20149月秋 活動報告(その1)

国際保健・齋藤玲子、近藤大貴、実験病理・長谷川剛先生、新潟県保管環境科学研究所・ウイルス科・田村務先生の4名で921日〜926日にミャンマーに出張し、ヤンゴン市、北部のピンウールインでインフルエンザの調査打ち合わせを行ってきました。ピンウールインの北部医科学研究所では、ミャンマーの研究者を対象に「インフルエンザ検出セミナー」を行いました。

 今回は、齋藤が途中でカメラを無くしてしまったため前半は文章のみの報告となります。何卒ご容赦ください。
(追記:長谷川先生より写真を提供いただいたので、写真入りに変更しました)

 

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昨年秋に就航したANAの直行便で成田からヤンゴンへ。今回はピンウールインの北部医科学研究所でPCRやシークエンスの実習型のセミナーを予定しているため、消耗品や試薬で荷物が多い。ANAが本年6月から預け入れ荷物の個数制限を始めたため超過料金となった。

 現地時間の3時過ぎにはヤンゴンに着き、いつもの通り、ヤデナ先生、ティン先生(と旦那様)、ティーダ先生が空港に迎えに来てくれた。無事に荷物も回収し、一同借り上げバンに乗り込み、ヤンゴン市内へと向かった。車の中でティーダ先生から、マンダレー大学に医学生の試験に行ったときにピーウールインまで足を伸ばし観光した話を聞いた。去年行ったカンドージ公園の他に、仏像がある洞窟や滝がありミャンマーでは皆があこがれる一大観光地であるとのこと。

ホテルへのチェックイン後、ヤデナ先生と、今回のスケジュールの確認と、クラビットの寄贈を行った。クラビットはヤデナ先生の多剤耐性結核患者の治療用である。ミャンマーでは結核が多い。患者は診断が下るとナショナルプログラムに登録され、政府から抗結核薬が無料で処方される。しかし、患者が自己判断で治療を中断してしまったり、薬局で抗結核剤が手に入るため、いい加減に治療する患者が相次ぎ、多剤耐性結核(MDR、XDR)が多い。ヤデナ先生は、結核患者を150人ぐらい今も診ているが、MDR、XDRのため治療に難渋する患者が多く、クラビットの寄贈は非常にありがたいとのこと。贈呈式をホテルで行った。長谷川先生も、内藤先生からヤデナ先生へと託された気管支鏡を手渡した。


8月に保健省のペ・テ・キン大臣が辞任し、新しい大臣が着任したことも大ニュースである。前大臣は昨年10月に来日し、来年度から開始される6大学JICAプロジェクトに積極的であった。
夕食はヤデナ先生達も一緒に「一番館」へ。小丸さんからマンダレー行きの国内線航空券を受け取り、支払いも日本円で済ませた。ここでもう一つの今日のミッション終了。ミャンマー大使館の萩野先生も合流し、日本でのデング熱の流行、日本の女性の地位などジェンダー論、大河ドラマ論、朝の連続ドラマ論など様々な分野に及んだ。楽しい話題と一番館のおいしい食事に満足して、ホテルに戻った。今回の宿泊グリーンヒルホテル。一昨年泊まったときは裏手の僧院の念仏に悩まされたが、Best Westernの系列になってからホテルの部屋が改装され、少し快適になった。

 

 

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午前中はヤンゴン第二医科大学へ。昨年来日して、新潟大学で学部間協定に調印してくれたTin Swe Latt学長は辞め、WHO/SEAROのNon Communicable Disease (NCD)部長として転出してしまったとのこと。外科のTin Latt教授が学長代行をしているとのことで、面談が可能となった。

はじめに、来年度から始まる6大学JICAプロジェクトについて概要を説明した。ミャンマーの大学から日本の大学の基礎系講座へ大学院生を受け入れ、教員を養成すること、臨床系は、周産期医療、放射線診断、病理診断、救急などの分野でミャンマー人医師を短期受け入れしてミャンマー医療のレベルアップを図ることを目的としていることを話した。しかし、ヤンゴン第二医科大学には全く話が来ていないようである。7月のJICA調査団の際には、ヤンゴン第一医科大学のみ訪問したこと、学長が代理であるためと考えられた。
基礎系への支援はあまりないので、JICAのプログラムは大変ありがたいと基礎系の教授は繰り返していた。

解剖学、生化学、微生物学の3つの教室を訪問。解剖学はガラス容器に入った人体組織が教室に並び、教室内に非常に古いミクロトームがあるだけで、組織切片がまともに切れている状態ではなさそうである。医学部の実習ではフォルマリン固定の遺体を医学生40名で1体解剖しており、解剖体がフォルマリン固定のため堅くて解剖しにくいそうだ。

微生物学の教授は結核とHIVが専門であり、さらに、らい菌について島根大学で学んだ。塗抹陽性だが、PCR陰性の結核検体が多数有り、非定型抗酸菌ではないかと思っているが確認ができず、困っているそうだ。その他、食中毒を起こす細菌やウイルス、結核の多剤耐性菌に興味を持っていると話していた。

生化学教室の教授は、熊本大学で博士号を取得した人で、今でも日本語がかなりうまい。いつも私たちを迎えに来てくれる、ティン先生とティーダ先生が所属する教室で活気がある。この教室では、高脂血症や高血圧について研究している。前学長の意向により、ヤンゴン市内で糖尿病のクリニックを有しており、生活習慣病関係の調査への協力が可能とのことであった。

第二医科大学には、中央ラボが有り、これまで内藤名誉教授が寄付したサーマルサイクラーなどを共用で使っている。寄贈された機械を大事に使っている姿勢が強く伝わってきた。

お昼は、UM2近くのミャンマー料理の店で食べる。ヤンゴンでは各国の料理が食べられるが、ミャンマー料理が一番安くておいしい気がする。

午後から国立衛生研究所(NHL)へ。昨年から、所長は病理のHtay Htay Tin医師になった。Htay Htay Tin医師の前任は国立小児病院である。我々の長年のカウンターパートであるウイルス部のKhin Yi Oo先生も副所長に昇任し、実務は担当しなくなったという。インフルエンザラボを尋ねると女性の技師さんが対応してくれた。新しいウイルス部長は休暇でイギリスに行っており、不在であった。以前に新潟大へインフルエンザの研修に来たPoe Poe先生も肩が痛くて病欠中。-80度のフリーザーに保存してある今年の検体数を確認した。100本立ての容器に、5箱あった。ネピドーの病院で働いているNay Lin先生がサンプルをわざわざヤンゴンまで運んできてくれたが、一箱忘れてきてしまったという。NHLの所長が、明日、ネピドーに会議に行くと言うので、お願いしてサンプルを回収してきてもらうこととなった。この日は、所長の誕生日だそうだ。ケーキを振る舞われた。甘すぎず、おいしい。

NHLを後にしてホテルに戻り始めたところ、ヤンゴン最大のシェダゴンパゴダが正面に見えた。田村さん、近藤君を振り向くと、行きたいという顔をしている。ヤデナ先生にお願いしてシェダゴンパゴダに寄ってもらう。今年のヤンゴンは思ったより涼しいが、それでも午後の日差しでシェダゴンパゴダの床は熱い。人が通るところにビニールマットが引いてあり、そこは何とか歩けた。メインの寺院のぐるりと周りには、誕生日の曜日毎に祠が有り、願をかけられるようになっている。


私は土曜日生まれなので、土曜日の仏像に水をかけてお祈りした。近藤君は火曜日生まれだと言うが、なかなか火曜日の祠が無い。一周してやっとあった。最初に通り過ぎてしまったらしい。近藤君はピンクのおけで水をくんでさかんに仏像に水をかけたが、日本人の観光客に「それではなく、銀のカップでかけるんだよ」と声を掛けられた。ピンクのおけは、掃除用らしい。係の人が持って行ってしまった。銀のカップで水をかけ直して近藤君はほっと一安心。ホテルに戻るが渋滞がひどく、1時間くらいかかったような気がする。

夕食は、所長の招待で中華料理であった。ここは池のそばに建つレストランで、眺めの良いところにあるが、今日は、あいにく日が暮れてしまって景色がよく見えない。食事はとてもおいしく食が進む。ヤンゴンの料理は段々レベルアップしてきているようだ。

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