2015年春活動報告① ミャンマープロジェクト報告 3月3日~3月7日(その2)
9時にホテルのロビーに集合。
私たちが宿泊したGreen Hillホテルではレセプションの対応も良く、好印象を受けた。
早朝には読経の音が聞こえ、仏教国に来たのだと改めて認識させられる。
日本とは違った鳥の声を聴きながら、出先の準備を整える。
▲ホテルからの風景
この日の訪問先は主に2か所。
ミャンマー第二医科大学(UM2)とNational Health Laboratory(NHL)であった。
最初に向かったのはUM2。
2年前に新潟大学とMOU(大学間協定)を結び、交流のある医科大学である。
現学長とはその際に面識があり、再会が非常に楽しみであった。
学長とは齋藤先生から面談が申し入れられていた。
早朝のラッシュを潜り抜け、UM2に移動。
道中、托鉢をする僧侶を見かけることが多かった。
◄托鉢中の僧侶
UM2は南国の校舎らしく白塗りで清潔な印象を受けた。
▲UM2の校舎風景
学部長との面談では、新潟大学のJ-GRID計画についての説明が齋藤教授より行われた。
教授の熱意が伝わったのか、真摯に計画内容を受け止めてもらえたようだった。
▲学部長との面談風景
UM2からは、プロジェクトのバックアップを約束してもらえた。
さて、今回の訪問では、内藤先生からPCR1台、国際保健学からは分光光度計が1台ずつ贈られた。
ミャンマーの研究ラボには、機材がまだまだ不足している状況である。
これまで内藤先生から多くの機材がミャンマーへ寄贈されている。
見返りを求めずの行動だからこそミャンマー側からの内藤先生への尊敬は厚い。
Nyo Me先生から、「この機材も、こちらの機材も内藤先生からの援助でそろえられたの。みんなで大事に使わせてもらっているわ。」と説明を受けた。
内藤先生はただニコニコとラボを見渡しているだけだった。普通ならここでこれまでの援助についての自慢話が入ってもおかしくはない。ただ「ミャンマーが良くなればそれでいいのですよ」とおっしゃるだけだった。
昼食をはさんで、NHLへと向かう。ここが一番の山場だ。
NHLではJ-GRIDのプロジェクトで日本人が駐在するラボを設置することを認めてもらえるよう、重要な話し合いを行う必要があった。
これまでとは打って変わって、齋藤教授の緊張感が伝わる。
NHLでは所長、副所長など、施設責任者が一同に我々の到着を待っていた。
応接室へ案内される前に、JICAのプロジェクトで新潟大学のPh.D.コースへ入学予定の2名の先生方とも会うことができた。彼女たちと齋藤教授の面談はNHL側とのミーティング後に行われた。
▲Ph.D.コースへの入学予定者とNHLにて
NHL側とのミーティング前半は、UM2と同じ内容が齋藤教授から説明された。
国家機関であるだけに、先方の表情もより真剣である。
プロジェクトで進める研究の内容について、激しく討議が繰り返される。
▲NHLでのミーティング風景
インフルエンザについてのサーベイランス研究については、これまでも新潟大学では実績があるためスムーズに話が進んだ。小児の肺炎サーベイランスについても特に支障はなさそうだったが、問題は結核サーベイランスである。
ミャンマーでは結核はメジャーな感染症である。国家研究としてすでにプロジェクトが走っており、うまく折り合いをつける必要があるだろうとのことであった。松本教授も熱が入り、今後の計画についての議論が実に1時間以上も交わされた。
いずれにせよ、プロジェクトを推進するための保健省大臣の認可を取ることが必要であるとのアドバイスをもらった。ラボの設置については何とか理解してもらえたようだった。
NHLのメンバーとは夕食を一緒にとることとなった。
この時には、なんとピン・ウー・ルインの研究所所長のMyin所長がニューヨークへの出張から駆けつけてくれた。
◄ グリーンライス、チキンヌードル
楽しく食事を終えた後は、店の向かいのバゴダへ観光に行った。
前夜の満月に引き続き、この日も見事な月が出ていた。
▲黄金のパゴダ
▲小さな僧侶たち
内藤先生の著書「黄金のパゴダ」のタイトルにもなったパゴダだが、実際に目にするとその存在感には圧倒されてしまった。パゴダはミャンマー語では「ゼーディー」もしくは「ブドゥー」と呼ばれる。パゴダには裸足でなければ入れない。
パゴタ内部には、ミャンマー人は自由に入ることができるらしく、かなりの人が祈りをささげたり、瞑想をしたりと、それぞれ思い思いの過ごし方をしていた。
生まれた日の曜日ごとに祭壇があり、そこに祈りを捧げるという風習があるとのことだったので、私も習ってみた。観光中は小さな僧侶たちとも遭遇した。
かなりハードな1日であったが、目的の大半はこの日のうちに達成できた。
明日はミャンマーの市中病院を見学しにいく。