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2020/04/01 研究成果
サルで“他者のこころを読む”脳部位を特定 −自閉症の脳病態を解明する動物モデルの開発へ新しい道−

【本研究成果のポイント】
自閉症では人のこころを理解できずコミュニケーションが苦手という症状が特徴的ですが、その背後にある脳の病態メカニズムは詳しく解明されていません。新潟大学大学院医歯学総合研究科の林剛丞(大学院生)、染矢俊幸教授、長谷川功教授、大学院自然科学研究科の飯島教授らの研究グループは量子科学技術研究開発機構、福島県立医科大学との共同研究により、ヒト科以外の動物としては初めて、マカクザル注1にも他者の「こころを読む」能力があることを示し、さらにこの能力にはヒトの研究で示唆されてきた脳の回路の中でも特に内側前頭前野注2と呼ばれる中枢のはたらきが不可欠であることを明らかにしました。今回の発見により、動物モデルによる自閉症の機序解明や治療薬の開発に新しい道が拓かれました。本研究の成果は、2020年3月31日(米国東部時間)、Cell Press社の発行する科学雑誌Cell Reportsに掲載されました。
 
Ⅰ.研究の背景
自閉症スペクトラム障害注3は発達障害の一つであり、症状の一つとして社会生活に重要なコミュニケーションの障害、つまり人の考えや気持ちを汲んだり、その場の空気を読んだりする「こころの理論」と呼ばれる能力の発達の遅れが特徴的です。被験者が人のこころを理解しているかを確かめる方法の一つに、相手の誤った思い込みを正しく理解して、その思い込みにもとづく相手の行動を正しく予測できるかを調べる”誤信念課題”があります。仮に相手が真実を知っている場合は、その人の「こころ」を読めなくても、こちらが真実を知っていることで相手の行動は予測できます。しかし、相手が真実でないことを信じている設定では、相手の思い込み(誤解)を理解しない限り、相手の行動を予測することはできません。そのため、この誤信念課題が”こころの理論”の能力を評価する決め手となるのです。ヒトの脳画像研究により、誤信念課題の実行中に内側前頭前野を含む広範な脳の回路が活動することが知られていますが、こころの理論と直接の因果関係を持つ脳部位は特定されていませんでした。近年、チンパンジーなどの類人猿にも誤信念を理解するかのような行動がみられるという報告が出てきましたが、動物の”こころの理論”様の能力がヒトと同じ脳回路の働きによるという証拠はありませんでした。そこで研究グループは、神経科学の実験動物としてヒトに最も近縁なマカクザルにも誤信念課題を解く能力があれば、こころの理論を担うヒトとサルの脳回路の相同性を確かめたうえ、さらに脳活動と行動の因果関係まで明らかにできるのではないかと考えました。
 
Ⅱ.研究の概要
マカクザルの一種であるニホンザルに動画を見せながら、眼の動きを赤外カメラで記録し、まず正常なサルに登場人物の誤解にもとづく行動を予期するような視線の偏りがあるかどうかを調べました。次に、鍵となる薬物を投与した時だけ神経の機能を抑制するDesigner receptor exclusively activated by designer drug (DREADD)注4と呼ばれる人工的な受容体タンパクの遺伝子をウイルスベクター注5によりサルの内側前頭前野に発現させてから、鍵となる薬物clozapine-N-oxide(CNO)を投与する、化学遺伝学注6と呼ばれる手法を導入しました。この手法により内側前頭前野の神経活動を抑制した状態のサルに再び動画を見せて、登場人物の誤信念を理解する能力に影響がみられるかどうかを解析しました。
 
Ⅲ.研究の成果
正常な状態のサルに動画を見せたところ、動画の登場人物の「誤信念」に基づく行動を予期するような視線の偏りがあることがわかりました(図1)。さらに、内側前頭前野の神経活動をDREADDとCNOによって抑制された状態で同じ動画を見せたところ、サルは登場人物の誤信念を理解して行動を予測することだけができなくなり、標的の動きを目で追う能力や、記憶にもとづいた視線の偏りには変化が認められませんでした(図2)。したがって、内側前頭前野の神経機能抑制により、視覚・眼球運動・記憶等の能力が保たれたまま、他者の誤解を読み取って行動を予測する能力だけが低下したと考えられました。
これらの結果は、これまでヒトの脳画像研究では相関関係が示唆されるにとどまっていた、こころの理論と内側前頭前野の神経活動の因果関係を、動物モデルにおいて直接的に示したものです。これにより、内側前頭前野を核とする脳回路の働きに支えられた「こころの理論」の前駆的能力が、ヒトとマカクザルの共通の祖先から進化した可能性が示唆されました。
 
Ⅳ.今後の展開
自閉症スペクトラム障害の原因となる脳回路の全容については現在まだ明らかにされていませんが、本研究により鍵となる責任中枢を同定することができました。これまでの研究から、こころの理論は内側前頭前野が単独で担うわけではなく、複数の脳部位が形成するネットワークの相互作用が重要であると考えられています。近い将来、DREADDを用いて脳のある部位と別の部位の接続をピンポイントでON/OFFする方法論が確立すれば、内側前頭葉に対する入出力経路のどこがこころの理論にとって不可欠なのかを見極めることも可能となるでしょう。中長期的には、自閉症のモデル動物の作成により、病態の解明が進み、新たな治療法の確立に貢献することが期待できます。
 
<参考図>

<用語解説>
注1)マカクザル
霊長目オナガザル科マカク属に属する哺乳類であり、ニホンザルもこの1種である。
注2)内側前頭前野
脳の前頭葉の一部であり、左脳・右脳が接する正中面に存在する。ヒトではコミュニケーションや共感、社会性と関連している可能性が指摘されている。
注3)自閉症スペクトラム障害
発達障害の1つ。「社会的コミュニケーションの障害」と「限定された反復的な行動」を症状として認める一群。かつての「自閉症」や「アスペルガー障害」を包括する概念
注4)DREADD
体の中で作られる物質には反応せず、人工的に合成した物質にのみ反応して活性化される受容体。つまり、普段は何も起こらないが特定の薬が入れられた時だけそれに反応してスイッチが入る仕組み。
注5)ウイルスベクター
その部位には存在しない外部の遺伝子を持って運び、効率的にその遺伝子をある細胞へ導入してその遺伝子を発現させる運び屋のような役割を果たすもの。
注6)化学遺伝学
DREADDに代表される人工的な分子を遺伝子発現させたのち、分子活性を人工的な薬物の投与により制御する手法。脳の神経活動を可逆的に、しかも薬物の投与により簡便にON/OFFすることができる手法として注目を浴びている。
 
Ⅴ.研究成果の公表
本研究の成果は2020年3月31日(米国東部時間)、Cell Reports誌に掲載されました。
論文タイトル:Macaques exhibit implicit gaze bias anticipating others’ false belief-driven actions via the medial prefrontal cortex
著者:林 剛丞, 秋川 諒太, 川嵜 圭祐, 江川 純, 南本 敬史, 小林 和人, 加藤 成樹, 堀 由紀子, 永井 裕司, 飯島 淳彦, 染矢 俊幸, 長谷川 功
doi:10.1016/j.celrep.2020.03.013
 
 
本件に関するお問い合わせ先
新潟大学大学院医歯学総合研究科 神経生理学分野
長谷川 功 教授
E-mail:ihasegawa-nsu@umin.ac.jp
 
量子科学技術研究開発機構放射線医学総合研究所
脳機能イメージング研究部システム神経回路研究グループ
南本 敬史 グループリーダー
E-mail:minamimoto.takafumi@qst.go.jp

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