2017

 
 


[記者O]ええ!パウロさんにもそのような時期があったのですね!驚きました。そんな状況から一体どのようなことがあって、現在の研究に行き着いたのでしょうか?

[P氏]そうですね。1年が経った頃、素晴らしい転機がありました。慶應義塾大学医学部の田中謙二先生から共同研究のお話をいただき、私の人生は青色に照らされ始めました。そこからは、画狂老人並みの勢いで、実験に没頭していき、研究の楽しさと厳しさに触れ、数多くの経験を積むことができました。そして、長いトンネルを抜けた結果、論文投稿にまで漕ぎ着けました。ただ、ここからも長かった、、、女性にフラれたことは記憶にないですが(ウソ)、顔も知らないEditorsに5回ほど即フラれて今度は顔が青色になったりと、、、でも、今はそれもいい思い出です。

[記者O]長い戦いだったのですね。重ねて申し上げますが、この度はおめでとうございます。今度は現実逃避に活用されていたパートナー探しでの成功を心よりお祈りしております。最後に何か一言お願いします。

[P氏]最後になりましたが、「パウロ」の名付け親である日比野教授をはじめ、研究室の皆々様に、心より感謝申し上げます。日比野研バンザーイ! 

ご満悦のP氏

記者O氏は真剣な面持ち