新潟大学大学院医歯学総合研究科 消化器内科学分野-旧内科学第三講座-

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留学だより

ハーバード留学記 5 森 祐介 先生

2016年7月31日

今回は一風変わって、私が直面した米国ビザ問題について書きたいと思います。細かすぎる説明ですが、少しでも今後渡米される方の参考になればということで、経験を共有したいと思います。
ハーバードメディカルスクール(以下、HMS)から合格通知が来たのは、3月23日。この時点で5月26日にケネディスクール(以下、HKS)用のビザが切れることはわかっていたため、HMSのプログラムが始まる8月31日以前の夏期間の米国滞在が確保されるか、ハーバードの事務担当者(HIO)に何度も確認をし、問題ない旨回答を得ていました。ところが、5月4日になり突然、1ヶ月強米国から出なければならないということが判明しました。
具体的には以下のような状況になるということです。
・HKSでのビザ:J-1(交流訪問者ビザ), 2015年7月15日〜2016年5月26日(前後30日の猶予期間により、2015年6月15日〜2016年6月25日の間滞在可能)
・HMSでのビザ:F-1(学生ビザ)またはJ-1, 2016年8月31日〜2017年5月31日(プログラム前の30日の猶予期間、及びF-1の場合60日間、J-1の場合30日間のプログラム後の猶予期間により、2016年8月1日〜2017年6月30日または7月30日の間滞在可能) つまり、2016年6月26日〜7月31日の間は米国滞在許可がない状態となり、国外に出なければならないという深刻な状況になります。また、米国外の米国大使館または領事館で、新しいビザ取得のための手続きをしなければなりません。 HIOは、HKSでの留学に私がF-1を取得している(学生として留学する場合にはJ-1ではなく、F-1を取得するケースが多い)と思い込み、私からの事前の問い合わせについては、滞在についての制限事項がJ-1に比べて少ないF-1所有者として、夏期間の滞在は問題ないと回答していたということでした・・・
この時点で可能なオプションを必死に考え(HKSで受講した交渉術のスキルを総動員しました)、以下の5つのオプションにたどり着きました。
1. HMSのプログラム期間を前倒ししてもらう。(交渉相手:HMS、HIO)
2. HKSのプログラム期間を延長してもらう。(交渉相手:HKS、HIO)
3. 課外活動先のMITで正式にアポイントをもらい、ビザ申請のための書類を発行してもらう。(交渉相手:MIT)
4. 独立したJ-1(2017年8月まで滞在可能)を保有している妻の同伴家族としてJ-2を取得する。(交渉相手:HIO)
5. 諦めて夏の間は米国に家族を残し、米国外で一人で過ごす。(交渉相手:妻)
一番可能性があると思ったのは【オプション1】です。HMSでは通年でCapstone Projectという修士論文に準ずるプロジェクト研究を行うのですが、これを夏から開始することをもって、プログラム開始を早めてもらうという作戦です。はじめ、HMSの担当教員はこの提案に前向きでした。しかしながら、HIOのルールで、研究がフルタイムでないとプログラムに所属するとは認められない、となり、またHMS側でも、研究はフルタイムにはなり得ないので、何か別のものと組み合わせなければならないということになりました。HMSは真剣に検討してくれ、「何か別のもの」としてハーバード大学が提供するサマースクールの受講を提案されましたが、このサマースクールは1科目の受講(7週間、週2回、1回3時間)で2,950ドルを要するため、経済的事情から辞退することにしました。
【オプション4】も並行して検討しました。妻はハーバード大学で客員研究員をしているため、独立したJ-1を保有しています。同伴家族はJ-2という家族用ビザを取得することができるのですが、私はJ-2でも学生として学べることを知っていたため、HKSでのJ-1の期限が切れる前にJ-2を取得し、夏の間もHMSの学生としても、J-2保有者として滞在することを考え、HIOに提案しました。正攻法ではない、と苦言を呈されながらもHIOはこの案に同意し協力が得られることになりましたが、もし妻が転職することになった場合にはビザ再申請のために私も米国を一緒に離れる必要があること(学期中になると大変です)、ビザ面接での説明ぶりが複雑で却下のリスクがあること等の不確定要素が多いように思われたため、オプション4は最終妥協案として残しつつ、他のオプションも検討することにしました。(リスクはあるものの、これが他のオプションにとってのBATNA(Best alternative to a negotiated agreement:交渉術の用語で、交渉に合意できなかった場合に採れる次善の選択肢)として大いに機能し、冷静に他を検討することができました。)
【オプション3】については、昨年夏からMITのProgram on Emerging Technologyのメンバーとして研究を行ってきたことから、担当教員にお願いをしました。教授からはすんなりOKをもらえたのですが、ここでJ-1の隠れた制限が明らかになりました。過去12ヶ月の間、6ヶ月以上J-1保有者として米国に滞在した者は、その後12ヶ月はJ-1研究員や教授になれない、”12-month Bar”というものです(更新については別の取り扱い。また、J-1学生になることは可)。米国務省のルールのため交渉の余地はなく、残念ながら諦めざるを得ませんでした。(最終的には正式なアポイントがあったほうが、共同研究がやりやすいということでリサーチフェローの職をもらいました。)
最終的にうまくいったのは【オプション2】です。講義や論文執筆でお世話になった教授2名に、ポスドクか研究補助として働かせてもらえないかというお願いのメールを5月5日に送りました。1人からは(正確には秘書さんから)すぐに返信があり、「メディカルリーブのため、大学を離れているから難しい。」ということでした。もう1人からはしばらく返事がありませんでしたが、5月18日夜9時頃に、「まだ困っているようならば携帯に電話されたし(Call on my cell if you're still in limbo.)」との連絡があり、電話をすると明朝9時前にオフィスに来るようにということだったので伺うと、研究内容が書かれたリサーチアソシエイトのジョブオファーレターが用意されていました。これには大感激をして涙が出そうになりました。教授からは、「これをもってHIOと交渉してみなさい。うまくいくこともあれば、だめなこともある。」とのお言葉を頂戴し、その足でHIOに行くと、Academic Trainingという区分で現在のJ-1を延長できる可能性がある、という返事でした。Academic Trainingとは、J-1の学生が卒業後に、修学内容と関連する研究・研修等を行うことが認められる滞在許可で、修学年数を超えず、かつ18ヶ月未満の期間まで申請できるものです。結局すぐには結果がもらえず、ビザが延長された、というメールを受け取ったのは、ビザ有効期限最終日の5月26日、学位授与式の直前でした・・・本当にホッとした瞬間でした。
なお、【オプション5】は家族内のパワーバランスに短・中・長期的な悪影響が生じることが明白であったことから、初期の段階で検討を取りやめました。
HMS用のビザの新規取得は免れず、8月中にどこかで(8月15日にカナダ・オタワの予定)で行う必要はあるものの、今こうしてボストンの夏を楽しみながらこの留学記を書けるのも、Professor David C. Kingのおかげです。研究も頑張っています(念のため)。

補足:
 J-1にここまでの落とし穴があるとは思いませんでしたが、学生としての留学でF-1にするかJ-1にするかは、特に家族を同伴する人にとっては大変悩ましい問題です(ポスドクとしての留学の場合はほぼ必ずJ-1になります。)。F-1には、本人にとっての制限はあまり多くありませんが、一方で同伴家族はF-2という区分になり働くことが認められません。本人がJ-1にすると、同伴家族はJ-2になり、許可を得て働いたり、研究活動をしたり、学生になることができます。  私の場合は当初から、妻が米国で研究を継続することとしており、他方渡航前に所属先が決まらない場合でもその後問題なく研究ができるよう、Jビザにしました(結局は妻の所属先が渡航前に決まったため、F-1にしても特に問題はなかったわけですが。)。

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