新潟大学大学院医歯学総合研究科 消化器内科学分野-旧内科学第三講座-

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留学だより/学会・研究会報告

消化器内科サイエンスセミナー ~The Genesis to the future~ (2018年6月17日)

消化器内科Scienceセミナー(喜寿の会)を振り返って!

日本歯科大学名誉教授
柴崎 浩一 先生(昭和42年卒)

2017年(平成29年)4月、新潟大学第三内科は開講50周年を迎え、6月17日(土)には盛大に記念式典が開催され、そして本年3月には、「開講50周年記念誌」が発行されました。記念誌発行に当たり、小生は、「新潟大学消化器内科分野(旧第三内科)の開講50周年、おめでとうございます!-忘れないで! 第三内科学講座発足当初のことー」と、「肝臓学会の42会」の二編の拙文を寄稿しました。寄稿して間もなく、それをお読みいただいた寺井 崇二教授より、2018年2月23日(金)に、山口大学の沖田 極名誉教授をお招きして、消化器内科Scienceセミナーを開催したいとのメールを頂戴しました。その内容は、第三内科開講当時のことを知っている42会のメンバーである小生と上村 朝輝先生、村山 久夫先生の3人で、第三内科創設の頃の思い出や創設当時の苦労話などを自由に発表してもらえればいいとのお話でした。教室もすっかり若返り、当時を知り、新潟に残っている同門は、我々だけになった今、若い同門の先生方に「第三内科の昔」を知って頂く、絶好のチャンスでもあると考え、3人共々、喜んでお引受けしました。縁とは不思議なものです。寺井 崇二教授のお師匠さんである沖田 極先生と我々は、大学は違っても肝臓学会の同期生であり、「肝臓学会の42会」のメンバーとして、仲良く付き合ってきた仲間でした。  そのような巡り会わせでこのシンポジウムは企画されたものと勝手に解釈し、喜んで参加させていただきました。当日のシンポジウムを振り返り、思いつくままに感想を書いてみたいと思います。
第一部では、寺井 崇二教授が「新潟大学におけるアミノレバンENの開発の歴史」と題して基調講演をされました。肝硬変症に伴う肝性脳症や、低アルブミン血症に対する治療薬として用いられているアミノレバンENは、肝硬変症患者の栄養状態の改善(栄養剤)としての役割も持った、従来の薬剤とは異なったコンセプトのもとに開発された肝性脳症治療薬であり、初代第三内科教授の市田 文弘先生が開発当初から精力的に関わって生まれたものです。その開発から上市されるまでの歴史と新潟大学第三内科との関わりなどについて、解り易く解説していただきました。
第二部のパネルディスカッションでは、青柳 豊先生(新潟大学名誉教授)の司会のもとに、我々3人が、次々に登壇し、思い思いの昔話をプレゼンテーションしました。
 村山 久夫先生(信楽園病院)は、「第三内科第一世代」と題して、当時の研修カリキュラムや、まだファイバースコープスなどもなかった頃の、胃カメラやバリウムを用いた胃のレントゲン撮影などを紹介し、今では到底考えられないエピソードとして、入院患者さんの検血や血液像は、主治医が自ら検査しなければならなかったことなども感慨深げに話してくれました。さらに、電子顕微鏡との出会いや電子顕微鏡を用いたその後のご自身の研究生活についても触れられました。
 次に、小生が「私の歩んできた道:44年間の大学生活を振り返って!」と題して、始めに、医学部卒業から第三内科入局までの経緯、学園紛争、研究室封鎖、医局分裂などの苦しかった創設期の出来事を紹介し、次いで、医学部の運動会、他大学(岡山大学第一内科・大阪市立大学第三内科・信州大学第二内科)との野球の親善試合と親睦会、ファミリーパーティー、第三内科同門会など、教室の発展とともに行われた幾つかの行事について、当時の写真に説明を加えながら紹介しました。最後に、日本歯科大学新潟生命歯学部における教育・診療・研究と、日本歯科大学新潟短期大学学長として歯科衛生士養成のために努力した、計33年間の大学生活をまとめて話しました。
 シンポジウムの最後には、上村 朝輝先生(済生会新潟第二病院 名誉院長)が、「新潟大学第三内科の昭和」と題して、第三内科入局時の病棟や研究室が、戦前の伝染病棟を改修したもので、今では考えられないような古いものであったことや、新潟大学に著名な肝臓病学者である市田 文弘教授が赴任されたとの噂を聞いて、県内はもとより隣県からも、大勢の肝疾患患者さんが紹介されてくるようになり、その中にまだわが国では珍しかった「原発性胆汁性肝硬変:PBC」の患者さんが何例か存在し、その後、症例数も増加して新潟大学第三内科がPBC研究のメッカになったことなどを紹介しました。さらに現在のB型肝炎ウイルスの研究、外国留学時代のエピソードなどに加え、医学部の運動会や、ファミリーパーティー、さらには医局旅行における「バクダン」事件など、今では誰も知らない出来事なども、ユーモアを交えて懐かしく話してくれました。
 市田 文弘先生は、「研究は模倣・蓄積・創造である!」という言葉が大好きでした。軌跡という日本消化器病学会大会記念文集の中にも、「模倣するということは大変難しいものです。(中略)その厳しい模倣によって自然と自分の中に豊富な知識と才能が導かれるものです。この現象を私は蓄積と表現しているわけであって、模倣と創造の相反する現象の間に蓄積を置いて考えたのはそのためです」と述べております。
 最後の特別講演では、自らも「市田 文弘先生は私の師匠である」と言ってはばからない、山口大学名誉教授の沖田  極先生が「研究は模倣・蓄積・創造である!」と題して、これまでに行ってきた研究成果の一端、ならびに現在進行中の最先端の研究業績について解説してくれました。この中には、寺井 崇二教授の研究テーマでもある、肝再生に関する初期から現在に至るまでの独創的で幅広い研究成果も含まれ、肝硬変症の治療法として臨床応用可能な夢のある研究成果が披露され、若い研究者にも大きな刺激と発奮材料を与えてくれました。
 限られた時間内に話したいことが沢山ありすぎ、持ち時間を大幅に延長してしまい、第二部のシンポジウムが大幅に遅れましたことをお詫び申し上げますとともに、最後までご清聴下さいました皆様方に感謝申し上げます。
 50周年というこのような機会に、第三内科創設からの足跡を辿り、決して順風満帆とは言えなかった当初の頃を思い出しながら資料を整理し、若い同門の先生方に披露できたことは、時宜を得た極めて有意義なセミナーであったと、寺井 崇二教授の慧眼に感服するとともに、このセミナーを踏み台にして、若返った第三内科が、これまでに培った「絆」で益々発展していくことを祈念してやみません。

 最後になりましたが、はからずも平成30年春の叙勲において、「瑞宝中綬章」を受賞したことで、6月16日(土)の同門会で、寺井 崇二教授、吉川 明同門会会長より、祝辞ならびに花束を頂戴いたしました。ここに改めて厚く御礼申し上げます。

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