はじめに
リン脂質は生体膜を構成する主な脂質であり、細胞膜や細胞小器官の膜の構築および機能に不可欠や役割を担います。リン脂質は、親水性の頭部と疎水性の尾部を持ち、それぞれの化学的構造の違いによって、多様なリン脂質種が存在します。

イノシトールリン脂質は代表的なリン脂質の一種で、親水基にイノシトール環を持ち、その3,4,5位がリン酸化された誘導体を含む8種類が存在します(図2a, b)。これらイノシトールリン脂質種は、代謝酵素や輸送タンパク質による時空間特異的な制御により、細胞内の異なるコンパートメントに分布しています(図2c)。この偏ったイノシトールリン脂質の細胞内分布が、それぞれの生体膜に“個性”を与え、それぞれの膜で起こる多様な生命現象(シグナル伝達、膜動態、細胞骨格や脂質輸送など)の制御を可能にしています。

研究概要
多種多様な脂質がどのように適材適所に配置されて生体膜の特性と機能が決定されるのか、その「生体膜の制御原理」は未だ明らかになっていません。私たちは脂質の「代謝」と「輸送」に着目して、この難題に挑んでいます。
1. 生体膜脂質の時空間制御機構の解明
代謝による制御
脂質の合成や分解を担う代謝酵素は、その局在や活性が厳密に制御されており、これによって細胞内における脂質の分布や量が適切に保たれています。しかし、その制御メカニズムの詳細は、いまだ十分に解明されていません。私たちは、代表的な機能性脂質であるイノシトールリン脂質に着目し、細胞内の特定の部位で合成・分解される代謝制御メカニズムの解明を目指しています。
輸送による制御
細胞膜やオルガネラ膜が部分的に近接した領域は「メンブレンコンタクト」と呼ばれ、脂質輸送の場となることが明らかになってきました。現在では、脂質輸送タンパク質ファミリーが、さまざまなオルガネラ間でメンブレンコンタクトを形成し、多様な脂質種のオルガネラ間輸送を制御していることも示されつつあります。さらに、このようなオルガネラ間の脂質輸送は、脂質の代謝回路を時間的・空間的にオンオフ制御する仕組みとして機能していることが、私たちの研究から徐々に明らかになりつつあります。私たちは、これら脂質輸送タンパク質群に着目し、輸送される脂質種、その代謝経路や調節機構を解明することで、メンブレンコンタクトを介したオルガネラ間脂質輸送システムによる新たな生体膜制御機構の理解を目指しています。
2. 生体膜質脂質の制御破綻が関与する疾患機序の解明と創薬
メンブレンコンタクトにおける脂質輸送システムは、シグナル応答、神経成長、病原体のライフサイクルなどを制御し、それらの破綻が種々の疾患や感染症に繋がることがわかりつつあります。これらを分子・細胞・個体レベルで理解し、メンブレンコンタクトを介したオルガネラ間脂質輸送システムが制御する生理機能とその破綻による疾患機序の解明を目指しています。
3. 脂質動態解析ツール開発
脂質は遺伝子にコードされておらず、取り扱いも難しいことから、研究ツールの開発は遅れています。特に、脂質の細胞内での局在や動態を可視化・定量できるイメージング解析ツールは、脂質の機能解明に不可欠であり、その開発が重要な課題となっています。私たちは、こうしたツールの開発にも取り組んでいます。これにより、脂質の挙動を時間的。空間的に高精度で捉え、生体内での動的な変化をリアルタイムに解析することが可能になります。さらに、これらのツールは、脂質の異常な分布や動態が関与する疾患の解明にも貢献が期待されます。