2015年春活動報告① ミャンマープロジェクト報告  3月3日~3月7日(その1)



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初めての訪緬である。

 この時点では、私にとってのミャンマーは「ビルマの竪琴」の中の世界でしかなかった。

 ミャンマーが一体どういう国であるのか、大変楽しみである。

 

 今回のミャンマー渡航は、23日と短いものである。それにも関わらず、達成するべき目的が多かったため、かなり厳しいスケジュールを要求されることとなった。

 メンバーは元新潟大学第二病理学名誉教授の内藤眞先生、細菌学教授の松本壮吉先生、国際保健学教授の齋藤玲子先生、そして私の4名。

 

今回の訪緬に際しての達成目標は大きく分けて4つ。1つ目は、昨年9月までのミャンマーで採取されたインフルエンザおよびRSウイルスのサーベイランス結果の通達である。これまでの成果や結果の情報共有は、今後もミャンマーというフィールドで研究を継続するために必要な作業だ。次の目標は、実験機器の提供である。まだまだミャンマーでは施設の充実度が低い。3つ目は、来月からJICAのプロジェクトで新潟大学にPh.D.コースへ入学する2名の先生と直接面談すること。そして、最後は来年度から新潟大学も参入することが決定した文科省の感染症研究プロジェクトであるJ-GRIDについて、ミャンマー側への説明と研究協力の要請をすることである。

 

J-GRIDについては、ミャンマー側へ教授以上のポジションで且つ経験が豊富である人材を駐在させることを今回の渡航の1週間前に通達され、齋藤先生を始めとする、プロジェクトに関わる先生方が緊急に対応するという事態にまで発展した。

結局1日で駐在する先生は決定したのだが、打ち合わせなどもろくにできず今日を迎えてしまった。

 

 ミャンマーのプロジェクトを成功させていくために直面する壁は少なくないが、今回の訪緬がよい一歩を踏み出せるものになることを祈っている。

 

 

 

 

 

 

 

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ミャンマーへ向かう航空便は昼頃成田を出発した。 

 現地へ到着したのは、現地時間の夕方5時過ぎ。発展途上国ではお馴染みの交通ラッシュが待ち構えていた。

 空港には、ヤンゴン第二医科大学(UM2)Yadanar Kyaw教授、Nyo Me准教授とその旦那さんが出迎えに来てくれた。

 ヤンゴンのこの日の気温は36℃であった。新潟との気温差は実に20℃以上である。しかし、高い気温の割に湿度はそれほどでもなく、わりと過ごし易い印象を受けた。熱帯の地域らしく大きな蚊を見かけ、「熱帯」「蚊」の2つのキーワードが「デング熱」と「マラリア」を想起させる。

 

 道路を走行している時、面白いことに気が付いた。日本語が書かれた自動車が非常に多いのだ。日本からの中古車を買い取って使っているためとのこと。○○工具店、△△鮮魚店と書かれたもの、さらには幼稚園バスなどがあちこちで見受けられた。異国の道路を走っているようには思えないぐらい、日本からの自動車が多い。

     

▲ヤンゴン空港にて

 

 交通ラッシュがすごいとは聞いていたが、比較的交通ルールは守られているような印象を受ける。他の途上国では信号無視は日常的にみられる現象であるが、今回私が見た中ではあまりそういった場面には出会わなかった。

 

 宿泊先のホテルへ向かう前に夕食をとることとなった。

                               

 ◄人気のミャンマー料理店にて

 市内でも人気のミャンマー料理店へ案内された。

 内藤先生が大好物ということで、エビの料理をYadanar教授にお勧めされた。

 ここでは、できあいの料理をセレクトする中国などでもお馴染みのスタイルだったので、中国暮らしが長かった私にはとても懐かしい感じがした。好物のマトン料理をお願いしたかったが、この日は売り切れてしまっていた。非常に残念であった。

 肝心の食事はというと、非常においしい。かつては油を大量に使って調理していたそうだが、最近のミャンマー料理はあっさりしているらしい。香辛料もそれほどきつくなく、日本人には親しみやすい味であったといえよう。いつもはお土産でしか体験していないミャンマービールも初めて現地で堪能した。

  

 ホテル到着後、現地で仕事を長年している小丸さんへ、プロジェクトの説明とサポートの相談をロビーで行った。機材の搬入などでは力添えをしてもらえるようお願いをした。

 

飛行機で7時間ほどのフライトだったのだが、美食と南国の空気、そして暖かいカウンターパートの先生方の歓迎もあって、疲労も吹き飛んでしまった。

 明日からのサイト巡りも順調であれば言うことなしである。 




 


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