新潟大学大学院医歯学総合研究科 消化器内科学分野-旧内科学第三講座-

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留学だより

エジンバラ留学記 4(2013年1月7日~2013年7月24日)

2013年1月7日

その21;~スコットランド教育事情~

スコットランド、エジンバラに来て二回目のお正月を迎えました。今年の年末はニューキャッスルのホテルで紅白歌合戦を見ることができました。エジンバラにはホグマニーというとても有名な年末イベントが有り、コンサート、花火などが繰り広げられますが、小さい子がいるとなかなか厳しいかなというのもあり、でもせめて年末は何か楽しみたいという思いから、日本のテレビが見られるJSTVというテレビが入っているホテル滞在と決めました。以前4月にもここにサッカーを見に来た時に来たことがあり、もう一度来てみたいというのもありました。ホテルの近くには大きなショッピングセンターが有り、ホテルにはプールもあり家族でショッピングをしたり、プールに入ったり、のんびりすることができました。よく紅白の中継中に「この放送は100カ国以上の国や地域で放送されています」というくだりが出てきますが、今回海外から見ましたが、日本にいるときには感じなかった、見られてよかったという嬉しさが有りました。紅白歌合戦を外が明るい時間に見る。違和感たっぷりで、大晦日という感じがあまり正直しませんでしたが、いい経験をしました。知らない歌手や知らないタレント、そしてほとんど知らない曲、自分がこうしてスコットランドで過ごしている時間にも日本では同じ様に時間は過ぎていると考えるとこちらの時間を大切にしようと思う気持ちが強くなりました。また、今回JSTVで深夜になぜかNHK特集「わが町に医者を」が放送されていました。なんでこんな外国向けのJSTVでこんな番組をしかも年末に??と思いましたが、目が覚め偶然テレビをつけるとその番組がやっていました。インターン制度の廃止、医局制度の弊害、新研修システムの開始とその弊害などを今回の地震で被災した陸前高田病院のDrの視線も通して番組では映し出されていました。新潟大学内にいて感じた新研修システムの問題、佐渡、会津、その他色々な病院で働いた時に実感した体験を思い出させるもので、実際に現場で感じていることを強く反映している面白い番組でした。医師不足という現実、その地域に置かれた時の苦労、今は少しこうして研究させてもらうことが申し訳なく感じさえしますが、だからこそより一層いい加減に終わらせるわけには行かないという思いが強くなりました。大学に戻ったら、臨床、研究、教育以外にも医師不足の現実を直視できる医者になりたいと年末ニューキャッスルで思いました。

とうとう帰国まで7ヶ月を切り、帰りのチケットもとり色々なことが仕上げに向けて動き始めています。もうじき最後の実験の試薬や研究材料がドイツの共同研究先から送られてきます。これの解析が終わればいよいよエジンバラの仕事の論文が完成します。 今回はスコットランド日本語補習授業校を中心に現地の日本人もしくは日本人と国際結婚した現地の子供の奮闘ぶりを述べてみたいと思います。スコットランド日本語補習授業校は、スコットランドの二大都市グラスゴーとエジンバラの中間のリビングストンという街にあり、スコットランドの幼稚園年中相当~中学生相当まで60人強が通う学校です。各学年ほぼ10人いかない生徒で構成され複式の学級もあります。先生は現地の日本人から募集され、校長先生等はおらず、運営は基本的に父母が行うという形態をとっています。日本の小学校では行事は先生が主に準備しますが、ここでは父兄が中心になり準備を進めます。子供たちは普段は現地校に通い、毎週土曜日だけ国語の授業を3時間受け日本語を学んでいます。教室は現地の高校を間借りして午前中だけ授業を行います。今年、我が家は夫婦でこの補習校の図書およそ4000冊の本を管理する図書の責任者、言ってみれば学校の図書室の司書長さんを毎週土曜日することになりました。司書として毎週奮闘し、その中でいろいろ子供たちは頑張っているなと思うようになりました。正直に言えば、土曜日ゆっくりしたい、図書の仕事もしたくない、その間に研究進めて日々の仕事を楽にしたいというのが偽らざる気持ちですが、子供たちを見ているとこれは頑張ってみるかという気持ちになります。スコットランドまで来て、司書として働く姿は全く想像すらしていませんでした。ここの通う生徒は大きく分け企業の駐在さんの子供と現地で定住している親が国際結婚した人の子供に分けられます。日本から来た子は日本語力が非常に高く、逆に英語力は現地の子には負ける。逆に国際結婚のお子さんは英語はパーフェクトだけれども日本語を勉強するのは日本からきた子よりも苦労するといったことが見られます。まったく逆の環境に置かれた子供たちが一つの教室に集いお互いの立場を少しずつ理解していくのでしょう。こちらに日本から来て英語がうまく話せるようになったけれども日本語能力がだんだん低下したという現象も見られ、それぞれの子がそれぞれの置かれた環境で非常に奮闘しています。日本語も英語もどちらもとてもよくできるという子もいますが、その子の家庭環境を見ると非常に親も一緒に努力しているなと感じます。国際結婚の子供はお母さんが日本人というケースがとても多いですが、日本語をきちっと話す子を見ているとお母さんもきちっと子供に教えていそうなのに加え、イギリス人のお父さんも日本語を流暢に話す、もしくはそうでなくてもお父さんも積極的に学校行事などに参加している様子が目に付きます。特に小さい子供のバイリンガル教育には親の役割が非常に大きい事を実感させられます。週一回3時間の授業ではどうしても教育には限界があります。自然と宿題が多くなります。作文も多くなります。日本語も日本に比べれば書く機会が少なくなります。最近うちの長男も英語で書く機会の方が多くなってきたため、漢字を覚えるのが面倒になってきているようですし、反復する機会も限られているのですぐ忘れてしまうようです。英語のスペルの方が簡単なようです。英語を英語で理解することも多くなって来ていて、英単語が出てくると理解はしているけれども日本語が出てこないこともあります。日本語が分かっていても忘れてしまい、「tree」を木とでてこなかったり、日本語で髪が長いと言うべきなのに英語の「have long hair」を思い浮かべているのか「長い髪を持っている」などと日本語では少し不自然な使い方をするようになり日本語、英語どちらも正しく勉強していくことは非常に難しいことだと実感しています。

私たちの毎週土曜日の仕事は、生徒や父兄に一人3冊DVD2本までの貸出をコンピューターバーコードシステムで行うこと、新規に図書購入をしていくこと、月一回職員会議に参加し先生方と意見交換をすること、古本や物品などのバザーを行い収益を上げること、などが挙げられますが、今年は4000冊以上ある本の書庫が手狭で使いにくくなっていたので整理していったので、仕事がだいぶ増えました。夏休みを利用して棚の購入、大人20名以上+子供で来られる人で一日がかりで新しい書庫に改修するのも大変でしたが充実感のある仕事でした。非常にみなさん協力的で、大量の仕事をほぼ一日で完成することができました。これらが少しでも子供たちの日本語能力向上に寄与することができるならば嬉しいことです。活字に触れる機会を増やすために日本の学校ではあまりなさそうな、漫画も取り入れられています。ドラえもんをはじめとした漫画が数種類ありますし、DVDは話すことに接する機会になりますので、本より楽でとても人気が高いです。当然購入費、予算が問題になり、帰国子女財団などのご寄付に支えられているところも大きく夫婦で申請書を書いたりしています。日本からの輸送もなかなか購入価格に添加されてしまう問題もあり日本の様にすぐパッとは揃えることができません。3月までの仕事ですが、医者ではできない経験をたくさんさせてもらいました。これも留学しなければあり得なかったことでしょう。3月までもう少し司書の仕事を頑張ってみたいと思います。バイリンガルは簡単に生まれるものではない、親の両方の言葉を覚えさせたいという努力に加え、子供自身にも大変な努力があって始めてバイリンガルになれるということが改めてわかりました。そうした苦労をしてきているここに通っている子の中には、努力をし続けて将来有望な子が出てくるのでは国際的に活躍する子が出てくるのではと思えてなりません。算数、数学、理科、社会など受験ということを考えると遅れをとってしまうここの子供達ですが学歴よりも大事な、社会で本当に必要とされている物のベースを持っているように思えてなりません。

エジンバラの12月の雪。新潟では雪のうちに入りません。 ホテルで明るいうちに紅白。変な感じです。
新年泊まったホテルから。目の前が大型ショッピングセンター2日間では十分まわれず。 補習校の宿題の書き初め。
ショッピングセンター内の日本料理店。後ろでは金髪の現地の若い子の集団が餃子とラーメンを注文。 補習校の図書室。現地校の図書室の倉庫を間借りしています。
トロリーも利用して最大限に活用します。

2013年2月21日

その22;~ひたすら実験の日々~

エジンバラの冬の短い日照時間もだんだんと長くなり、また一時期続いた寒波が少し和らいだかと思うとまた寒くなり、日本の三寒四温ほどはっきりしていないので、春の訪れとは言いませんが冬から春に移行する予感を感じさせる日々です。エジンバラも残り半年を切りました。文字通りラストスパートにかかってきており、1―2月は何をしたかというと本当に実験しか思いつかないほど実験に集中した月でした。

一月始めドイツの共同研究先から、マウスの組織や実験に必要な薬剤が送られてきて年初めの実験は一気に動き出しました。本当は昨年にやりたかったものですが、こちらのクリスマス休暇は異常に長いことも有り、かなり貴重な実験材料が届かないことにも不安でしたし、クリスマス前後で物品も揃いにくい、実験室も停止状態になってしまう、色々なリスクを考え年明けからのスタートにしました。実験に必要な物品はかなり綿密に調べて十分あることを確認したり、頼んでいたのであとはドイツからの物品を待つのみでした。

マウスを使ってする実験は大きく二つでした。それが終われば論文を完成できるということもあり、また貴重な実験材料、市販では手に入りにくく買えばかなり高価なものでもあったため、実験計画には念には念を入れました。本実験の前に、予備実験も行い、薬剤がマウス内で効いていることもきちんと確認してから行いました。計画はかなり綿密にたてられていたのであとは体を動かすだけでした。一ヶ月ほど毎日ひたすら動き続け、なんとか仮説を実証できる結果が得られ、とうとう論文を仕上げる段階に入って来ました。2月11日ボスとの面談でじっくりデーターを見ていただき、書き上げた論文も出し、いくつか追加で実験を加えるように言われたものの近いうちに論文をsubmitするのを目標に頑張ろうということになりました。現在追加の指示のあったちょっとした実験を再び行いはじめると同時に、最終仕上げの段階に入り始めました。

ここで私が実験をここでやるのと新潟大学でやるのとのメリット、デメリットをあげてみたいと思います。メリットとして一番大きいものは、研究だけの時間が取れるということです。私は臨床医ですのでどうしても普段は臨床に関わる時間がとても大きくなり、日本で実験をするのはどうしても臨床が終わってから、もしくは臨床の合間になります。仕事が終わったあとの実験はどうしても疲れたあとの実験で集中力を高める事は容易なことではありません。連日行うとどうしても体に疲れを覚えます。ここでは朝から実験を行え終日実験のことだけ考え、実験のために体調を整えることもできます。この環境は私にとって、一番のメリットと言えます。臨床医をやりながらの仕事より5倍以上仕事のはかどり方が違うといっても過言ではないでしょう。肝臓の再生をやっている仲間が多いというのが次のメリットです。自分の研究内容をわかってくれて話をしてくれる環境はなかなか新潟にはありませんでした。また、色々な人がいろいろなやり方をしているので参考にすることができます。今まで弱いと思っていた手技もじっくりこなすことができます。そういう点は本当にいい点に思います。今いる施設は実験機器を共同で使わせてくれたりもしているので、持ち合わせていない機器も使わせていただくことができ実験のideaがあればスムーズにことが進むというのも見逃せないメリットです。共同研究先もドイツとイギリスに近かったことも物資の輸送などを考えても非常によかったところです。

しかしメリットばかりでは正直ありません。留学は特に家族を連れてくるのには一番お金がデメリットになります。留学中は臨床医をしていた時の収入よりはるかに落ちます。家族には日本にいたならもっと楽な生活を送らせてあげられただろうにと申し訳なく思います。妻は医者と結婚したはずなのに医者の家族っぽい生活をしていないと思っていることでしょう。言葉の問題もあります。言葉はやはり重要です。日本にいた時のようにきめ細かく伝えることができないというジレンマを何度も味わいます。実験でのお金という点でもデメリットでした。日本では自分の研究費さえ取れば自分で買いたい実験材料が買えましたが、こちらでは実験に必要なお金は頼っていたのでやはり全体のバランスを見ながら注文するという必要が有りました。そう言った意味ではより気を使わないといけなくて大変だったというのが正直な実感です。動物実験などではlicenseの試験を受けなければ行けないなど正直面倒で大変でした。

いくつかのデメリットはありますが、メリット、特にもとまった時間でじっくり実験でやりたいことがあるというモチベーションが何よりも上回ったために来たという感じです。留学時期について色々言われています。学位を取ったらすぐ行くべき云々。。私は結局それは個人の事情によって違うのではというのが正直な答えです。私の場合臨床力もつけたいということがありますので、臨床を挟みながらこの年まで留学を伸ばしたことで、臨床の技量もある程度保つことができると思いました。また、研究でも丁度今が円熟期で単純な失敗や無駄な実験が少なくなってきているので、実験もスムーズに進められることがあります。そう言った意味で少し一般よりも留学時期が遅いかもしれませんが私にはとてもいい時期でした。子供特に長男にとっては現地の小学校入学というのは精神的に非常に大変だったと思いますが、なんとか英語力もついてきて、日本語補習校に通ったおかげもあって日本語力も日本の小学校に帰れば十分やっていけるのではないかと思わせる感じでいます。子供の事を考えると英語力をつけることは将来マイナスにはならないと思うので、子供のことを考えても絶好の留学時期だったのではないかと思います。留学奨学金助成の枠に年齢制限があるものが多いので若い方が留学助成は受けやすいという現実はあります。私の年齢では、非常に限られてものしかなく、そのうちの一つをいただけたことは大変にラッキーなことだったと思います。「天地人」天の時、地の利、人の輪と言いますが、まさに留学もそれに当てはまるように思います。私にも子供にも今回は非常によいタイミングでしたし、今回の実験に限ってはヨーロッパという地の利は私には欠かせず、研究室の肝臓組織幹細胞に特化された教室ならではの協力をうることが出来たこの研究室は私にとっては、非常によい留学先であったと思えます。

とにかくだいぶラストスパートの段階に入って来ました。論文を通すにはここからも長く忍耐が必要なことはわかっています。論文が通るまで細かいことに一喜一憂せず、急ぎながら、しかしいい加減にならないように注意して行いたいと思います。あとせっかくイギリスにきたのですから、限られた予算内ではありますが家族も自分も楽しめるよう計画もしていこうと思っています。

この冬最大の積雪になりそうです。5cmくらいでしょうか。 せっかく外食を食べに行ったのにまさかの停電で暗がりで食べました。
英語学習;食物連鎖などが出てきて理科も勉強できます。 晴れの日も時々有り。子供を公園へ。

2013年4月4日

その23;~ロンドンへ再び~

今年のエジンバラの3月は昨年に比べるととても寒い気がします。二月に一時10度近くまで行く日が続いてこのまま春?と思わせましたがまた最高気温2-3度の日が続き、雪がパラつく日が続きました。ずっと一日中氷点下という日は珍しいですが、なにせ夏でも20度行かない日が多いのですからこれも致し方ないかと諦めていましたが、なんと27年ぶりの3月の寒さのようで、納得といった感じです。いよいよ論文も仕上がり、ドイツの共同研究先にチェックを受けたあと投稿することができました。順調にいっても、イギリスにいる間にacceptになることはないと思うので、あとはここでreviseの仕事を仕上げることが目標です。新しいことにも時間を作って少しチャレンジしてみたいと思っています。

2月末、我が家は今年はじめてのサッカー観戦にニューキャッスルにいって来ました。サウサンプトンに所属する吉田選手を見に行くためです。オリンピックでも同じ会場で吉田選手を見ましたが、今回はプレミアリーグのレギュラーとして見れるので本当に楽しみにしていました。Defenseがよく見れるようにという事でゴールに近いエリアに席を取りました。試合は4-2で負けてしまいましたが、点もたくさん入り見ごたえのある試合でした。席も吉田選手が非常によく見える絶好の位置でした。何より、全員外国人のこの環境で物怖じすることなく、しっかりコミュニケーションをとり試合に出ていることは非常にすごいことだと感心しました。サッカーの能力はもちろんですがその他の語学を含めたところもクレバーなんだろうなと感じました。

3月末子供の小学校が終わるのをまち、二度目のロンドン旅行に行きました。一年前の前回は少しまだ旅行にもなれず戸惑うばかりでしたが、今回はドイツ、フランスの旅行のあとでしたし、一度行ったことのあるイギリス国内の場所でもあったので以前より気持ちの面で楽でした。26日電車で4時間半かけてロンドンにつき、その日は妻の美容院と知り合いの人と食事して終わりました。美容院の間、子供二人連れて、ロンドンのジャパンセンターや三越、イギリスの大きなおもちゃ屋Hamleysに行ったりしていました。特にHamleysはおもちゃだけで6階建て位ある建物で、各階で実演販売していて、その実演のうまさに子供たちは実演が終わると一斉に品に群がっていました。私と長男もその実演にまんまとはまり空中浮遊のUFOのおもちゃを買ってしまいました。家に帰ってやってみるとなんの事はなく、耳の後ろに固定した見えない糸でUFOを吊るしただけのトリックで、なかなかうまくやるのも大変で少し騙された感じがしました。

2日目からが主な観光で、二日目はハリーポッタースタジオ見学ツアーに行くのが主な目的でした。2時からの予約でしたのでその前に午前中デパートのHarrodsに行きました。少し我が家は踏み入れては行けないのでは?という雰囲気のするさすが高級百貨店という感じでした。あとでバスガイドさんに聞くところによると、一般市民はバーゲンのとき以外はあまり利用しないと言っていたので少し安心した感じがします。あまりじっくり見れる雰囲気でもなかったので早々に切り上げハリーポッタースタジオ見学に行きました。昨年でき、丁度一周年でしたがまだかなりこんでいました。ロンドンから電車で20分、更にバスで10分ほどいったところに有りました。ハリーポッターの映画で見た数々の道具やセットが展示されており、その精巧さには驚くばかりでした。これを見たあともう一度ハリーポッターをはじめから見てみたい気がしました。裏側を知ることが出来るとまた楽しめそうな気がします。また、映画にいかにCGが使われているのかがよくわかる気がしました。

3日目はストーンヘンジ、バース、カッスルクーム一日観光afternoon tea付きバス観光ツアーに参加してきました。一日がかりの旅でした。三箇所同じ日にしかもafternoon tea付きとなっていたので、たくさん見れて食べれて嬉しいと思えた反面、十分観光出来るのか?という一抹の不安が有りました。その不安は的中し最初の目的地ストーンヘンジでは40分くらいしか見学がなく、しかもチケットを買うのとトイレに20分位かかり、見学は20分くらいでオーディオガイドも十分に聞けませんでした。次の目的地、世界遺産都市お風呂のバスの由来となったバースでは自由時間が一時間もなく、しかも目的のRoman baths museumまで往復15分歩かなくてはならず、museumではかなりのスピードで見たにも関わらずやっとのことで制限時間に間に合う感じでした。Afternoon teaがもう一時間後に控えていましたが子供がお腹すいたというのでFish and Chipsを買って家族みんなでバスに乗る前につついてようやくバスに間に合いました。(バスの中では食事禁止)次の目的地カッスルクームでは昔の貴族の邸宅がマナーハウスとなったところでafternoon teaをいただきました。ここでようやく少しゆっくり出来た感じがしましたが、甘いものが多すぎて全部食べれず一部持ち帰ることができたので持ち帰りました。今までで一番慌ただしいバスツアーでしたが欲張りすぎた分しょうがないのかとも思いました。特にバースの美しい街並みが印象に残りました。ここはもう一度ここだけを目的に泊まりがけで来てもいいのかなと思いました。

最終日は特に予定を決めておらず見たいところがあればそこに行くとしていました。疲れもたまっていたので朝少しゆっくりし、まずはじめにロンドンの新名所観覧車のLondon Eyeのたもとから出発する水陸両用車でいくロンドンツアー[ダックツアー]に申し込むことにしました。75分の観光時間中、陸でビックベンやバッキンガムパレスなどの市内の名所を回るとともに同じ車が船としてテムズ川も15分ほど遊覧するというツアーでした。寒いという以外は本当に楽しめるツアーでした。車が船になるので水面がかなり近く普通の船より不安定な感じで少しスリルもありました。その後長男の要望でSea lifeというロンドンのビックベンの川をはさんで反対側にある水族館に行きました。一等地に水族館というのがびっくりです。場所柄、人が多くとても混雑していましたが水族館自体のレベルとしては新潟水族館の方がはるかに上をいく感じがしました。最後にピカデリーサーカス付近にて買い物をし、最後に和菓子屋[宗家 源 吉兆庵]で電車のなかで食べる和菓子を少し買い、夕方6時発の電車で、10時半頃エジンバラにつきました。なんと日本のお菓子は上品で美味しいこと。こちらのお菓子は甘いのが多く、あまり受け付けないものが本当に多いです。家に帰るとcentral heatingがなかなかつかず家族全員で寒い思いをしていました。12時過ぎようやく安定してつき、寒さから解放されみんな風呂に入れました。疲れから次の日はみんなで10時過ぎまで寝ていました。帰国まであと4ヵ月を切りました。家族皆日本に帰れる日が現実になってきたので、日本に帰ったら何をする?という話題が増えてきました。

Harrodsのエスカレーター。かなり豪華。 ダックツアー。水陸両用車。後ろに見えるのがLondon eye。
Royal familyと?レゴで作られたものです。 ストーンヘンジ。写真を取って一周したらすぐバスという感じでした。
指示を出す吉田選手を間近に見れました。 水陸両用車で川からみた風景。

2013年5月30日

その24;~はじめての海外でのoralでの発表~

ようやくエジンバラにも長い冬が明け、春らしい陽気になって来ました。私の留学生活も残すところ2ヶ月、終わりも見えてくるとともに論文でもactionがあり、非常に忙しい日々を送っています。ここ一ヶ月はほとんど実験しかしていないというほどの日々です。土日もできるだけ使って、なかなか日本に帰ると実験のみに時間を費やすことはできないので今は本当に貴重の時間に思えます。ここ一ヶ月で大きな動きは、オランダのEASL(European association for the study of the liver) というヨーロッパ肝臓学会で、海外でははじめての口演を行ったこと、マンチェスターに家族でマンチェスターunitedの試合を見に一泊旅行に行ったことでしょうか。

今回研究もひとつの成果が出てきたのでせっかくだったのでEASLに演題を出してみることにしました。せっかく自分でも満足いく成果になりつつあったので思い切って口演での申し込みをしました。運良く採択され、口演の機会が与えられました。発表時間は10分質問5分というものでした。今回始めて英語での発表でした。研究室では1時間くらいの発表等は経験しているものの時間制限がなく話せる環境でした。今回は時間制限があるということが緊張感を増しました。またスライドを作るとこれも加えろこれも加えろリクエストが増え、膨大な量になってしまい、英語能力的に緊張感を味わうこととなりました。つまずくことが許されない時間配分で、今回は研修医のように原稿を用意し発表するという手段を選びました。何とか質問にも答えられ無事に終わりました。最後に細胞のビデオを入れろという指示が出ていて、ビデオとともに学会のパワーポイント(スライド)を預けたら、学会会場にそれが届いておらず壇上に上がったものの発表前スライドが出ず、次の人と順序を入れ替えるというトラブルも有りましたが、かえって一回壇上に上がれたことで緊張感が薄れ、発表時は何とか緊張せずに行えました。

今回、この学会に新潟大学第三内科の須田先生も演題を出しており、学会ではご一緒させていただきました。海外の発表では日本人がいないと非常にさみしい思いをするので、非常に助かりました。また、すっかり忘れかけていた新潟の情報も教えていただき、8月からの復帰が不安になってきました。オランダではインドネシア料理を食べ、ハプニング続きでしたが国立美術館にも行けました。須田先生は発表時にビデオをとって下さり、後から自分で自分を客観的に見ると原稿を棒読みな感じがよくわかりましたが、まあはじめにしては及第点にしようと思いました。もし次に機会があれば、今度は原稿なしにチャレンジ出来ればいいのですが。

5月初めには一泊二日でマンチェスターにまたまたいって来ました。言うまでもなくマンチェスターunitedの香川選手を見たくて試合に申し込みました。すでに優勝が決まっていたので、通常なら抽選も高倍率になるチェルシー戦があたり購入することができました。今回は家族もみな連れて行き、最後に香川選手を見ようと意気込んで行きましたが、香川選手はまさかのスタメン落ち、途中出場もなく、見れたのは練習のときのみでした。試合もunitedが負け残念でしたが、チェルシーの選手も含め有名選手がたくさん見れたことが長男にとってもよかったです。家族最後のOld traffordで写真を撮り帰ってきました。今回球場に日本人が非常に多かったのが印象的でした。前二回は、香川選手が在籍していないかもしくは怪我でいなかったためか今回は出る可能性があるということで非常に目立ちました。

今回試合後、球場がら4-5キロのTrafford centreという巨大ショッピングセンターの近くにあるホテルに泊まり、次の日次男のためにLegoランドに行くこととしていました。今回は実験の合間でとても忙しかったためか、ホテルについて子供がねるといつも下のバーでビールを買って来て夫婦で部屋で飲むのを楽しみにしているのですが、夫婦共子供と一緒に寝てしまい、今回はビールの楽しみを味わえずでした。次の日10時からlegoランドに行きました。入場12ポンド(1600円)も取るのでさぞすごいところなのかと期待大でしたが大人の感覚からすると、やや評判倒れの感じのする施設でした。それでも子供たちは昼過ぎまで楽しんで、短い一泊二日の旅行でしたが終わりました。

あと、家族旅行も一回かなと思っています。最後はスコットランドを旅行しようと考えています。ネス湖,リゾート地アビモアなどにいければいいなと考えています。そろそろ、日本に帰る準備を整えつつあります。こちらでは、家の引き払い、電気ガスなど公共料金を確かめたり、銀行をどうするか相談に行ったり。飛行機はもちろんもうすでに抑え、いよいよ日本に帰れるという実感が湧いてくると同時に、ここでまだ、もう少しやらなければいけないことがあるのでそれをどうやって終わらせようかと考え、そして実際に体を動かす日々です。あと100日になった時点でこの100日全力で頑張ろうと自分で誓いやってきましたが、40日はとても満足の行くものでした。あと60日同じペースで頑張りたいと思います。

エジンバラは虹も綺麗です。 オランダで食べたインドネシア料理。
オランダの建物は本当に傾いています。
オランダ中央駅前 さよならOld Trafford

2013年7月24日

その25;~留学の終わりに~

いよいよ2年に及んだ私の留学も終わりに近づいて来ました。残念ながら、帰るまでに論文もとおり完全にすっきりした状態で帰ることはできませんでしたが、これはなかなか困難なことともわかっていたので、今後も継続して研究を続けて行きたいと思っています。そしてまた、きっとエジンバラには追加実験でまた来ますし、論文が通った時始めて留学が終了する気がします。家族で最後に大きな旅行としてスコットランド北部の都市インバネスやネッシーで有名なネス湖にも行くことができました。そしてリゾート地アビモアで二泊ほどホテルに泊まることが出来、束の間ののんびり過ごす時間を作ることもできました。

最後の一ヶ月はあっという間に過ぎて行きました。6月から補習校でお世話になった方がたにいくつか送別会を開いていただき、でもまだ一月以上あったので実感が湧きませんでしたが、7月に入ると本当にカウントダウンが始まった気がして、また引越しの準備などの現実にも直面しとにかく時間が早くすぎるように思えました。引越し業者の選定、家の物品の販売、譲渡、車の売却及び保険の解約、インターネットの解約、銀行の口座の住所変更(また訪れることを言うと維持できました。)TVライセンスの解約(テレビを見るのにライセンスが必要。NHKの受信料のよう。)council tax(税金)の残り期間の支払い、不動産業者との立会い日程の決定、携帯の解約、そして最後に当日電気とガス料金の精算し終わりになりますが、解約に電話したり、銀行、役所に行ったりなかなか大変な作業です。車の売却もこちらでは個人間での売買が頻繁に行われており、私も知人に車を売却しました。日本のように業者を通さずお互い書類にサインをするだけで車が売買できてしまう非常に便利なシステムです。売り手は業者に売るより少し高く売ることができますし、書いても業者を通すことにより生じる中間マージンを省いて安く買うことが出来ます。お互い信用の置ける者同士の売買であればこれがベストなのではないかと思います。

色々な手続きを行いそれぞれ順調に解決していきましたが、意外と苦労したのが大学に戻る際の資料送付です。大学に復帰するのにいくつか資料を提出するように求められましたが、戸籍謄本のコピー(半年過ぎると無効)、雇用保険被保険者証、基礎年金手帳のコピー、保険医票のコピーなどこちらに来る際に完全においてきてしまったものばかり書いてあり、少し困りました。結局、パスポートのコピーで代用できたり、医局で保存しているものを使ったり、それでもダメなものは帰国後で許してもらえることになりましたが、帰国前にこのようなものを大学に提出しなきゃいけないとは全くの盲点だったのでこれから行かれる方はコピーなどを持参されることをおすすめします。

7月7日から12日まで長男はマンチェスターの近くの大学で泊まりこみで行われる、マンチェスターユナイテッドサッカースクールに参加してきました。はじめての一人での一週間ものあいだの泊まり込みでの練習だったので、親としてはとても心配でしたが、長男が自ら自分の意思で行きたいと行っていたので、決して安い金額ではありませんでしたが参加することと決めました。マンチェスターまでの送り迎えは決して楽ではありませんでしたが、真っ黒に日焼けして帰ってきました。一週間親から離れて生活し、しかもずっと英語の環境下で、少したくましくなって帰ってきた気がしました。

最後の日曜日Stuart Forbes教授の自宅にBBQに招いていただきました。エジンバラから20キロ以上も遠く周りは畑、牧場しかないようなところでしたが教授が近くの街まで迎えに来ていただいたので何とかたどり着くことができました。自宅は想像を絶する広さで、庭は冗談抜きでゴルフができるほどで、野菜園、植物園、羊の牧場なども有り、そんな広大な敷地でBBQを食べることができ束の間の楽しい時を送ることができました。うちは道場六三郎監修のちらし寿司を持って行きました。ちょっと癖があるので少しでもつまんでもらえればいいな、こんなものが日本にありますと知ってもらえればいいな程度に持って行きましたが、意外と好評で多量に持って行った全てがなくなりみんなに食べていただくことができました。イギリスには珍しい快晴の下、昼間っからビールをのみ、こんな生活もあるんだなとイギリス生活を感じることができました。

最後の数日だんだん荷物が少なくなって行きました。こちらに来た時はこんな感じだったなとふと思い出すと非常に懐かしくなると同時に二年の月日が過ぎたことを改めて感じました。船便を送ると家はすっかり空っぽになり、いよいよ日本に戻る!と気持ちが切り替わりました。いよいよもうじき出発です。どの土地も離れるときは一種の切なさを感じますが、ここでもまたそのような感情が生まれてきました。ここは私からすると外国ですが二年もすると外国という感情がなくなってきていることを感じます。でもやっぱり日本が一番良いです。地震があっても、夏暑くても、冬雪が多くても日本に勝るところはありません。イギリス、ドイツと多国間で研究活動ができそれぞれのよいところ悪いところを感じられました。しかし日本を離れ、日本の良さを改めて感じる留学でも有りました。2年前とは考え方も、能力も少し変わった自分がいることを改めて感じます。それだけでも留学の価値があったのかもしれません。

スコットランド北部の都市インバネス。綺麗な街でした。 城跡からネス湖を眺める。のんびりしてます。
マンUサッカースクール 小学校最後の日
研究室のみんなと
同門会の皆様へ