミャンマーではあまり役にたたないので、酸素ボンベに切り替えたという。病院の経費でまかないきれないが、幸い現地のNPOが酸素ボンベを支援してくれているという。結核患者が沢山横たわっていた。重症患者である。肝障害のため、黄疸の強い女性が虚ろな目をして寝ていた。帰国直後に亡くなったとヤデナ医師からメールが来た。経済発展に湧くミャンマー。しかし、病院の中は何も変わらない。

    

12 病棟の中の酸素ボンベ        図13 小児科病棟で説明を受ける


 小児科には新生児が沢山いた。ここでは産科ではなく、小児科が新生児を診ている。ヤデナ医師の後輩であるWin医師は臨床データをもとに説明してくれた(図12)。これから新潟の小児感染症チームが感染症の研究をすると言うと、ぜひ科学的な検査をもとに診断と治療をしたいと期待を膨らませた。肺炎などの感染症は現地の小児医療の大きな問題点である。この病院の小児科はちょうどよい規模で、熱心な医師がいる。われわれの臨床基地として絶好である。ヤデナ医師はそう思って小児科に案内してくれたのだ。


 午後はドライアイスを購入してNHLに行き、サンプルを回収した。迅速診断ではインフルエンザだけでなく、RSウイルス感染症もある。これからの解析結果が楽しみである。


 最後の夜は空港の近くのミャンマー料理店で会食。ミャンマー料理を満喫して空港でいつものように記念写真(図14)。23日とこれまでで最短の滞在であったが、今後の活動のために非常に重要な訪問であった。次回は25回目の訪緬となる。記念になることをしたいものである(文責:内藤 眞、2015. 3. 10)。


14 空港での記念写真

 

謝辞

ご支援いただいたジャンボテニススクール、ニチレイバイオサイエンスに御礼申し上げます。