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2023/10/10 研究成果
極長鎖脂肪酸の合成は神経細胞の発達・成長に必要不可欠 − 脳の代謝と発達の関係性の解明に期待 −

新潟大学大学院医歯学総合研究科神経生化学分野の五十嵐道弘教授、国立研究開発法人理化学研究所の有田誠チームリーダー(慶應義塾大学薬学部兼務)、公益財団法人かずさDNA研究所の池田和貴グループ長、愛知医科大学医学部動物実験部門の松下夏樹准教授らの研究グループは、極長鎖脂肪酸(注1)を合成できないようにしたマウス脳を調べ、極長鎖脂肪酸が正常な神経細胞の発達に必要不可欠であることを証明しました。極長鎖脂肪酸は、神経細胞表面の膜で情報伝達の効率を高める「脂質ラフト」という部分に必須であることが見いだされました。脂質ラフトを構成するセラミドという脂質に極長鎖脂肪酸が多く含まれ、神経の成長を担う成長円錐(注2)という場所に、脂質ラフトが濃縮されていることを明らかにしました。極長鎖脂肪酸の合成が低下した神経細胞は異常な成長を示しましたが、極長鎖脂肪酸を含むセラミドを投与すると成長が改善し、脂質ラフト形成も正常化しました。
 
【本研究成果のポイント】
・極長鎖脂肪酸(の合成)は神経細胞の発達・成長に必要不可欠である。
・神経細胞の成長には、その表面膜にある「脂質ラフト構造」が必須である。
・極長鎖脂肪酸は、脂質ラフト構造の形成・維持に不可欠である。
 
Ⅰ.研究の背景
脳の神経細胞は、ヒトを含む哺乳動物ではすでにかなりの神経細胞同士の「配線」ができていますが、これは発達期の神経細胞の軸索という長い突起が形成され、その先端の成長円錐が標的となる相手方の神経細胞まで伸びていることを意味しています。この成長円錐の機能は、脳の神経回路の正常な形成には決定的に重要ですが、それに必要な分子とそれらの役割はまだあまり解明されていません。それらの必要分子を1つ1つ解明することは、脳の形成とその異常を理解することに必須です。今回、成長円錐の形成と機能維持に、極長鎖脂肪酸の合成が必要不可欠であることを証明しました。
 
Ⅱ.研究の概要
五十嵐道弘教授らの研究室では、2009年に成長円錐のプロテオミクスを行って、その結果を公表しました(PNAS(米国科学アカデミー紀要))。この中で、成長円錐では脂肪酸合成や輸送に関係するタンパク質が、大人の脳の成熟シナプスより濃縮されていることを突き止めました。これをさらに詳しく研究するため、GPSN2という極長鎖脂肪酸を合成する酵素を働かなくしたマウスを作って、その性質を詳しく調べました(概要図=下図;今回の成果の概要=極長鎖脂肪酸(VLCFA)を作る最後のステップの酵素GPSN2が働いている正常(=野生型)マウスでは、脂質ラフトという膜の特別な構造が極長鎖脂肪酸の働きで出来上がり、神経細胞の極性(注3)がスムーズに決定できる。一方、GPSN2を無くすと、極長鎖脂肪酸ができずに脂質ラフトが少なくなって極性の異常な神経細胞が増えるため(多極性)、成長円錐の形や機能も維持できず、神経回路が発達できない)。

Ⅲ.研究の成果
GPSN2を完全に欠いたマウス(GPSN2のKOマウス(注4))は生まれてくることができず、胎生9.5日で全て死亡していました。このような発生初期での全例死亡は、この遺伝子が臓器の発達に必要不可欠であることを意味しています。その脳を調べると、KOマウス脳は神経回路形成が強く障害されていました(付図1)。この酵素の活性が50%に減っているヘテロ(Ht)マウス(注4)でも、程度の差はあれ、同様の異常を生じていました。この結果は、神経細胞の極長鎖脂肪酸合成が障害されることで、脳、すなわち神経細胞の正常な発達ができなくなることを意味しています。一方、他の臓器の細胞と異なり、脳の神経細胞では極長鎖脂肪酸をエネルギー源として利用することができません。従って、発達期の神経細胞では特別な用途があって極長鎖脂肪酸を合成することを活発に行っているはずです。
従って次に、詳しく調べることが可能なHtマウスの神経細胞を用いて、その異常の原因を探りました。神経細胞の形を観察すると、細胞の極性が正しくできていないことが考えられ、いくつかの実験でもこの点を示す強固な証拠を得ました。
ここで最近開発された、リピドミクス(注5)という脂質分子種を網羅的に同定する実験法を使って、このKOマウスで非常に減っているのは、セラミドという脂質に含まれる極長鎖脂肪酸であることが証明されました。セラミドはスフィンゴ脂質という、細胞表面の膜を構成する特殊な成分で、例えば糖脂質(注6)のようなものが含まれます。GPSN2-Htマウスを用いて糖脂質の成長円錐のリピドミクスを行うと、極長鎖脂肪酸を含む糖脂質が極端に減っていることが明らかになりました。
これらの極長鎖脂肪酸を含む脂質は、脂質ラフト(付図2)という膜の特殊な場所に局在することが知られているため、脂質ラフトと神経細胞の関係を調べることとしました。正常な神経細胞の成長円錐部分は、脂質ラフト(物理化学的には秩序相と呼ばれる)に富んでいることを今回、証明できました(付図3)。一方、GPSN2-Htマウスの神経細胞では脂質ラフトの先端への濃縮が失われており、この神経細胞に極長鎖脂肪酸を持つセラミド(C24セラミド;概要図)を補給すると、神経細胞で先端部分の脂質ラフト濃縮が復活し、極性形成も正常に近い状態に補正されました。 この効果は、極長鎖脂肪酸を持ったセラミドのみに認められ、通常の長さの脂肪酸を持つセラミドでは生じません。またセラミドでなく、極長鎖脂肪酸を含む普通の膜脂質(ホスファチジルコリンなど)を投与しても、変化は起きませんでした。以上の事から、極長鎖脂肪酸は脂質ラフト形成に必要不可欠で、かつこれによって神経細胞の極性形成がスピーディに起こり、成長円錐の脂質ラフト機能が保たれるものと、結論づけました(付図4)。
 
Ⅳ.今後の展開
極長鎖脂肪酸が成熟脳に多く含まれていることは以前から知られていましたが、その場合には髄鞘と呼ばれる、脳の神経細胞の神経伝導速度をスピードアップさせる構造に多く含まれており、出生後に神経細胞以外の細胞で作られています。もっと幼若な脳で、脳の発達に必要な極長鎖脂肪酸が神経細胞自体に必要なことは今回、初めて分かったことです。ω-3系脂肪酸と呼ばれるEPA(エイコサペンタエン酸)、DHA(ドコサヘキサエン酸)なども極長鎖脂肪酸であり、原料となるα-リノレン酸(植物油に多く含まれる、人体の必須脂肪酸)が栄養として与えられれば脳内で合成できます。このような極長鎖脂肪酸の代謝と役割の関係性は、本研究をはじめとしてまだ端緒に着いたばかりで、今後の展開で脳機能や脳発達への具体的意義がより明確となることが期待されます。
 
Ⅴ.研究成果の公表
本研究成果は、2023年10月9日 午前11時(米国東部夏時間)、科学誌「セル・リポーツ(Cell Reports)」に掲載されました。当該の雑誌はIF=10.00の、医学・分子生物学研究の国際的有力誌の1つです。
論文タイトル:Very-long-chain fatty acids are Crucial to Neuronal Polarity by Providing Sphingolipids to Lipid Rafts
(極長鎖脂肪酸は脂質ラフトにスフィンゴ脂質を供給することで神経細胞の極性に重要な役割を果たす)
著者:Atsuko Honda, Motohiro Nozumi, Yasuyuki Ito, Rie Natsume, Asami Kawasaki, Fubito Nakatsu, Manabu Abe, Haruki Uchino, Natsuki Matsushita, Kazutaka Ikeda, Makoto Arita, Kenji Sakimura, Michihiro Igarashi
(本多敦子、野住素広、伊藤泰行、夏目里恵、河嵜麻実、中津史、阿部学、内野春希、松下夏樹、池田和貴、有田誠、崎村建司、五十嵐道弘)
doi: 10.17632/37s3b5b4mm.1
 
Ⅵ.謝辞
本研究は、文部科学省・科学研究費助成事業・新学術領域研究(「脂質クオリティが解き明かす生命現象」班(「リポクオリティ」班)(#18H04670)、日本学術振興会・科学研究費助成事業・基盤研究A(#18H04013)、基盤研究C(#18K06480; #21K06390)、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)・革新的先端研究開発課 革新的先端研究開発支援事業(AMED-CREST)「適応・修復」領域「ニューロン移動による傷害脳の適応・修復機構とその操作技術」(#19gm1210007s0101; #20gm1210007s0102; #21gm1210007s0103; #22gm1210007s0104; #23gm1210007s0105)、小野医学研究財団助成金などの研究費支援を受けて行われました。
 
 
【用語解説】
(注1)・・・極長鎖脂肪酸(ごくちょうさしぼうさん):一般に炭素数22以上の脂肪酸で、人体で合成される普通の脂肪酸より長い炭素鎖(炭素数が多い)を持つ。長い脂肪酸ほど、疎水性(水に反発して溶けにくくなる性質)が強い。ヒトを含むすべての真核生物(核のある細胞を持つ生物)は、細胞の中の小胞体という部分の内部で、4種類の酵素反応を使って極長鎖脂肪酸を合成しているが、GPSN2はそのサイクルの最後を担当する(概要図)。
 
(注2)・・・成長円錐(せいちょうえんすい):脳の機能単位はシナプスと呼ばれる、神経細胞同士のコネクションであるが、これが作られるために、片方の神経細胞の軸索先端に生ずる運動性に富んだ構造のことで、相手方の神経細胞を探し出してコネクションを作る。
 
(注3)・・・(細胞の)極性(きょくせい):同じ細胞内のある部分と他の部分で、方向によって非対称的に、大きく異なっている性質をさす。神経細胞の極性とは、軸索という出力系の突起と、樹状突起という入力系の突起に分かれて特徴的な性質がそれぞれ存在することを意味する。それらの極性を支える分子群も、細胞内で異なった分布を示すことが知られている。極性決定が正しく行われないと、多極性という異常な突起が多数出て、軸索・樹状突起が判別できない状態となる(概要図)。
 
(注4)・・・KOマウス、Htマウス:遺伝子操作により、マウスのある特定の遺伝子を完全に欠損させる(なくす)ことができ、そのようなマウスを(ホモ)KOマウス(遺伝子ノックアウトマウス)と呼ぶ。また2本ある相同染色体のうち、片方の染色体のみがその遺伝子の欠損状態で、もう片方には正常な遺伝子が存在する場合、その遺伝子のHt(欠損)マウスと言う。Htマウスでは遺伝子の量が半分になっているため、その性質(表現型)は正常(野生型)マウスとKOマウスの、中間程度の異常が想定される。
 
(注5)・・・リピドミクス:ある系(臓器、細胞など)に存在するタンパク質を網羅的に同定・定量する方法をプロテオミクスと呼ぶのに対して、脂肪酸の分子種を含めて脂質全体を網羅的に同定・定量する方法をリピドミクスと呼ぶ。代謝産物全体を網羅的に同定・定量する「メタボロミクス」の1つであるが、人体の代謝産物の大部分が水溶性物質であるのに対して、リピドミクスは水に溶けにくい物質群を扱うため、特殊な方法論を必要とする
 
(注6)・・・糖脂質(とうししつ):糖鎖が結合した脂質で、細胞の膜の表面に多く存在する。通常の脂質と異なり、スフィンゴ脂質と呼ばれる、セラミドを含む構造を持つ。糖鎖の末端にシアル酸という酸性物質を持つ糖脂質はガングリオシドと呼ばれ、神経細胞に特に多い。

本件に関するお問い合わせ先
新潟大学大学院医歯学総合研究科・神経生化学分野
教授 五十嵐 道弘(いがらし みちひろ)
E-mail:tarokaja@med.niigata-u.ac.jp
 
愛知医科大学医学部動物実験部門
准教授 松下 夏樹 (まつした なつき)
E-mail:natsukim@aichi-med-u.ac.jp
 
【広報担当】
新潟大学広報事務室
E-mail:pr-office@adm.niigata-u.ac.jp
 
愛知医科大学医学部事務部庶務課
E-mail:syomu@aichi-med-u.ac.jp

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