新潟大学大学院 医歯学総合研究科 循環器内科

留学先紹介

留学先紹介

 国内外への留学を積極的に進めています。研鑽を積まれて帰局された先生方の声をご紹介します。
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留学体験記

国立循環器病研究センター/大阪府 大槻 総

平成29年4月から平成31年3月末までの期間、大阪の国立循環器病研究センターに不整脈科修練医として留学させて頂き、この度帰局させて頂きましたので報告させて頂きます。

国内留学を志したきっかけ

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平成24年に新潟大学病院循環器内科のレジデントとして勤務させて頂き、1年程たった頃にはすでに不整脈班としての仕事が多くを占めるようになっていました。日々の不整脈診療の中で多数の疑問点が沸いてきたため、それらを少しでも払拭できないかと思い国内留学を考えるようになりました。国立循環器病研究センターでの見学当日にカテーテルアブレーション研究会の予演を行っており、その風景を垣間見ることができたことが大きく、国内留学を依頼し快く受け入れていただきました。国循は不整脈科だけで約15人程度(シニアレジデント含む)在籍しており、海外留学から帰ってくる先生も多数いましたので、色々な意見が多数聞けることが魅力的に見えました。

大阪での生活

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国循は2019年7月、吹田市岸部駅のそばに移転となりましたが、私が勤務していた2年間は大阪府内のなかでもやや北側に位置する北千里駅周辺にありました。周囲は広々とした公園が多数あり、伊丹空港や梅田駅へのアクセスも比較的良く、万博公園やEXPO city等の商業施設も揃っており、住環境としてはとても良いところかと思います。ほぼ病院と自宅を往復しているだけの生活でしたので、あまり環境は関係ないのかもしれませんが、休みの日に隣県に観光に行けることは、関西を選んで有意義だった点の一つかもしれません。城崎温泉や和歌山の動物園等、あまり新潟からわざわざ行かないところに行けたことはちょっとした収穫でした。留学中は多数の医局員の方々が学会ついでに声をかけて下さり、観光等にも付き合って頂きました。誰も知らない土地に妻と二人きりとなり、気心知れた仲の会話が不足していた我々にとって、大変励みになったと思います。この場を借りて御礼申し上げます。

不整脈科での仕事内容

手技だけではなく学術的な面も含めた2年間にしたいと考え国循を選びましたが、実際の生活リズムはほぼカテーテルアブレーションとデバイス植込みに埋め尽くされたものでした。毎日2~5件程度のアブレーションと、2~4件のデバイス手術があり、それらを1,2人のスタッフが監督の下、不整脈科シニアレジデント5~8人程度でさばいていきます。基本的に今までアブレーションをしたことがないぐらいの若手がいきなりカテーテルを握ることになるのですが、年間約500件というアブレーション手技に毎日毎日携わることになるため、数ヶ月しないうちに慣れていきます。自分が2年目のシニアレジデントになった時は同期が1人しかおらず、1年目の3人は誰もアブレーションを行ったことがない状態でしたので、毎日の手技が滞りなく終わるのかとても不安でしたが、実際には数週間で十分に不整脈科としての会話が成立し、たいていのことはできるようになっていきます。コメディカルを含めて個々人が十分慣れると、ただ淡々と進められるようになるという現場を体感した気がしました。ほぼ全ての手技をシニアレジデントで進めているわりに、特にデバイスにおける合併症の少なさには目を見張るものがありましたが、それは日々updateされていたマニュアルと、監督しているスタッフの力量による所が大きいと思います。アブレーションは全例をスライドも含めたレポートとして記録しており、スタッフの先生方とdiscussionしながらスライド作成していますが、同時に最近の知見や先生方の考えを聞かせてもらえる点でとても教育的だったと思います。

症例数の多さは臨床研究においても、とても強い力を持ちます。国内・国外問わずたいていの学会発表は採択されている印象であり、自分もAHA・ESC等の国際学会で発表させて頂きましたが、心臓血管内科だけでもおそらく2,30人ぐらい参加しており数の強さを目の当たりにしました。同時に、都心と比較して症例数の多くはない新潟での臨床研究では、同じやり方では結果に結びつかないだろうなと再認識できた気もしています。実際は国循の先生方も同じように、海外と比較して症例が少ないことを嘆いているのですが…

新潟に帰局して

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多くの地域から集まる、ヘテロ集団である国循には各個人が多彩な経験を持って集まってきます。見聞きしたものはどれも興味深く楽しいものでしたが、多くを見聞きして思うことは、この世界に決まりや常識はほとんど存在しないのだなということでした。ガイドラインを大きく逸脱したものでなければ、細かな方法論の取捨選択は各個人・各施設に委ねられていると思います。自分としては今後多くの若手が他施設で経験を積み、どんな些細なことでも何か持ち帰ってきてくれれば純粋に楽しいだろうなとも思うのですが、他施設での経験が必須かと言われればそれは違う気がしています。

阪神タイガースで6年間活躍したマット・マートンが、日本野球への適応について「人生は適応の旅であり、その旅には尊重することが伴う。自分は他人と接する時、違いを考えるのではなく共通点を探すようにしている」と話していたことがあります。国循で感じた共通点は、依然としてどうしても治らない、病態の解明に行きつかない不整脈があり、日々悶々としつつ切磋琢磨しているということでした。また、同じ時期をシニアレジデントとして過ごした先生方とは多くのものを共有した気がします。同世代がみな同様に、不安を抱えて進んでいることに少し安心した気もしますし、十分貴重な時間だったと思っています。快く送り出して頂いた医局の皆さまには、改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

ハーバード大学マサチューセッツ総合病院/米国:池上龍太郎

留学までの経緯

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▲ MGHの中庭

私は県内の関連病院および大学病院で臨床経験を積んだ後、卒7年目から大学院生として基礎および臨床研究に取り組みました。大学院では医局の先生方の指導の下、実験の知識や手技、研究の進め方や論文の書き方など“研究の作法”を学べたと同時に、国際学会や研究会を通して“医学研究の世界”に触れ、臨床のアンメットニーズに研究で挑むことの魅力や重要性を肌で感じることができました。冠疾患領域では、PCIの進歩によりACSの予後が劇的に改善してきた一方、ACSに進展するプラークをいかに診断し介入するかという点は課題として残されています。大学院で動脈硬化の分子メカニズムに関する基礎研究に取り組んだ経緯もあり、“不安定プラークのメカニズムと診断“に関わる研究がしたいという思いから動脈硬化の分子イメージングに興味を持つようになりました。このテーマで研究に取り組める道を模索したところ、幸いにもハーバード大学マサチューセッツ総合病院(MGH)Cardiovascular Research CenterのFarouc A. Jaffer先生の研究室にリサーチフェローのポストを頂き、留学が実現しました。

研究留学について

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▲ 動物専用のカテーテル室

Jaffer研究室は近赤外線蛍光法(Near infrared fluorescence:NIRF)を用いた動脈硬化プラークの質的診断法の開発に取り組んでいます。近年では、OCTにNIRFを搭載した新しいイメージングデバイスNIRF-OCTを共同研究で開発し、PCIで活用できる血管内分子イメージングとして臨床応用を目指しています。研究室には動物専用のカテーテル室があり、大動物を用いたカテーテルからマウスや細胞を用いた基礎実験まで幅広い実験ができ、非常に恵まれた研究環境でした。私はNIRF-OCTに関する4つのプロジェクトを担当させてもらい、カテーテル実験3割、マウス実験3割、細胞実験4割といった感じで研究を進め、忙しいながらも楽しく研究することができました。幸いプロジェクトの一つは論文にすることができ、残った仕事もZoomでミーティングをしながら取り組んでいるところです。

Principal investigator(PI)のJaffer先生はCTOを得意とする現役のインターベンショナリストで、MGHの虚血部門責任者として臨床チームを引っ張りながら研究室も主催しており、“臨床しながら研究する”いわゆるPhysician Scientistのお手本のような先生でした。臨床の話をしたり、自ら術者となるCTO-PCIを見学させてもらったりと、研究以外にもたくさんの刺激をもらい、臨床にも研究にも精力的かつ真摯に取り組む姿勢から多くのことを学ばせて頂きました。また、P. Libby教授やGJ.Tearney教授といった著名な先生との共同研究に参加できたことも大変貴重な機会でした。ハーバード大学は競争が激しく、PIが研究室を維持していくのは大変と聞いています。すでに多くの業績を上げている一流の研究者であっても例外でなく、世の中の流れや研究ニーズに敏感で、研究者のネットワークを駆使して効率的に研究を進めることで競争を生き抜くタフな研究者の姿がありました。コロナ禍にあって日本の研究力低迷が指摘される昨今、世界に通用する研究のあり方について考えさせられました。

ボストンは言わずと知れた学術都市で、歴史ある街並みが美しく、治安もよいためとても生活しやすい都市です。留学している日本人も多く、仕事後は分野を超えた研究者と食事や野球を見に行くなどして交流を楽しむことができました。旅行にも行きたいと思っていましたが、1年目は研究にのめり込み休日返上で実験し、2年目はパンデミックに突入したこともあり、観光はボストン市内まででした。コロナ禍により家族の渡米が中止になったり、ロックダウンで人との交流が制限されたりと残念なこともありましたが、人種が多様で経済格差の大きいアメリカ社会の非常事態を目の当たりし、日本の社会や医療体制の良さや強みについて再認識させられる経験となりました。

最後に

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▲ MGH近くから見えるボストン市街

1年半の留学でしたが、刺激的な環境で希望するテーマの研究に没頭することができ、とても贅沢な時間を過ごさせて頂きました。また、やりたい研究テーマを考え、留学先を探して面接を受け、助成金に応募し渡米の準備をする、という留学までのプロセス一つ一つが私にとっては難関で苦労しましたが、医局の先輩方の指導と多くの方のサポートに支えられて実現できたことは大きな財産です。ご指導頂いた先生方、大学院生時代に支えあった仲間達、快く送り出してくださった医局員の皆様に心より感謝申し上げます。

海外留学には、人、環境、価値観、インスピレーションなど自分の想像を超えた様々な出会いのチャンスがあります。これからのキャリアの中で留学を考えている若手の先生方や学生の皆さんには、ぜひ果敢に挑戦して欲しいと思います。